V.A./SANDPAPER BLUES(1995)

SANDPAPER BLUES.jpg謎の企画盤。
ネットで検索しても、このオムニバスに関する情報はもの凄く少ない。
3面見開きの紙ジャケットに収められたCD2枚組。
限定3000組手書きナンバー入りで、俺の手元にあるのは610番。

全36組36曲、すべて「Sandpaper Blues」という曲名(!)。
(「Sandpaper Champion Blues」など、一部例外アリ)
紙ジャケットと一緒に、アルバム・タイトルを印刷した本物のサンドペーパー(つまり紙やすり)が封入されているという、無駄に凝った作り。
有名なミュージシャンも多いが、何処の誰だかさっぱりわからないのも多い。
それもそのはずで、このアルバムのための1回きりのユニットもかなり含まれていた様子。

ディスク1の1曲目がウェイン・クレイマーで、つかみはOK。
ブロック・アヴェリー(ドラム)と二人での録音で、ウェインはギターとベースとヴォーカルを一人で重ねているのだが。
コレがえらく荒々しいジャム風で。
多分一発録りにベースだけ重ねたのではと。

続いてジョン・メイオール。
カセット録音とのこと。
ギターとキーボードとヴォーカルを一人で重ねたらしい。

3曲目のLASH LARIATというのは、このアルバム限りのユニットっぽい。
THE TROJANSのクリスピン・ギル(ギター)とジョニー・サンダースのバンドにいたクリス・ムストー(ドラム)が参加しているが、この二人は他の曲でもたびたび出てくる。
(それらは同じスタジオで録音されている)
クリス・マトリックのヴォーカルはちょっとトム・ウェイツ風。

7曲目、これまたクリス・ムストー参加のレイ・ラフラーはカントリー風。
12曲目のジョニー・Tは一人多重録音のエレクトロ/ダブ風。

驚いたのはいきなり日本語で歌われる13曲目、BBJの「Sandpaper Blues」。
SIONとの活動で知られる松田文がギターを弾くトリオだった。

15曲目にウィルコ・ジョンソン。
もちろんノーマン・ワット=ロイ(ベース)、サルバトーレ・ラムーンド(ドラム)とのトリオで、例のノコギリ・ギターを聴かせる。

16曲目、J.C.キャロルはアコーディオンをフィーチュアしてボ・ディドリー風。
17曲目、ロリー・マクレオドの「Sandpaper Blues」にはギターもベースもなく、ロリー自身のヴォーカルとハープ、そしてリズムはこれまたロリー自身が叩くティーカップ(!)とクリス・ムストーのサンドペーパー(!)。

インサートには全曲の歌詞が載っているのだが(ただしインサートが横に長くて小さい字がみっちり詰まっていてとても読みづらい)、19曲目MR.SAUCY「Sandpaper Blues」だけは”You'll have to listen to it for the lyrics”とある(…)。
そして20曲目はTHE TROJANS。
もちろんスカ。

ディスク2の1曲目、RADERというのはどうやらジョー・ストラマー(!)のことらしいのだが、メンバーのクレジットなし。
しかしヴォーカルを聴けば確かにジョーだ。

2曲目のADESOSEはカリンバやジャンベやバンブー・フルートによるワールド・ミュージック風。
続くMOOSEJAWというのはクリス・ムストーのユニットらしく、プロデュースもクリス自身。

4曲目のLAYLOW POSSE FEATURING JC 001はヒューマン・ビートボックスとラップをフィーチュアしているが。
ギターとソングライティングのケヴィン・アームストロングって、イギー・ポップとやってたあの人?

5曲目はペダル・スティールの名手BJ・コール。
”midi pedal steel”とクレジットされている。
MIDIペダル・スティール?
実際かなりエクスペリメンタルな音。

6曲目のチェスター・ケイメンはブライアン・フェリーやマドンナなんかとも活動しているセッション・ギタリスト。
7曲目のSTEFAN FRANK AND CHRIS DOWD…クリス・ダウドって元FISHBONEの?

8曲目のBANDULUはほぼトリップ・ホップ。
10曲目のデレク・デルヴスはいわゆる音響派?

11曲目のクリスピン・ギルは女性ヴォーカルをフィーチュアしてジャジーかつムーディーに。
で、次にELVIS COSTELLO & THE ATTRACTIONSのスティーヴ・ナイーヴ!
マーク・リボー(ギター)と、DOCTORS OF MADNESSでも知られるデイヴィッド・クールター(ディジェリドゥ、パーカッション、サンドペーパー)をフィーチュアし、メンツ通りというかかなりひねくれた音。

14曲目のFURNACEFACEはこのアルバム唯一の疾走パンク・ナンバー。
次のマリア・マッキーとの落差が凄い(笑)。
(マリアは元PATTI SMITH GROUPのブルース・ブロディと二人での録音)

そして16曲目にMCハーグことロバート・ゴードン・マクハーグ3世。
(バックはチェスター・ケイメンが一人で担当)
何者か知らないんだけど、この人がこのとんでもないアルバムを企画したんだそうで。
36曲150分。

よくこんなの手を出してたよな。
もちろん(?)ウェイン・クレイマー目当てで買ったのだ。
30年前…俺が月に30枚ぐらいのレコード/CDを買っていた頃だ。
(アホか)
その後90年代末にはライヴハウス通いの方が忙しくなり、年間140本とか観るようになるのだった。
(アホか)
今じゃどっちも無理だ。

Who the Bitch(2007)

WHO THE BITCH.jpg現在はWtBとして活動中の彼女達の、デビュー・ミニアルバム。
もう20年近く前。

2005年結成。
(つまり今年で結成20年!)
06年にehi(ヴォーカル、ギター)、Nao★(ヴォーカル、ベース)、yatch(ドラム:元DAS BOOT)のトリオとなる。
精力的なライヴ活動で、すぐにライヴハウスで人気となった。

バンド名にBitchと入っていることや、ジャケットでのメンバーのヴィジュアルからしても、元々パンクの影響が大きかったはず。
(あとガレージ、グランジ、グラムも)
ジャケットに限らず、この時点では音楽性もかなりパンク色が強くてハード。
次作以降に聴かれるディスコ風のビートもまだなく、17分半で6曲ラウドにぶっ飛ばす。
6曲中5曲が英詞。

楽曲自体は基本的にキャッチーで。
フロントの女性二人の野良猫みたいな(?)ヴォーカルも、ワイルドにして非常にキュート。
ステージにも花があって、いいバンドでした。
(でした、って、今もやってますが)

で、以前にも書いたが、続く2ndミニアルバム『ミラクルファイト de GO! GO! GO!』(2009年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201906article_20.html)が、DREAMS COME TRUEのレーベル・DCTからのリリースだったんでぶっ飛んだよね。
メンバーと個人的に親交があったワケじゃなかったけど、完全に当時の”友達界隈”から出てきたと思っていたバンドが、DREAMS COME TRUEのレーベルから?…って。

しかしその後DCTを離れ、yatchも脱退。
2015年2月に活動休止して、17年2月に活動再開。
長い活動の中で何故かフルアルバムは2枚しかリリースしていないが、ミニアルバムはけっこうコンスタントに出し。
ehiはHKT48や乃木坂46に楽曲提供するなど、ソングライターとしても活躍。
(Who the Bitch以前にメジャー・デビューしていたこともある彼女は、元々万人受けするポップ志向があったのではと思う)

yatch脱退後はehiとNao★+サポートのドラマーで活動していた彼女たちだったが、2023年8月にmie(ドラム)が正式加入して、バンド名もWho the BitchからWtBとなり、女性トリオとして今も盛んに活動している。
俺が最後にWho the Bitchのライヴを観たのは16年ぐらい前、このブログを始めるちょっと前だったと思うけど、彼女たちが今も頑張っているのは素直に喜ばしいことであります。

THIN LIZZY/UK TOUR 75(2008)

THIN LIZZY UK TOUR 75.jpgブレイク前のTHIN LIZZY、4人編成となって上り調子の時期のライヴ音源。

アルバム『FIGHTING』(1975年:全英60位)に伴う全英ツアーから、75年11月21日、DERBY COLLEGE OF TECHNOLOGYでのステージを、放送用音源で収録。
音質はかなり良い。
オープニングでフィル・ライノットが「録音されてるからな、騒げよ」みたいなMCをしていて。
「Fighting My Way Back」から演奏がスタート。

この時点で5枚のアルバムをリリースしていたTHIN LIZZYだったが。
ここでのレパートリーはほとんど4人編成での『NIGHTLIFE』(1974年)と『FIGHTING』から選ばれていて。
エリック・ベル在籍時の楽曲は「The Rocker」のみ。

ライヴの定番でありながらスタジオ録音が存在しなかった不思議なレパートリー「Baby Drives Me Crazy」(1978年の名ライヴ盤『LIVE AND DANGEROUS』にも収録されている)が既にこの頃から演奏されていたことがわかる。
あと、このライヴの翌年にリリースされる出世作『JAILBREAK』(全英10位、全米18位)に収録される「Cowboy Song」が「Derby Blues」として披露され。
(アレンジはかなり完成している)
ゲイリー・ムーアが最初に参加した(そしてすぐ脱退した)時に書かれた「Little Darling」が演奏されているのも嬉しい。
ラストにはサウンドチェック時のジャム(そのまんま「Sound Check Jam」とある)も収録。

『LIVE AND DANGEROUS』の時点でも円熟とは無縁なサウンドを聴かせていたTHIN LIZZYだが、それから3年前、『FIGHTING』で初めて全英チャートに顔を出したばかりで、ようやく下積み時代を脱しようとしていた彼らの演奏の熱いこと。
当時のTHIN LIZZYというと流麗でスムーズなツイン・リードというイメージが強いけど、ブライアン”ロボ”ロバートソンと思われるリードの速いプレイがけっこう聴かれるのにもグッとクる。
(言うまでもなく、ロボはその後MOTORHEADでまた素晴らしいギターを聴かせることに)
「Sha La La」でのブライアン・ダウニーのドラム・ソロもイカす。

ライナーノーツはブライアン・ダウニー自身による。
(そのせいか、ブックレットのステージ写真はブライアン主体となっている)
バンドは『NIGHTLIFE』で初めて4人編成となったものの、その時点ではまだ方向性が固まり切っていなかったらしく。
ブライアン曰く、彼らは1975年になってよりハードなロック・サウンドに変化することを決定し、ライヴのレパートリーをより”ステージ・オリエンテッド”な曲に置き換えて行ったのだそうで。
(THIN LIZZYは75年3月に初めてアメリカをツアーしている。そのことも刺激になったに違いない)
フィル・ライノットはツアー中にホテルで曲を書き、ツアーが終わってから曲を仕上げていたそうで、ここでの「Cowboy Song(Derby Blues)」のように未発表の新曲をステージで演奏することは珍しかったらしい。

ブライアン・ダウニーのライナーノーツは、”4ヵ月後、アルバム『JAILBREAK』がリリースされ、俺たちは別の時代に入った”と結ばれる。
その通り、翌年からTHIN LIZZYの快進撃が始まるのだった。
(もっとも、この4人編成はそれほど長くは続かなかったのだが)

THE SWINGIN' NECKBREAKERS/LIVE FOR BUZZ(1993)

SWINGIN NECKBREAKERS.jpg1993年、通い始めて1~2年だった西新宿のBARN HOMES(現在は飯能で通販専門店に)で買ってぶっ飛ばされた1枚。

1992年、ニュージャージー州トレントンで結成。
当時のメンバーはトーマス・ジョーゲンセン(ベース、ヴォーカル)、シャギーことダン・スヌーク(ギター)、ジョン・ジョーゲンセン(ドラム)の3人。
コレは彼らの1stアルバムで、デイヴ・アメルズ(オルガン)他がゲスト参加している。

当時俺がやっていたファンジンに書いたレヴューをそのまま転載する。

「ニュージャージーはホボーケンのTELSTARレーベルからは強力トリオ。ジャケットのいかにもなたたずまいや、「BOSS HOSS」などのカヴァー曲、聴く前から期待がふくらむというもんだが、これがいい! 一言で言ってしまえばDMZ~LYRES直系のFAST, WILD & RAWなプレイで、スピーカーの前で首振りまくりの35分を保証致します。ポップながらもハードに、そして何よりスピーディ! あとはオルガン・プレイヤーを正式メンバーにして突っ走ってくれれば文句なし。ラストの「THE GIRL CAN'T DANCE/LOOK AWAY」メドレーで狂え!」

…うん、基本的に今思うことと全然変わらない。
(ってか32年前のレヴューだけど自分の感覚がまったく変わっていないことに半ば呆れる)

とにかく36分弱で14曲、混じりけなしでピュア、ファストで勢いに溢れるガレージ・パンクが堪能出来る。
「I Took My Baby Home」「Boss Hoss」をはじめとするカヴァー曲の選曲と演奏のセンスが本当に素晴らしい。
一方でオリジナル曲中心にアルバムを重ねていく毎に少しずつテンションを落としていった感もアリ。
結局俺にとってはこの1stアルバムが最高、ということになる。
ガレージ好きな人でなけりゃこのバンド知ってる人自体そんなに多いワケじゃないと思うけど、個人的には大名盤。
(いや、他のアルバムも超ナイスですよ)
このアルバムを勧めてくれたBARN HOMESの吉原ズには本当に感謝している。

バンドは1995年に2ndアルバム『SHAKE BREAK!』をリリース。
しかし96年にシャギーが脱退し、ジェフリー・リー・ジェファーソンが参加。
新編成で97年に3rd『KICK YOUR ASS』、2000年には4th『THE RETURN OF ROCK』を出している。
『THE RETURN OF ROCK』は国内発売もされ、その前後には来日の噂もあったのだが。
その後音沙汰がなくなり。
次のアルバム『POP OF THE TOPS!』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_412.html)がリリースされたのは09年になってからで。
ジョン・ジョーゲンソンも脱退し、ドラマーはマイティ・ジョー・ヴィンセント(元THE DEVIL DOGS!)に交代していた。
以降はリリースが途絶えたものの、バンドは14年11月になってまさかの初来日。
多分今でも活動しているはず。

シャギーはその後THE DIRTY KNEESというバンドでアルバムを出しているが、近年の活動は不明。
デイヴ・アメルズはREIGNING SOUND、THE A-BONES、THE DICTATORS、THE GRIP WEEDS、THE SMITHEREENSなどのアルバムで活躍。

RICHARD HELL/3 New Songs(1992)

RICHARD HELL 3 New Songs.jpg1990年にいきなりリチャード・ヘルが来日し。
92年にはサーストン・ムーア(ギター)、ドン・フレミング(ギター)、スティーヴ・シェリー(ドラム)を迎えたDIM STARSのアルバムが出た。
で、同じ92年にリチャードのソロ名義でリリースされた3曲入りEP。
”3曲の新曲”というあまりにそっけなさ過ぎるタイトル。
3000枚限定。

中身はDIM STARSのアウトテイク集だった。
1991年、ニューヨークで録音。
90年の来日時は、なんともくたびれたインテリ中年といった感だったリチャード・ヘルだったが。
やはり同じような感じのリチャードの写真があしらわれている。
(リチャード、当時41歳)

当時DIM STARSを聴いていた人ならおわかりの通り、基本的にはまんまリチャード・ヘル+SONIC YOUTHといった感じ。
ぶっちゃけDIM STARSはそれ以上でもそれ以下でもなく、リリース前には大騒ぎされつつも、リリース後はそんなに評価されてもいなかった気がするが。
個人的には、80年代半ば以降ほとんど引退状態だった(いやまあ、来日もしたんだけどさ)リチャードが、当時最先端にして最先鋭だったグランジ/オルターナティヴ勢と組んだというんで、それだけでも大満足でした。
ただ、その後リチャードの活動が活発化するとかでもなかった…。

「The Night Is Coming On」と「Baby Huey(Baby Do You Wanna Dance?)」はDIM STARSのアルバムにも収録されていた曲。
聴きモノは「Frank Sinatra」か。
”My name is Frank Sinatra”と繰り返されるスポークン・ワード風の1曲。
残念ながら歌詞がよくわからない。
ともあれイギー・ポップといいリチャード・ヘルといい、フランク・シナトラは好きだったのね、と。

コレを買った当時はまったく意識していなかったが、リリース元はその後英国パンクの発掘音源をやたらとリリースして消えたオーヴァーグラウンド・レコーズ。
へー。
(このブログでもオーヴァーグラウンドのCDはかなり紹介している)

QUICKSILVER MESSENGER SERVICE/MEMORY OF CHESTER & JC(1998)

QUICKSILVER MESSENGER SERVICE.jpg以前にも何度か書いたが、若い頃「西海岸サイケなんて…」と言っていた俺は、90年代後半ぐらいにはMOBY GRAPEやGRATEFUL DEADやQUICKSILVER MESSENGER SERVICEのブートを集めるようになっていた(笑)。
このブログでもMOBY GRAPE『DARK MAGIC』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201804article_14.html)とかGRATEFUL DEAD『RADIO CITY MUSIC HALL 1980』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1102.html)とかを紹介した。
そんな中の1枚。
THE TROGGS『PREHISTORIC SOUNDS』(98年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201804article_26.html)をはじめ、90年代末の2年ほどの間に150タイトル以上のブートCDをリリースして消えたテンダラー・レーベルより。

ただし…ジャケットなどではQUICKSILVER MESSENGERS SERVICEのブートということになっているものの、実際にはそうではない。
73分半、全14曲が収められているが、QUICKSILVER MESSENGER SERVICEの演奏は8曲のみ。
タイトル通りというか、ジョン・シポリナ関連の音源を集めた1枚。
(JCはジョン・シポリナだけど、チェスターって誰だろう)

ブートなので、クレジットはいろいろ怪しい。
「Fresh Air」「Subway」「Mojo」「Mona」の4曲はQUICKSILVER MESSENGER SERVICE、1968年6月、FILLMORE WESTでのライヴとのことだが、明らかに当時いなかったはずのディノ・ヴァレンティの声が聴こえるし、大体70年にリリースされた『JUST FOR LOVE』収録の「Fresh Air」や71年の『WHAT ABOUT ME』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_120.html)収録の「Subway」、更に72年の『COMIN' THRU』からの「Mojo」が68年にライヴで演奏されていたとは考えにくい。。
ともあれこの4曲は、収録曲中でもジョンの鋭いギターが最も冴えわたる音源。
特に「Fresh Air」とかでの金属的にわななく(ここでメタリックと書いてしまうとヘヴィ・メタルを連想してしまうからね)ギター・サウンドには、「いやあ、エレキギターの弦って金属で出来てるんだなあ」と改めて思わされる。
「Mojo」の途中でシンセサイザーみたいな発振音が入ってるのは何だろう。
(アナログ・ディレイのつまみをいじっているのかも知れない)
「Mona」は『HAPPY TRAILS』(69年:https://lsdblog.seesaa.net/article/504478977.html)のヴァージョン以上にラフ。

「Dino's Song」「Babe, I'm Gonna Leave You」はQUICKSILVER MESSENGER SERVICE、1967年9月のライヴという。
パーソネルは多分ゲイリー・ダンカン(ギター、ヴォーカル)、ジョン・シポリナ(ギター、ヴォーカル)、デイヴィッド・フライバーグ(ベース、ヴォーカル)、グレッグ・エルモア(ドラム)の4人編成だろう。
「Babe, I'm Gonna Leave You」はあのMANも『MAXIMUM DARKNESS』(75年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1125.html)で当のジョン・シポリナ入りで演奏していたジョーン・バエズのカヴァー。
フランキー・ヴァリやTHE BEACH BOYSの影響を受けていたMANがコーラスばっちりだったのに較べると、QUICKSILVER MESSENGER SERVICEの方がむしろヨレッとしてるんだけど、QUICKSILVER MESSENGER SERVICEはこの侘しさが良いのだ(笑)。

「Putting It To You」「Drunken Irish Setter」「Bigalow 6-9000」「California Blues」「Chameleon」の5曲は、COPPERHEADのお蔵入りになった2ndアルバムの音源とクレジットされているが、本当かな。
これらの楽曲はCOPPERHEAD単独のブートにも収録されていて、そちらでは彼らの唯一作『COPPERHEAD』(1973年)のアウトテイクとなっている。
いずれにしてもメンバーはジョン・シポリナ(ギター、ヴォーカル)、ゲイリー・フィリペット(ギター、ヴォーカル)、ジム・マクファーソン(キーボード)、ハッチ・ハッチンソン(ベース)、デイヴィッド・ウェバー(ドラム)の5人だろう。
QUICKSILVER MESSENGER SERVICEよりもかなりレイドバックして、「California Blues」は曲名に反してカントリー。

「Angie」はTERRY & THE PIRATES、1972年のスタジオ録音とのこと。
えっ、TERRY & THE PIRATESってそんな時期にスタジオでレコーディングあったの?
(ちょっと怪しい)
ともあれパーソネルはレコード・デビュー以前の初期編成、テリー・ドーラン(ギター、ヴォーカル)、ジョン・シポリナ(ギター、ヴォーカル)、グレッグ・ダグラス(ギター、ヴォーカル)、ハッチ・ハッチンソン(ベース)、デイヴィッド・ウェバー(ドラム)の5人ではないかと思われる…のだが、ピアノがけっこうフィーチュアされているので、ひょっとしたらニッキー・ホプキンスがいた75~76年ぐらいの音源では、という気も。

最後に収録されている「The Letter」「Heebie Jeebies」の2曲はQUICKSILVER MESSENGER SERVICE、1975年の再結成アルバム『SOLID SILVER』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201612article_12.html)からで、レアでもなんでもない。
『SOLID SILVER』は93年にはCD化されていたので、なんでわざわざこの2曲を入れたのだろうと思う。
単に数合わせだったのかも知れない。

COPPERHEADやTERRY & THE PIRATESもイイけど、やっぱり初期のQUICKSILVER MESSENGER SERVICEは格別、と改めて痛感する1枚。
そしてジョン・シポリナもそのことを強く自覚していたのではと。
30代末の若さで新たに結成したバンドにDINOSAURSなんて自虐的な名前を付けたジョンは、45歳で亡くなってしまった。

PINK FAIRIES/NO PICTURE(1997)

PINK FAIRIES NO PICTURE.jpg90年代の一時期存在したポール・ルドルフとトゥインクの二人によるPINK FAIRIES、1996年の『PLEASURE ISLAND』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201612article_9.html)に続く第2弾。
コレをPINK FAIRIESの”オリジナル・アルバム”と呼んでイイのだとしたら、とりあえず87年の『KILL 'EM AND EAT 'EM』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202007article_23.html)と『PLEASURE ISLAND』に続く6thアルバムということになるのだが。
実際にはこのアルバムをPINK FAIRIESの6thアルバムと呼ぶファンは少ないに違いない(苦笑)。

『PLEASURE ISLAND』同様、ポール・ルドルフが住んでいるヴァンクーヴァーでレコーディングされている。
ポールとトゥインクがプロデュース、ポールがエンジニアリングを担当したとあるだけで、楽器のクレジットは皆無なのだが、ポールがギターとベースとヴォーカル、トゥインクがヴォーカルとドラム、そして二人のどちらか(あるいは両方)が打ち込みを手掛けたと思われる。
もちろん(?)、トゥインクが当時主宰していたトゥインク・レコーズからのリリース。

1曲目「People Helping People」は、いきなりエレピをフィーチュアした似非ジャズ・ヴォーカル・ナンバーみたいな曲。
(トゥインクは70年代のTWINK AND THE FAIRIESでもコレに近いような感じのことをやっていた)
しかし2曲目「Love Punks」は、アレンジこそ「?」となるものの、ギター・リフ自体はいかにもポール・ルドルフらしい=PINK FAIRIESらしい1曲。
トゥインクのフィル・インもいかにもと言った感じ。
「Love Punks」という曲名には、同時期のクラウス・ディンガーが”Hippie Punks”を標榜していたことを思い出したりも。

続くタイトル曲「No Picture」は、アルバム中最長で、10分半ある。
しかし前作で最長だった31分(!)の「Cargoe In Jamaica」がかなりカッコよかったのに対して、「No Picture」はユルめのリフと”No picture”というサンプリング・ヴォイスがひたすら反復するだけの、正直かなり期待外れな曲だった。
4曲目「You've Got A Problem」では再びトゥインクらしいドラムが前面に出た、「Love Punks」とトゥインクの『MR.RAINBOW』(1990年:https://lsdblog.seesaa.net/article/505650088.html)に入っていた「Seize The Time」を足したような(?)曲。
5曲目「Going Down To The City」もわりとトゥインクがリードしたっぽい曲調。

アルバム中で一番カッコいいのは、「No Picture」に次ぐ長尺曲(約10分)「'67」だろう。
そっけない曲名は、もちろんサイケデリック華やかなりし1967年のことと思われる。
打ち込みビートとトゥインクの生ドラムがシンクロし、「Cargoe In Jamaica」同様にポール・ルドルフのギターがうねるインストゥルメンタル。
シタールのような音や、変調した声らしきモノも聴こえる。

そしてラストは「Rokon」。
(曲名が意味不明。多分”Rock On”の意)
ユルめの歌モノだけど、ポール・ルドルフのヴォーカル(昔と随分声が違うが)とギター・ソロが前面に出ていてなかなか悪くない。

スリーヴの内側にはアンディ・ガリバルディという人による短いスリーヴノーツがあり。
"MOTORHEADが90年代最後の”オールド・スタイル”ロックバンドとして語られている今日、PINK FAIRIESが帰ってきたことを忘れるべきではない”みたいなことが書いてある。
うーん、それはどうかな(苦笑)。

『PLEASURE ISLAND』同様、初めてPINK FAIRIESを聴く人にこの二人編成時代から聴けと言うことは、絶対ない(苦笑)。
しかし90年代にPINK FAIRIESが復活したことは、当時のファンには大事件だった。
『NO PICTURE』は1998年にキャプテン・トリップ・レコーズから国内配給されているが、その際には音楽ライターの白谷潔弘氏がえらく気合の入ったライナーノーツを寄せていた。

ところで、女性と馬があしらわれたジャケット。
このアルバムがリリースされた直後、俺は当時勤めていた会社の後輩の部屋で、卓上カレンダーの中にこの女性と馬の姿を見たのだった。
もちろんそのカレンダーでは、女性にも馬にも黒い”目線”は入っておらず。
ついでに女性は衣類もまったく着けていなかったのだが(笑)。
(このアルバムには表ジャケットの写真を撮ったカメラマンの名前もモデルの名前も一切クレジットがない)
あのカレンダー、もらっておけばよかったな…。

PINK FAIRIESの長い歴史の中で、とりあえず同じ編成で2枚続けてアルバムが制作されたのは、コレが初めてだった。
ともあれ二人PINK FAIRIESは2作で打ち止めとなり。
(白谷潔弘氏のライナーによれば3rdアルバムも予定されているということだったが…)
21世紀に入ってダンカン”サンディ”サンダーソンとラッセル・ハンターによるPINK FAIRIESとポール・ルドルフを中心とするPINK FAIRIESがそれぞれにアルバムを出すという事態に至ったりも。
(そしてポール率いる現行PINK FAIRIESは、20年以上ぶりに再度同じ編成でアルバムを2枚出すという”偉業”を成し遂げている)

しかし…少し前にPINK FAIRIESのライヴ盤『FINLAND FREAKOUT 1971』(https://lsdblog.seesaa.net/article/517061468.html)を紹介した時に”ラッセル・ハンターはどうしていることか”なんて書いたんだけど、ラッセル2023年12月19日に77歳で亡くなってたのな。
(いかん、つい最近まで全然知らんかった)
ダンカン・サンダーソンとラッセルが世を去ったということは、”そっちの”PINK FAIRIESは完全に終わったということだろう。
(トゥインクに代わってツイン・ドラムの片割れを務めていたジョージ・バトラーも既に亡く)
つまり往時のPINK FAIRIESのメンバーは、今やトゥインクとポール・ルドルフという、この二人PINK FAIRIESをやっていた人たちしか残っていないワケだ…。

OZRIC TENTACLES/PUNGENT EFFULGENT(1989)

OZRIC TENTACLES.jpg1983年の結成から既に42年、幾多のメンバー交代を重ねながらリリースを続けるOZRIC TENTACLES。
個人的には、『JURASSIC SHIFT』(93年:https://lsdblog.seesaa.net/article/202104article_13.html)をはじめとする90年代の諸作に限る、と思うが。
まあ実際のところは、どれを聴いても同じようなもんなんだけどさ(笑)。

で、1985~89年にかけてはカセットテープのみのリリースだったOZRIC TENTACLESが初めて出したCDがコレ。
カセット時代の音源もその後CD化されているが、通常はコレがOZRIC TENTACLESの”1stアルバム”とされることが多い。
オリジナル・リリースはデイヴ・アンダーソン(元HAWKWIND、AMON DUUL Ⅱ他)のデミ・モンドから。
俺の手元にあるのは93年にバンド自身のレーベル、ダヴテイルから再発されたモノ。
(オリジナルより1曲多い)

俺がOZRIC TENTACLESというバンドを知ったのは札幌在住だった80年代末のことだが。
前橋に住んでいた90年代前半、市内に鳴り物入りで開店してすぐ潰れた(…)大きな輸入盤屋に『JURASSIC SHIFT』をはじめとするOZRIC TENTACLESのオリジナル・アルバムが並んでいて。
そこでこの『PUNGENT EFFULGENT』とかも買った。
今思えば、『JURASSIC SHIFT』当時のOZRIC TENTACLESにリアルタイムで接することが出来たのはラッキーだった。

この時点でのメンバーはエド・ウィン(ギター、シンセサイザー)、”ジャンピング”ジョン・イーガン(フルート、ヴォイス)、ジョイ・ヒントン(シンセ、サンプラー)、ロリー・ウィン(ベース)、マーヴことマーヴィン・ペプラー(ドラム)、ポール・ハンキン(パーカッション)の6人。
現在はウィン夫妻と息子を中心とするファミリー・グループとなっているOZRIC TENTACLESだが、この頃はウィン兄弟が中心となっていた。
他に、ティグことニック・ヴァン・ゲルダー(ドラム)、マーカス・C・ディエス(パーカッション)、ジェネレーター・ジョンことジョン・シュチャード(ドラム)が1曲ずつ参加している。

で、OZRIC TENTACLESのアルバムとしては珍しいことに、1曲目「Dissolution(The Clouds Disperse)」にヴォーカルが入っている。
ヴォーカルというか、クレジット通りジョン・イーガンの”ヴォイス”だが。
ライヴ中にジョンが”語り”を発することはよくあった初期OZRIC TENTACLESながら、スタジオ作で言葉を伴う声が入っている曲は本当にわずかしかない。
(単に”声”だけだったら他にも多少あったと思う)

ともあれ音楽性自体は現在に至るまで全く変わっていない。
スティーヴ・ヒレッジ在籍時のGONGにアラビックな旋律やレゲエやアンビエントなど何でもかんでもぶち込んだみたいな、エスニックで踊れるスペース・ロック。
速い曲も遅い曲もひたすらサイケデリックに浮遊し続ける。

OZRIC TENTACLESの曲の中で俺がダントツで好きなのは『JURASSIC SHIFT』収録の「Stretchy」だが。
次に好きなのは多分このアルバムに入っている「Kick Muck」だろう。
まあほとんどGONGそのものなリフだけどね(笑)。
しかしカッコいい。
ちなみに「Kick Muck」というのは、野外フェスティヴァルで客が踊った時に舞い上がる砂埃のことらしい。
いかにも野外レイヴ育ちのこのバンドらしいというか。

楽曲の好みもあるけど、やっぱりバンドとしても、ロリー・ウィンとマーヴがリズム・セクションで、ジョン・イーガンのフルートとジョイ・ヒントンのシンセが飛び回るこの頃に思い入れがあるなあ。
(いやまあ、実際にはそこらへんも、メンバー代わっても大体一緒なんだが)

その後バンドを脱退したロリー・ウィンは、1999年に亡くなっている。
90年代以降の英国サイケデリックを代表するようなイメージがあるエド・ウィンは、現在コロラド在住らしい。
ちょっと意外。

MICHAEL HOENIG/DEPARTURE FROM THE NORTHERN WASTELAND(1978/87)

MICHAEL HOENIG.jpgAGITATION FREEのキーボーディスト、ミヒャエル・フーニッヒ(ヘーニヒではない)の記念すべき1stソロ・アルバム。
記念すべきってか、この人サントラじゃないソロ作2枚しか出してないけどさあ。

ミヒャエル・フーニッヒの来歴については、2ndソロ・アルバム『XCEPT ONE』(1987年)のレヴューを御参照ください。
https://lsdblog.seesaa.net/article/202007article_17.html
ともあれAGITATION FREE脱退後、クラウス・シュルツェとのTIMEWIND、TANGERINE DREAM、マニュエル・ゲッチングとの活動を経て、アメリカの大手ワーナーと初めて直接契約したドイツ人ミュージシャンとして、それなりの期待とともに制作されたであろうソロ・デビュー作が『DEPARTURE FROM THE NORTHERN WASTELAND』だった。
ミヒャエル、当時26歳。

オリジナルLPの熱気球がたくさん浮かんでいるジャケットで知られるアルバムだと思うが。
俺の手元にあるのは1987年のドイツ盤CDで、ジャケットが違う。
このアルバムが87年にCD化されたのは、『XCEPT ONE』のリリースを受けてのことだったのだろうか。
知らんけど。
(CD化に際してのデジタル処理は当時ミヒャエル・フーニッヒが住んでいたLAで行なわれている)
”北方の荒れ地からの出発”というタイトルにはどちらのジャケットもそれなりに合っていると思うものの、LPの方はちょっと能天気すぎるかな、という気もしないでもない。

プロデュースとミックスはミヒャエル・フーニッヒ自身による。
ただしミックスはコニー・プランクがかなり手伝ったらしい。

『XCEPT ONE』にはハロルド・バッド(シンセサイザー)、ラルフ・ハンフリー(ドラム)が参加していたが。
『DEPARTURE FROM THE NORTHERN WASTELAND』もミヒャエル・フーニッヒ(シンセ、キーボード)以外にAGITATION FREE時代の盟友ルッツ・ウルブリッヒ(ギター)、同じくAGITATION FREE最初期のヴォーカリストだったミッキー・デューヴェ(ハーモニー)、ウッシ・オバーマイヤー(ヴォイス)が参加している。
アルバムでは”lead harmonies”とクレジットされているミッキーは、Discogsでは”Harmony Vocals”と表記されているんだけど、彼の名前がクレジットされている「Sun And Moon」にはヴォーカルは全く聴こえないし、リード・ハーモニーというのは声ではなくてキーボードのことだろう。
(Wikipediaにはキーボードとある。ミッキーはシンガーとして知られる一方、ギターやキーボードやフルートも演奏していた)
タイトル曲冒頭のスキャットを担当しているウッシはオリジナルAMON DUULの一員だった一方、60年代の西ドイツのシーンではグルーピーとしても知られていたという。

聴きモノはなんと言ってもアナログA面全部を使った21分近いタイトル曲。
短期間一緒にやっていたマニュエル・ゲッチングが同じ年にASHRAとしてリリースした『BLACKOUTS』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_737.html)に近い方向を見ているアルバムだと思うが、マニュエルが基本ギターでやっている(キーボードも弾くけど)のに対して、こっちはシンセサイザーを主体とした反復&多重録音。
(ルッツ・ウルブリッヒはタイトル曲でいかにも”らしい”ギターを聴かせるとはいえ、それほど前面に出ているワケではない)
ノリ一発っぽい(?)マニュエルの音楽(その後の『E2-E4』が本当にインプロ一発録りだったのは有名)に較べるとかなり構築的。

当時としては機材や演奏技術の面で最先端を行くメカニカルな音楽だったのかも知れないが。
半世紀近く経った今では、いかにもアナログ・シンセの時代らしい温かみのあるミニマル・サウンドという感じ。
(北の荒れ地から多分南へと旅立っていくんだからね)
いや…ってか、10年近く後の『XCEPT ONE』でのシンクラヴィアが今ではレトロっぽく聴こえる一方で、『DEPARTURE FROM THE NORTHERN WASTELAND』の方がむしろ古臭さがないぞ。
傑作であります。

そしてミヒャエル・フーニッヒ、AGITATION FREEで来日した2007年以降は音沙汰がない。
現在73歳。
引退してガーデニングをやってるかなあ。


追記:
いやいや、ミヒャエル・フーニッヒ、2023年にAGITATION FREEでアルバム出してたよ!
全然チェックしてなかった…。

(2025.11.2.)

KEVIN K & THE REAL KOOL KATS/KISS OF DEATH(2003)

KEVIN K.jpgケヴィン・K、KEVIN K & THE REAL KOOL KATSとしての1stアルバム。

メンバーはケヴィン・K(ギター、ヴォーカル、ハープ、パーカッション)、ジャック・オリヴァー・リロイ(ギター、ヴォーカル)、リッチー・バズ(ベース、アコースティック・ギター)、ドク・アイオリー(ドラム)の4人。
ジャック・O・リロイはケヴィンが昔やっていたNEW TOYSに参加していたこともあり、古くからの馴染みだったらしい。
他にビー・スーパースターという人がヴォーカルでゲスト参加している。

同様にジョニー・サンダース・ワナビーとして知られたジェフ・ダールにも近い、軽~いR&Rは相変わらず。
まあバンド名義だろうがソロだろうが、この人は基本的にどれ聴いても同じッスわ(笑)。
いや、2009年のソロ作『DEUTSCHLAND』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202011article_6.html)だけはちょっと異色だったが。

ただ、以前にも書いた通り(これまたジェフ・ダール同様)、本家(?)ジョニー・サンダースに較べると軽い分硬質でタイト。
そしてポップでキャッチー。
曲作りにはジェフともまた違ったケヴィン・Kなりの個性を感じる。
アコースティックな「Can't Laugh」や「Together Forever」なんか、凄く良いですよ。
1曲だけジャック・O・リロイと共作した「Road To Ruin」では”GABBA GABBA HEY!”なんて歌っていたり。

あとこのアルバム、ロリポップ・レコーズというフランスのインディ・レーベルから出ているのだが。
かなり音圧があってかつダイナミックなサウンド。
プロデュースとエンジニアリングを担当したミシェル・ガルシアが有能だったのだろう。
(ミシェルは『DEUTSCHLAND』他のケヴィン・K作品も何枚か手掛けているが、2016年5月に亡くなったという)

13曲オリジナルが続いた後、ラストはナンシー・シナトラで有名な「These Boots Are Made For Walking」のカヴァーで締める。
ケヴィン・Kがこのアルバムを大好きなジェニファー・ラヴ・ヒューイットに送ったところ全く返信などなく、しかし半年後にジェニファーがTVで「These Boots Are Made For Walking」を歌っていた(苦笑)…というのは、以前書いた通り。
ジェニファーはケヴィンがこのアルバムを送った10年後の2013年に結婚していて、現在は二児の母となっている。
今後もケヴィンにチャンスはなさそうだ…。