SAM GOPAL/ESCALATOR(1969)

SAM GOPAL.jpg今更SAM GOPALですか、と言われそうだが、はい、今更SAM GOPALです。

サム・ゴパルはマレーシア出身。
(”サム・ゴーパル”と表記されることもあるが、発音はむしろ”サム・ゴパール”の方が近い)
7歳からタブラを演奏するようになり、1962年にロンドンに渡る。
66年頃にSAM GOPAL'S DREAMを結成。
当時のメンバーはサム・ゴパル(タブラ他)、ミック・ハッチンソン(ギター)、ピート・シアーズ(ベース)、アンディ・クラーク(キーボード)の4人。

サイケデリック渦中のロンドンでジミ・ヘンドリックスなどと対バンしたSAM GOPAL'S DREAMだったが、レコード・デビュー出来ないまま解散。
サム・ゴパル以外の3人は元THE PRETTY THINGSのヴィヴ・プリンス(ドラム)とVAMPで活動した後、ミック・ハッチンソンとアンディ・クラークはCLARK-HATCHINSONを結成してジェフ・ベックとも絡み、ピート・シアーズはSILVER METRE(https://lsdblog.seesaa.net/article/201710article_2.html)などを経てJEFFERSON STARSHIPに加入し、サム・ゴパルよりよっぽど有名になる。

その後サム・ゴパルは新たなメンバーでSAM GOPALを結成。
今度はレコード・デビューを果たす。
1968年にレコーディングされ、69年1月にステイブル・レコーズからリリースされたのがアルバム『ESCALATOR』。
メンバーはジャケット左からイアン”レミー”ウィリス(ヴォーカル、ギター)、ロジャー・デリア(ギター)、サム・ゴパル(タブラ他)、フィル・デューク(ベース)の4人。
そう、ヴォーカルとギターを担当していたのはMOTORHEADで知られるレミーその人であった。
ロジャーと友人だったことからこのバンドに参加したのだという。

それまでろくに歌ったことなどなかったレミーだが、このアルバムでは全11曲中、実に5曲をレミーが一人で作詞・作曲し、全曲のリード・ヴォーカルを担当している。
(レミーによれば、バンド名義の曲も含め、ほとんど一人で一晩で書いたという)
で、バンド名義による他の曲も含め、若々しいレミーの声(レコーディング当時22歳)がなんとも言えない哀感を醸し出す、ダークでアンダーグラウンドなサイケデリック・ロックを聴かせる。
ドラマーがいなくてボトムがタブラなどのハンド・パーカッションなので、ヘヴィネス控えめで、一方同様にドラマーがいなかったTHIRD EAR BANDなんかと同様に、アングラ臭が半端ない。
(ただし「Midsummer Nights Dream」あたりは明らかに普通のドラムが用いられている)

しかしどの曲もメロディアスで良い。
(女性コーラスをフィーチュアしたドノヴァンのカヴァー「Season Of The Witch」もなかなかの出来)
「You're Alone Now」のサビメロがそのまんまHAWKWIND/MOTORHEAD「The Watcher」に引き継がれたのは、よく知られるところ。
A面ラストは「It's Only Love」、B面ラストは「Yesterlove」と、いずれもレミーの手になる(多分)ラヴ・ソングで、MOTORHEADからは想像もつかないレミーのソフトなヴォーカルが聴ける。

YouTubeではレミー作の「The Sky Is Burning」の動画が観られる。
アルバムではレミーとロジャー・デリアがそれぞれリード&リズム・ギターとクレジットされているが、「The Sky Is Burning」の動画からして、基本的にレミーがリズムでロジャーがリードだったのではと思われる。
(レミーは初めて担当するヴォーカルで忙しかっただろうし、そもそもリード・ギターが弾けないという理由でP.P.アーノルドのバンドをクビになっているし)
あと、改めて聴いてみるとアンサンブルの主役はリード・ベース的なフィル・デュークのプレイだ。
(この人その後シーンから消えてしまったのが惜しまれる)

レミー曰く、サム・ゴパルはこのバンドでスターになると決意していたそうだが。
いや…タブラがパカポコ鳴ってるこのアングラ臭ぷんぷんな音楽性で、本当にそう思ってたの?

ステイブルがあまりにも弱小レーベルだったこともあり、『ESCALATOR』は当時ほとんど話題にならなかった。
(レミーによれば1枚も売れなかったということだが、いやそれは言い過ぎってもんだろう)
シングル「Horse」もまったく売れず。
(アルバム各曲のメロディアスさを考えれば、どうしてこんな平板な曲がシングルだったのか、とも思う)
しかし「The Sky Is Burning」のプロモーション動画を撮っていたりして、ステイブルも弱小なりにSAM GOPALの売り出しに注力していたことは間違いないと思われる。

俺の手元にあるのは80年代のブート再発LPと、1999年にキャプテン・トリップ・レコーズから国内配給されたCD。
CDにはボーナス・トラックとしてシングル両面「Horse」「Back Door Man」(THE DOORSでも知られるウィリー・ディクソンのカヴァー)が収録されている。

SAM GOPALは結局1969年半ばに解散。
その後のレミーについては言うまでもない。
ロジャー・デリアは70年代半ばにトゥインクのバンド・GLIDERに参加したが、その後の消息は知れない。
サム・ゴパルはアラン・クラーク(ヴォーカル)、ミッキー・フィン(ギター)、フレッド・ガンディ(ベース:元THE FAIRIES)、モックス・ゴウラント(ハープ、フルート)という新たなメンバーを迎えてCOSMOSISを結成。
(ミッキーは元MICKEY FINN & THE BLUE MEN、その後STEVE MARRIOTT'S ALL STARSやTHE FALLEN ANGELSで活動したギタリストで、T.REXのミッキー・フィンとは別人)
LED ZEPPELINで知られるピーター・グラントをマネージャーに迎えながら、レコード・デビューとは無縁のまま71年に解散している。
(サムが交通事故で大怪我をしたせいもあったらしい)

COSMOSIS解散後、サム・ゴパルはデイヴィッド・アレンのアルバムやジリ・スマイスの『MOTHER』(1978年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1473.html)などに参加していたが、その後シーンからフェイドアウト。
しかし91年、レミーと道端で再会したサムは、レミーに新バンド結成を宣言したらしい。
その後ドイツに移住したらしいサムは、99年になっていきなりソロ・アルバム『FATHER MUCKER…RHYTHM ON A TIGHTROPE』をリリースして一部のマニア(俺含む)を驚かせた。
しかもそのアルバムにはかつての盟友アンディ・クラークが参加していたのだった。
更に言うと、CLARK-HATCHINSONは2010年にTHE DEVIANTS/PINK FAIRIESのトリビュート・アルバム『PORTOBELLO SHUFFLE』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_461.html)で健在をアピールし、これまた一部のマニアを驚かせることになる。

レミーは既に亡く。
サム・ゴパルはどうしていることか。
ともあれ同じステイブルからリリースされたTHE DEVIANTS『DISPOSABLE』(https://lsdblog.seesaa.net/article/499477099.html)が2度も国内CD化されていることを思えば、『ESCALATOR』も改めて国内CD化されてもおかしくないはず…と個人的には思う。

THE RATIONALS/TEMPTATION 'BOUT TO GET ME(1995)

RATIONALS.jpgSONIC'S RENDEZVOUS BANDのスコット・モーガンが元THE RATIONALS…ということは80年代から知っていたのだが。
しかしTHE SCOTT MORGAN BANDなどを買い集めていく一方で、RATIONALS唯一のオリジナル・アルバム『THE RATIONALS』(1970年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_863.html)は長らくCD化されることがなく。
俺が初めて入手したRATIONALSの音源がこのCDだった。
MC5周辺の発掘リリースを活発に行なっていたトータル・エナジーからのリリース。

ジャケットには1968年11月27日、GRANDE BALLROOMでのライヴとあるが、ブックレットには10月27日と書いてあって、こちらが正しい様子。
同じトータル・エナジーからリリースされていたMC5の12inch「Ice Pick Slim」(https://lsdblog.seesaa.net/article/202005article_27.html)のB面に収録された「I'm Mad Like Eldridge Cleaver」が演奏されたのと同じライヴでの音源。
(MC5がトリを務めたチャリティ・ライヴだったという)
THE RATIONALS、アルバム・デビュー以前。
よくこんな音源残ってたなあ。
音質はなかなか良好。
メンバーはスコット・モーガン(ヴォーカル、フルート、ハープ、パーカッション)、スティーヴ・コレル(ギター)、テリー・トラバント(ベース)、ビリー・フィグ(ドラム)の4人。

プロデュースはジョン・シンクレアで、クレジットが抜けているがライナーノーツもジョンだと思われる。
バンド・ロゴはMC5のロゴでも有名なゲイリー・グリムショウ。
(この頃の彼のデザインは正直あまり冴えてない)

全8曲中、オリジナル曲は「Ha Ha」「The Instrumental」の2曲のみ。
スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの「I Put A Spell On You」をはじめ、5曲は黒人音楽のカヴァー。
「Ha Ha」とTHE KNIGHT BROTHERSのカヴァー「Temptation 'Bout To Get Me」は『THE RATIONALS』にも収録されている。
で、ラストに収録された「Remarks」というのは”曲”ではなく、ジョン・シンクレア、ロブ・タイナー、ウェイン・クレイマーらMC5関係者による煽りMC(の断片)みたいなやつ。

MC5やTHE STOOGES同様、THE RATIONALSについてもデトロイトのプロト・パンクに違いない、と思っていたのだが、実際に聴いてみたらかなり違った。
ウィリー・ディクソンとかのカヴァーが大半であることからも明らかな通り、基本的にはソウルフルなガレージ/サイケデリックというか、乱雑なブルー・アイド・ソウルみたいなのを演っている。
で、乱雑なというのがミソで(?)というか、演りたいことに技術他いろいろなモノが追い付いていない感じ。
その分、後半の「The Instrumental」とか「Wang Dang Doodle」とかにはプロト・パンク的な荒々しさが濃厚で面白いんだけど。

しかしインストゥルメンタル・パートでフルートをフィーチュアしているところなんかは、まったくプロト・パンク的ではない。
一方でそれがこのバンドのユニークなポイントでもあった。
「Guitar Army」やアレサ・フランクリンのカヴァー「Respect」をはじめ、オリジナルでもカヴァーでも当時の彼らの人気曲が演奏されていないが、スコット・モーガンは人気のあるレパートリーを毎晩演奏するような活動には興味がなかったのだという。

スコット・モーガンはこのバンドの後もGUARDIAN ANGELSやSONIC'S RENDEZVOUS BANDなどを経て90年代以降も活動を続けた。
(BLOOD SWEAT & TEARSに誘われたこともあったという)
2013年頃から体を壊して、17年頃には生活に困窮しているというニュースがあったが、その後どうしているだろうか。
テリー・トラバントは70年代にはジョー・ウォルシュやロイ・ブキャナンと活動していたが、11年12月に亡くなっている。

THE PINK FAIRIES/FINLAND FREAKOUT 1971(2008)

PINK FAIRIES FINLAND FREAKOUT 1971.jpgPINK FAIRIES(このCDでは定冠詞付きの”THE PINK FAIRIES”)、トゥインク脱退後のトリオによるライヴ音源。

フィンランド南部トゥルクのルイッサロ国立公園で1971年8月20~22日にかけて行なわれたフェスティヴァル「RUISROCK FESTIVAL」(あるいは単に「TURKU ROCK FESTIVAL」)の2日目、8月21日。
コレはフィンランド初のポップ/ロック系野外フェスティヴァルにしてヨーロッパでは2番目に古いフェスティヴァルで、現在まで続いているという。
(この年は他にJEFF BECK GROUPやCANNED HEATやJUICY LUCYやFAIRPORT CONVENTIONが出演していたとのこと)
国立公園だけあって、非常に景色の美しい場所だったそうで。

以前このブログで紹介した『LIVE AT WEELEY』(1999年:https://lsdblog.seesaa.net/article/202102article_17.html)の約1週間前の演奏。
「WEELEY FESTIVAL」とは違い、PINK FAIRIESは正式にブッキングされて出演した様子。
(当時HAWKWINDとPINK FAIRIESは、フェスティヴァルのゲート前とかで勝手に演奏するというゲリラ・ライヴをよくやっていた。当然ノーギャラで、レミーはそれが気に入らなかったとか)
この少し前にトゥインク(ドラム、ヴォーカル)が脱退していて、当時のメンバーはポール・ルドルフ(ギター、ヴォーカル)、ダンカン”サンディ”サンダーソン(ベース)、ラッセル・ハンター(ドラム)という、元THE DEVIANTSの3人。
(ブックレットにはトゥインク在籍時の4人編成の写真もフィーチュアされているが)
ラッセルはJUICY LUCYのドラム・キットを借りての出演だったという。

音質は『LIVE AT WEELEY』よりもかなり良い。
(フィンランド国営放送の音源)
THE BEATLESカヴァー「Tomorrow Never Knows」、そして「The Snake」(「WEELEY FESTIVAL」よりもかなり短い6分半)、「Uncle Harry's Last Freakout」(これまた「WEELEY FESTIVAL」よりもちょっと短い20分)という選曲は『LIVE AT WEELEY』と同じだが。
こちらにはTHE VENTURESカヴァー「Walk Don't Run」(13分半)が入っている。

演奏は超強力。
荒々しくヘヴィ。
トゥインクが脱退し、デビュー当時のツイン・ドラムという特色こそ失われているが、「The Snake」での突進ドラム(ラッセル・ハンターってホント上手いのか下手なのかさっぱりわからない…)+ギターとベースを聴く限り、当時のPINK FAIRIESがトリオという小編成でとんでもない爆音ハード・サイケをぶちかましていたことが痛感される。
THE DEVIANTS加入当時は初心者だったダンカン・サンダーソンは、「Walk Don't Run」後半ではジャズを思わせるグルーヴィーなフレーズを紡いでいるし。
そしてポール・ルドルフは随所で歪んだギターを存分に炸裂させる。
(この人70年代後半までイギリスで活動していて、その後90年代にトゥインクとPINK FAIRIES名義を復活させるまでは地元カナダでバイク屋をやっていたという…)

ライナーノーツはラッセル・ハンターが書いている。
(国内配給盤のライナーは奥村裕司氏)

21世紀に入り、ポール・ルドルフはPINK FAIRIES名義を再び復活させ。
一方ダンカン・サンダーソンは既に亡く。
ラッセル・ハンターはどうしていることか。

NEU!/NEU! 2(1973)

NEU! 2.jpgNEU!のアルバムで、一般的に(?)一番人気が高いのは『NEU! 2』なんだろうか。
ネットをつらつら見ていると、そんな気がしなくもない。

俺が初めて買ったNEU!のアルバムは1st『NEU!』(1972年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201808article_11.html)。
次に買ったのが3rd『NEU! 75』(75年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201709article_15.html)。
いずれもLPで。
(高価かった)
一方『NEU! 2』を初めて買ったのは、94年のジャーマノフォン盤CDで。
シンプル極まりないのに浮遊感が凄い「Hallogallo」とかが入ってる『NEU!』、SEX PISTOLSに先駆けるパンクな叫びを聴かせる『NEU! 75』に対して、実は個人的には『NEU! 2』が一番思い入れが少なかったりする。

いや…久しぶりに聴き直してみたら、やっぱりカッコいいわコレ。
(おせえよ)

「Fur Immer」は「Hallogallo」の続編的な曲。
しかしこのアルバムでのNEU!はクラウス・ディンガー(ギター、ドラム、パーカッション、ヴォーカル、ピアノ、バンドネオン、エレクトロニクス、ターンテーブル、琴)とミヒャエル・ローター(ギター、ベース、ピアノ、ヴァイオリン、ツィター、パーカッション、エレクトロニクス、テープレコーダー)と、前作と同じ二人組ながら、使用楽器がもの凄く増えていて。
(”Japanbanjo”とクレジットされているのがいわゆる”琴”なのかどうかはよくわからない)
その分『NEU! 2』のA面は『NEU!』よりも音数が多く、作り込まれている。
かのイギー・ポップはNEU!を”サヴェージ”と評したが、「Fur Immer」を聴くと、この時点でヘヴンリーなLA DUSSELDORFの種が既に蒔かれていたような感もある。
(いや、LA DUSSELDORFも十分サヴェージだけどね)
一方で『NEU! 75』の先鞭をつけるような、ワイルドな「Lila Engel」もあり。
(この曲名はその後クラウスがプロデュースしたLILAC ANGELSに引き継がれる)

しかしよく知られている通り、NEU!の二人と共同プロデューサーのコニー・プランクは、A面の録音を終えた時点で予算をほぼ使い果たしたうえ、押さえていたスタジオの日程も1日しか残っていなかったんだそうで。
そこで、先行シングルの2曲「Super」と「Neuschnee」の回転数を変えたりカセット・テープレコーダーで音をいじったり…という、当時としてはおよそ信じられないような手法でB面をでっちあげる。
(全部一晩でやったらしい)
カセットテレコで加工した曲名が「Cassetto」って、悪い冗談としか思えない。
(「Hallo Excentrico!」に至っては、「Neuschnee」シングル盤を手で回していたという。元祖スクラッチ…)
よく”リミックスの祖”みたいに言われる『NEU! 2』B面、ってかクラウス・ディンガー自身がそんな風にも語っているが…いやいやこんなんリミックスちゃうやろ。
クラウスも後付けでどや顔してみせただけでしょ?(苦笑)

それでも何となく(?)エクスペリメンタルなロックとして成立しちゃってるからすげえな…。
コレはまず、「Super」はさておき「Neuschnee」がインストゥルメンタルだったこと(「Super」も歌詞らしい歌詞はない)、そしてあまりにシンプルな楽曲構造が幸いしたと言うべきだろう。
(シンプルもシンプル、骨組みたいなロックだ)
そして何よりオリジナルの回転数の「Super」と「Neuschnee」が名曲だった。
それは聴けば明らか。
(とはいえ当時このアルバム、詐欺扱いされたらしいけど)

これまたよく知られる通り、「Super 16」(「Super」を16回転で再生しただけの”ヴァージョン”)は香港映画『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』(1975年)のサウンドトラックに(無断で)使用されている。
使う方も使う方だけど、使われたNEU!も凄かったね…。

ともあれコレで『NEU! '86』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_351.html)を含むNEU!のオリジナル・アルバムはほぼ全部このブログで紹介したので、もうNEU!について言及することもないだろう。
(唯一取り上げてない『NEU! 4』は『NEU! '86』のプロトタイプみたいなもんだし)

MICK FARREN/MONA(THE CARNIVOROUS CIRCUS)(1970)

MICK FARREN.jpg1969年、THE DEVIANTSは北米ツアー中に分裂。
一人で帰国したミック・ファレン(ヴォーカル)が仲間を集めてこしらえた1stソロ・アルバム。

バックを務めたのはCHRIS FARLOWE WITH THE HILLにいたスティーヴ・ハモンド(ギター)とピート・ロビンソン(オルガン、ピアノ)、この頃既にエルトン・ジョンを活動するようになっていたポール・バックマスター(チェロ)、元THE MERSEYBEATSのジョン・ガスタフソン(ベース)、元THE PRETTY THINGSのトゥインク(ドラム)、”シャグラット・ザ・ヴェイグラント”とクレジットされた元TYRANNOSAURUS REXのスティーヴ・トゥック(ヴォーカル、パーカッション)、そしてラウル(コンガ)。
ラウルという人だけ正体不明だけど、それ以外は超豪華メンバーじゃないですか。
ピートとジョンっつったらこの後QUATERMASSだし。

しかし。
既にハード・ロックが勃興しつつあったこの時期に、このアルバムはQUATERMASSとかで聴かれるような整合性一切なし。
ボ・ディドリー「Mona」(2ヴァージョン)とエディ・コクラン「Summertime Blues」というカヴァーに挟まれて、タイトル曲「Carnivorous Circus」パート1と2。
いずれもとんでもなく歪んでねじれた、グチャドロで野蛮な、闇鍋サイケデリックが炸裂する。
QUATERMASSでオルガン・ハードを聴かせるピート・ロビンソンも、エルトン・ジョンのアレンジャーとして世界的に有名になるポール・バックマスターも、キメキメだったとしか思えない狂ったプレイ。
そこに、歌唱力が限りなくゼロに近いミック・ファレンのスポークン・ワード的なヴォーカルが乗る。

ってかそれぞれが各4部構成のタイトル曲は、大半が曲とも言えないようなノイズと言葉のコラージュ。
パート1も2も一応R&Rっぽく始まるが、すぐに何だかわからない世界に突入。
THE DEVIANTSでアルバム3枚出した後に、いきなり1stの方向性に揺り戻したみたいな。
ミック自身は、DEVIANTSはアルバムを重ねる間に”まとも”なロックになり過ぎた、ぐらいに思っていたのかも知れない。
(そしてミックは、当時精神的に病んでいたと回想している)

一方で「Carnivorous Circus Part Ⅱ」の最終パート「An Epitaph Can Point The Way」で際立つ侘しさ。
ここでのトゥインクは、全キャリアを通じて最もドラマティックなドラミングを聴かせていると思う。
そして7分半に及ぶ「Mona(The Whole Trip)」で再び全員が大暴れして終わる。

ピート・ロビンソンとジョン・ガスタフソンはこの頃既にQUATERMASS結成に動いていて。
シーンがハード・ロックとプログレッシヴ・ロックに向かう、そのような時代であった。
しかし端正な速弾きのハード・ロックにもクラシカルなアレンジのプログレにも全く興味のなかったミック・ファレンは、当時の英国ロック・シーンに最早自分の居場所はないと感じたのだろう。
ミックは作家/編集者としての活動にシフトし、シンガーとして復活するのはパンク勃興後のことになる。

このアルバムが1999年にキャプテン・トリップ・レコーズからCD化された時は、俺がライナーノーツを担当した。
(各楽曲の邦題も俺が考えた)
げっ、もう26年前かよ。
そしてこのアルバムが国内発売されたのはその1回限り。
トゥインクの『THINK PINK』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202109article_27.html)もそうだけど、こんな名盤、もっと手に入りやすくしてくれなくちゃ、と思わずにいられない。

ミック・ファレンの2ndソロ・アルバム『VAMPIRES STOLE MY LUNCH MONEY』(1978年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_96.html)が国内CD化された時、ジャケットは俺が持っていたLPから起こしてあったが。
この『MONA(THE CARNIVOROUS CIRCUS)』にも似たような思い出話がある。
(詳細は秘す)

KRAFTWERK(1970)

KRAFTWERK.jpg”今日の旧譜”、ここしばらくサイケのアルバムを取り上げていたのだが。
ところで初期KRAFTWERKってサイケなんだろうか。

ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダー・エスレーベンの二人が出会ったのは学生時代、60年代半ば。
当時の二人はLSDをキメていたりもしたらしい。
KRAFTWERKの前身バンドにあたるORGANISATIONは、音からしてもサイケと言って間違いないのではと思う。
しかし初期KRAFTWERKはどうだろう。

いまだに初期の3枚が再発されないのは、ラルフ・ヒュッターらメンバーたちが4枚目以降のアルバムと同列なKRAFTWERKのアルバム、とは認められない…と考えているからだそうだが。
それはつまり、初期のKRAFTWERKはその後の彼らの理想に近かった方向性とは違い、”まだサイケだっただから”ということでは、という気もする。

ともあれKRAFTWERKの1stアルバム。
俺の手元にあるのは1994年のジャーマノフォン盤ブートCD。
メンバーはラルフ・ヒュッター(オルガン)、フローリアン・シュナイダー(フルート、ヴァイオリン、エレクトリック・パーカッション)、アンドレアス・ホーマン(ドラム)、クラウス・デインガー(ドラム)。
プロデューサーはコニー・プランク。
ポップ・アートなジャケットはラルフの手になるモノ。

ってかなんだその編成。
ギターもいなけりゃベースもいない。
メインのメロディ楽器がフルートって。

で、「Ruckzuck」の浮遊するフルートを聴いていると、うん、非常にサイケデリック。
フルートに限らず、各楽器のエフェクトの用い方はかなりサイケデリックに聴こえる。
「Stratovarius」のノイジーなアプローチも、なかなかサイケな感じ。
(本人たちは現代音楽のセンを狙っていたのかも知れないが)

あと、KRAFTWERKというと淡々とした反復ビートというイメージが先に立つんだけど、実際にはけっこうドラムが暴れている。
アルバム中1曲のみクラウス・デインガーがドラムを叩いた「Vom Himmel Hoch」ではドラムの暴れっぷりが一際で、それに煽られるようにしてオルガンもかなりラウドに聴こえる。
なんか、ハード・ロックみたい。
(クラウスのプレイ、NEU!とも随分違う)

ハード・ロックというか。
ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーの主な影響はクラシックにあったというが、一方でラルフはMC5やTHE STOOGESなども聴いていたという(!)。
なので、KRAFTWERKがドラッグ漬けの爆音サイケデリック勢(STOOGESの元々のバンド名はTHE PSYCHEDELIC STOOGES)に多少なりとも影響されていない、とは言い切れないのだった。
ただしラルフとフローリアンは、ヒッピー文化を毛嫌いしていたそうで。
彼ら自身は、KRAFTWERKを”サイケ”とは考えていなかったのでは、という気もする。

本作を最後に、KRAFTWERKからはドラマーがいなくなり。
次作『KRAFTWERK 2』(1971年)以降、彼らはドラム・マシーンを用いるようになる。
『KRAFTWERK』収録曲のうち、「Ruckzuck」だけは、『AUTOBAHN』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201908article_15.html)がリリースされた74年頃までライヴでも演奏されていたが。
前述の通り、その後初期の3枚はなかったこと(?)にされてしまう。

で、改めて初期KRAFTWERKはサイケなのかどうか、というと、結局「どうでもいい」となる。
どうでもいいんかーいっ(←田村信風に)。

JEFFERSON AIRPLANE/THE WORST OF JEFFERSON AIRPLANE(1970)

JEFFERSON AIRPLANE.jpgJEFFERSON AIRPLANE、初のベスト・アルバム。
しかしタイトルが『THE WORST OF JEFFERSON AIRPLANE』とは、実にシャレが効いている。
ベスト盤にこんなタイトルを付けたバンドは、彼らが初めてだっただろう。
1970年10月リリース。
俺の手元にあるのは97年のリマスターCD。

1970年。
それまでに5枚のスタジオ作と1枚のライヴ盤をリリースし、GRATEFUL DEADと並んでアメリカン・サイケデリックを代表するバンドとなっていた彼らだったが。
(しかもGRATEFUL DEADとは比較にならない商業的成功を収めていた)
しかしこの頃にはメンバー間の対立が増える一方で、各メンバーは次々とソロ活動や別プロジェクトに乗り出し。
グレイス・スリック(ヴォーカル)は妊娠中で、メンバー中ただ一人30代だったスペンサー・ドライデン(ドラム)は脱退。
実質活動休止状態だった。
そこでRCAがつなぎとして(?)出したベスト。

全米128位に終わったデビュー・アルバム『TAKES OFF』(1966年:https://lsdblog.seesaa.net/article/505181400.html)から2曲。
グレイス・スリックが加入した『SURREALISTIC PILLOW』(67年:全米3位)から4曲、『AFTER BATHING AT BAXTER'S』(67年:17位)から2曲、『CROWN OF CREATION』(68年:6位)から3曲、ライヴ盤『BLESS ITS POINTED LITTLE HEAD』(69年:17位)から1曲、そして『VOLUNTEERS』(69年:13位)から3曲。
年代順に収録され、バランスよく選ばれているようでいて、実はそうでもない。
「Somebody To Love」(全米5位)、「White Rabbit」(8位)をはじめ、ヒットの如何に関わらず多くのシングルを出していたバンドだが(ここまでに実に12枚)、単なるシングル・コレクションにはなっておらず。
(「Plastic Fantastic Lover」のライヴ・ヴァージョンを含めても、シングル曲は7曲しか入っていない)
ヨーマ・カウコネン(ギター)がHOT TUNAでも演奏し続ける名刺代わりとなったアコースティック・ギター独奏「Embryonic Journey」や、スペンサー・ドライデン作の実験的な小品「Chushingura」(忠臣蔵!)などを含み。
アルバム・タイトルにもある意味納得。
年代順になっているおかげで、彼らのサウンドが作を追う毎にヘヴィに、プログレッシヴになって行った過程がよくわかる。

このベスト盤は全米12位のヒットを記録。
しかしマーティ・バリン(ヴォーカル)脱退。
バンドはその後も『BARK』(1971年:全米11位)、『LONG JOHN SILVER』(72年:20位)、ライヴ盤『THIRTY SECONDS OVER WINTERLAND』(73年:52位)とアルバムをリリースするも、結局JEFFERSON STARSHIPに移行。
『VOLUNTEERS』が彼らのクリエイティヴィティのピークで、そして実質的にはそこで終わっていたという気もする。
そしてヒッピーの理想を高らかに歌い続けたバンドは、”単なる良いバンド”になった。
(もちろんJEFFERSON STARSHIPを否定するモノではないが)

アルバムの順番通りに収録されているこのベスト盤だが、オリジナル・アルバムの曲順とはまったく違っている。
非常に良い編集だと思う。
俺はこのアルバムを聴いた後に『TAKES OFF』を聴いて。
あれっ、「It's No Secret」って1曲目じゃなかったんだ?…とか思った。

HAWKWIND/BRING ME THE HEAD OF YURI GAGARIN(1985)

HAWKWIND BRING ME THE HEAD OF YURI GAGARIN.jpgいつ何処で買ったのか全く記憶にない1枚。
多分1990年前後だと思う。

音質も悪いし、ブートだと思い込んでいた。
したらデイヴ・アンダーソンのデミ・モンドの2枚目ですってよ。
(多分オーディエンス録音だろう)

1973年、ウェンブリーのEMPIRE POOLでのライヴ。
クレジットはないが、73年5月27日らしい。
デイヴ・ブロック(ギター、ヴォーカル)、レミー(ベース、ヴォーカル)、ニック・ターナー(サックス、フルート、ヴォーカル)、ディック・ミック(オーディオ・ジェネレーター)、デル・デットマー(シンセサイザー)、サイモン・キング(ドラム)、それにロバート・カルヴァート(ヴォーカル)。
そしてもちろんステイシア。
(彼女の声とかが聴こえるワケじゃないけど)

同時期にリリースされたが録音は前年の名作ライヴ盤『SPACE RITUAL』(https://lsdblog.seesaa.net/article/501173582.html)とは違い、ロバート・カルヴァートがヴォーカリストとしてフィーチュアされつつあった時期。
「Gaga」~「In The Egg」というポエトリー・リーディングがあるが、ドイツの詩人ギュンター・グラスの詩をロバートが朗読したモノだそうで。
「Orgone Accumulator」に続いて、これまた「Wage War」というのがあって「何それ」となる。
そちらはアメリカの作家ジャージー・コジンスキーのテキストらしい。
そして「Urban Guerrilla」。
それにしても音が悪い。

B面は「Master Of The Universe」に始まり、「Welcome To The Future」(短め)。
そして「Sonic Attack」からの「Silver Machine」。
それにしても音が悪い。
(もう1回言ってみた)
演奏もけっこうラフ。

俺がレミー在籍時の「Silver Machine」ライヴ・ヴァージョンを初めて聴いたのはこのアルバムでだったはずだが、あまりにも音が悪くて感激は薄かった。
その後『BBC RADIO ONE LIVE IN CONCERT』(1991年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201711article_5.html)を聴いて「うおおおお」となった。

久しぶりに聴き直したけど。
コレでもう当分聴かんだろうな…。
それにしてもひどいタイトルだなあ。

GRATEFUL DEAD/WAKE OF THE FLOOD(1973)

GRATEFUL DEAD.jpg”今日の旧譜”、GRATEFUL DEADのアルバムは何故かブート含めてブレント・ミドランド(キーボード、ヴォーカル)在籍時のモノばかり紹介してきたのだが。
初めてそれ以外のやつ。

スタジオ・アルバムとしては6作目。
ロン”ピッグペン”マッカーナン(キーボード)死去後最初のスタジオ作。
(ピッグペンが亡くなったのが1973年3月で、このアルバムのリリースは73年10月)
バンドの自主レーベル、グレイトフル・デッド・レコーズの第1弾リリースでもある。
また、ミッキー・ハート(ドラム)が離脱していた頃でもあった。
メンバーはジェリー・ガルシア(ギター、ヴォーカル)、ボブ・ウィア(ギター、ヴォーカル)、フィル・レッシュ(ベース)、ビル・クルーツマン(ドラム)のオリジナル・メンバーに、新加入のキース・ゴドショウ(キーボード)、ドナ・ジーン・ゴドショウ(ヴォーカル)。

そして大勢のゲストが参加している。
マーティン・フィエロ(アルト&テナー・サックス)、マシュー・ケリー(ハープ)、フランク・モリン(テナー・サックス)、ベニ・ヴェラード(ティンバレス)、パット・オハラ(トロンボーン)、ビル・アトウッド(トランペット)、ジョー・エリス(トランペット)、ダグ・サーム(12弦ギター)、ヴァッサー・クレメンス(ヴァイオリン)、サラ・フルチャー(ヴォーカル)。
1曲目「Mississippi Half-Step Uptown Toodleoo」から、名手ヴァッサーのヴァイオリンが冴える。

全7曲中5曲がジェリー・ガルシア/ロバート・ハンターの手になるモノ。
最後の組曲「Weather Report Suite」はボブ・ウィア作。
「Let Me Sing Your Blues Away」をキース・ゴドショウ(デイヴ・メイスンのバンドにいた人)とロバートが手掛けているのが目を引く。
前のスタジオ作『AMERICAN BEAUTY』(1970年:全米30位)から3年開いていて、収録曲の大半はライヴでじっくり練られてきたらしい。
新加入とは言っても、キースがGRATEFUL DEADに加わったのは71年秋のことで、この頃にはすっかりバンドに馴染んでいた。

カントリーやブルーズをベースにした、サイケデリックでゆったりしたアメリカン・ロック…という基本線は不変ながら、ピッグペン在籍の初期に較べるとR&B的な要素が後退し、キース・ゴドショウの貢献によると思われるジャジーなテイストが増している。
元々専門的に音楽を学び、対位法的なベースの組み立てを得意としていたフィル・レッシュには嬉しい変化、だったかも知れない。
(GRATEFUL DEADの代表曲のひとつとなった「Eyes Of The World」終盤での”引き算のリード・ベース”と言いたくなるようなフィルのベース・ソロが素晴らしい)

一方でそれまでのアルバム以上にポップさが目立つアルバムでもある。
ガルシア作「Stella Blue」での哀感とゴスペル的なスケールもたたえたバラードの美しさ。
ボブ・ウィア作の「Weather Report Suite」も、組曲と言いつつ大仰なところは皆無で、特に後半「Let It Grow」は、これまたGRATEFUL DEADの代表曲のひとつとなった。
ドナ・ゴドショウ(マッスル・ショールズ・スタジオでボズ・スキャッグスなどのアルバムに参加していた)&サラ・フルチャーのコーラスも随所で効果を上げている。

「Let Me Sing Your Blues Away」「Eyes Of The World」と2枚切られたシングルはチャート入りせず。
一方アルバムは全米18位と、かなりのヒットを記録。
次の『FROM THE MARS HOTEL』(74年)が16位、その次の『BLUES FOR ALLAH』(75年)が12位…と、この頃のGRATEFUL DEADはチャート的には60年代には見られなかったような成功を収めている。
しかしメンバーたちに、バンド及びレーベル運営をビジネスとして成り立たせる才は乏しかったらしい。
グレイトフル・デッド・レコーズは76年に倒産し、バンドはアリスタに移籍することになるのだった。

THE FREAK SCENE/PSYCHEDELIC PSOUL(1967)

FREAK SCENE.jpgサイケデリック・ロックのド定番、何を今更という感じの1枚。

中心人物であるラスティ・エヴァンスことマーカス・ウジレフスキ(ラスティでもエヴァンスでもない…)は1937年ニューヨーク生まれで、50年代にロカビリアン(!)としてレコード・デビュー。
(カントリーも歌っていたとのこと)
その後はグリニッチ・ヴィレッジでフォークを歌い、THE NEW CHRISTY MINSTRELSに参加していたこともあるという。
60年代半ばになると時代の流れを受けてサイケデリックにシフト。

時代の流れを受けて…というか、ラスティ・エヴァンスがTHE DEEP名義でアルバム『PSYCHEDELIC MOODS OF THE DEEP』をリリースしたのは1966年なので、サイケデリックに対して後追いとか便乗とかではなく、かなり早くからアプローチしていたワケで。
ラスティがかなりの目利きだったことがよくわかる。
(『PSYCHEDELIC MOODS OF THE DEEP』はTHE 13th FLOOR ELEVATORSの1stアルバムと並び、タイトルに”PSYCHEDELIC”と入った最も初期の作品とされる)

そして”Summer Of Love”の1967年、ラスティ・エヴァンスが満を持して世に出したのがTHE FREAK SCENE名義の『PSYCHEDELIC PSOUL』だった。
(リリースは67年3月なので、やはりかなり速い動き)
バンド名もアルバム・タイトルもジャケットも完璧だ。
67年、ラスティは既に29~30歳だった。
当時の彼がマリワナやLSDにどっぷりだったのかはよくわからない。
ともあれ機を見るに敏な人だったのは間違いないだろう。

一部ガレージ・パンク色もある荒々しい作りだったTHE DEEPとは違い、プロジェクト名通りかなりフリーキーでありながらも洗練/ソフィスティケイトされたサウンド。
SEやテープの逆回転やコラージュといったサイケデリックなギミック、そしてもちろん(?)サイケの神器、ファズ。
更にアラビックなテイストも、とサイケデリック全部乗せな₁枚。
メンバーのクレジットがないのだが、ファズをかましたリード・ギターはラスティ・エヴァンス自身によるという。
(リード・ヴォーカルも)
リズム・ギターとベースはデイヴィッド・ブロムバーグ、パーカッションにマーク・バーカンと、DEEPのメンバーの多くがそのまま参加していたらしい。
(マークは『PSYCHEDELIC MOODS OF THE DEEP』のプロデューサーだった)

アンサンブルを支えるのは印象的なベース・ライン。
そのベースをはじめとして、楽曲もアレンジもイカレポンチなのにあちこちキャッチーなんだよね。

THE DEEPもTHE FREAK SCENEもスタジオ・ユニットというかレコーディング・プロジェクトだったため、アルバムをフォローアップするツアーなどは一切行なわれず。
そのせいもあってか、彼らのアルバムは当時チャート入りすることはなかったという。
しかしその後60年近く経っても『PSYCHEDELIC MOODS OF THE DEEP』と『PSYCHEDELIC PSOUL』はサイケデリックの名盤とされ、再発が重ねられている。

ラスティ・エヴァンスは1970年にソロ・アルバム『MARCUS』をリリース。
(コレはアシッド・フォークだったという)
79年以降はフォークやロカビリーやカントリーを演奏していたらしい。
(本名マーカス・ウジレフスキ名義で、画家としても有名だったとのこと)
そして彼は2015年12月に亡くなったという。
78歳だったはず。


夏風邪の症状悪化。
体温は37.5度。
早めに寝なければ。