春来たる、しかし訃報止まず

NEW YORK DOLLS★.jpg明日からまた寒いそうだが、この2日間はどうかすると暑いぐらいだった。
しかしやまぬ訃報。


2月23日にクリス・ジャスパーが亡くなったという。
癌だったとのこと。
73歳。
アーニー・アイズレーとともに、R&B/ソウルのヴォーカル・トリオだったTHE ISLEY BROTHERSがブラック・ロックの先駆とも言えるバンドと化すのに貢献した男。
その後のISLEY JASPER ISLEYは、離反した”若い3人”というイメージだったが、もう73歳だったか。
アーニーも今月6日で73歳という。

24日にはロバータ・フラックが。
直接の死因は心不全とのことだが、2022年にALSで引退していた。
88歳。
何と言っても「Killing Me Softly With His Song」(全米1位)だが、その10年後、俺が洋楽を聴き始めた1983年にヒットしたピーボ・ブライソンとの「Tonight, I Celebrate My Love」(全米16位)も忘れ難い。
ハワード大学で音楽を学び、自身の作品の多くを自らプロデュースした才人でもあり。
オーストリアの天才ピアニスト、ヘルマン・ゾーベルを見出した目利きとして、ジャズ・ロック界隈でも忘れてはならない人だった。

26日にジーン・ハックマン。
妻と愛犬とともに遺体で発見されたとのことで、毒物を服用したのではとも言われている。
95歳。
『俺たちに明日はない』『フレンチ・コネクション』『ポセイドン・アドベンチャー』『ヤング・フランケンシュタイン』『遠すぎた橋』他。
タフガイに何があったのか。

ジーン・ハックマンと同じ26日には、グラ・スコレスビーも。
交通事故とのこと。
68歳。
WITCHFYNDEのドラマー。
特に上手いとかプレイが個性的とかいう人ではなかったと思うが、WITCHFYNDEのボトムを支えた重要な存在。
今月69歳を迎えるはずだった。
昨年亡くなったポール・ディアノといい、当時20代前半だったNew Wave Of British Heavy Metalの人たちも今や60代後半。


そして28日、デイヴィッド・ジョハンセンが。
癌と報道されてから、あっという間だった。
75歳。
NEW YORK DOLLSのあの5人、最後の一人が遂にいなくなった。

NEW YORK DOLLSのプロト・パンク的な側面を代表したのがジョニー・サンダースとジェリー・ノーランだったとすれば、ある意味グラムでもパンクでもない側面を代表していたのがデイヴィッド・ジョハンセンだったと思う。
(何度も言うけどヨハンセンじゃないからね)
あの人を食ったような声と歌唱。
のちにバスター・ポインデクスターとして、パンクどころかロックですらない音楽性で人気を博したのにも納得。
俳優としての活躍(と言うほどでもなかったが)も、個人的には忘れ難い。

5人の中で一番先に逝ったジョニー・サンダースの死から34年。
今頃あっちで「ナニ、デイヴィッド、今頃来たのか、ジジイになりやがって!」とか言われていそうだ。


身罷った人たちの冥福を祈りつつ。
俺はもうちょっと生きようと思うんだ。

死屍累々

KING CRIMSON LIVE IN NEW CASTLE.jpg訃報続き過ぎ…。

7日にマジカル・パワー・マコが亡くなったという。
死因は非公表。
69歳。
まだ69歳だったのか…って、1974年のアルバム・デビュー時に18歳という早熟ぶりだったワケで。
まさに天才であった。
早過ぎた存在だったと思う。

15日にはグラン浜田。
死因は非公表だが、昨年11月からかなり危険な状態だったという。
74歳。
ルチャ・リブレで活躍した、文字通り”小さな巨人”。
俺は一度だけ生で試合を見た。
80年代初頭、札幌・中島スポーツセンター(もうない)での、タイガーマスクとのシングルマッチ。
特別リングサイド席で観た大迫力の試合は、そりゃあもう素晴らしかった。

16日、つば九郎の”中の人”が亡くなっていたというのには驚いた。
肺高血圧症とのこと。
野球にはまったく興味がない俺だが、周囲にヤクルトファンや関係者が多く。
中の人は30年以上も一人でつば九郎をやっていたのだなあ。

17日にジェイミー・ミューアが。
これまた死因は不明。
82歳。
もう82歳だったのか。
KING CRIMSON『LARKS' TONGUES IN ASPIC』(1973年)参加の時点で30歳だったことになる。
音源以上に、やはりというか『BEAT CLUB』で観た映像に衝撃を受けた。
80年代末以降は画家として生活していたとか。

ジェイミー・ミューアと同じ17日には、リック・バックラーも亡くなっている。
死因は非公表ながら、短い闘病生活だったとか。
69歳。
言わずと知れたTHE JAMのドラマー。
JAMのメンバーで最初の物故者となってしまった。
JAM以降は第一線で活躍したとは言い難いが、JAMでのタイトなビートはパンク/ロック史上に永遠に刻まれる。

19日、カール・コクラン。
自動車事故。
61歳。
ジョー・リン・ターナーのバックや、ジョーがカーマイン・アピス、トニー・フランクリンとやっていたRATED Xのギタリスト。
ロック史上に名を遺すような大ギタリストではなかったが、その早世は惜しまれる。
RATED Xでは結成メンバーのジェフ・ワトソンに代わるという大役だった。

そしてカール・コクランと同じ19日に、横見浩彦が。
コレにも驚いた。
急性心不全とのこと。
63歳。
漫画『鉄子の旅』シリーズでの、その奇人ぶりはかなりの衝撃だった。
体型からして、あまり健康的な食生活はしていないだろうな、とは思っていたが。
残念。


今はKING CRIMSON『LIVE IN NEWCASTLE DECEMBER 8, 1972』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/202112article_6.html)を聴いている。

柔らかい機械の創始者が逝った

SOFT MACHINE.jpgミュージシャンとか訃報続き過ぎだよ。
訃報ブログみたいになってるじゃねえか。
勘弁してください…。

5日にマイク・ラトリッジが亡くなったという。
死因は不明だが、短い闘病生活の末だったという。
様態は急速に悪化したのだろう。
81歳。

言わずと知れたSOFT MACHINEのキーボーディスト。
デイヴィッド・アレンが去り、ケヴィン・エアーズが去り、そしてロバート・ワイアットが去ったSOFT MACHINEにあって、最後まで在籍したオリジナル・メンバーとなった。
そしてデイヴィッド、ケヴィン、ロバートと同様に、その後再編されたSOFT MACHINE(LEGACY)に関わることはなく。
そればかりか、他のメンバーとは違い、SOFT MACHINE脱退後はCM音楽などの方面に進み、ロック・ミュージシャンとして現役を続行することさえなかった。

個人的には、SOFT MACHINEと言えば多分『BUNDLES』(1975年)が一番好きなアルバムではないかと思うのだが。
マイク・ラトリッジの存在自体にフォーカスすれば、サックスやギターなど、他のリード楽器がおらず、メロディをマイクのオルガンとロバート・ワイアットのヴォーカルが担っていた初期の作品に尽きると思っている。
いやまあ、画像の発掘音源『TURNS ON VOLUME 1』(2001年:https://lsdblog.seesaa.net/article/202110article_26.html)にはデイヴィッド・アレンのギターも(一応)入っているし、ケヴィン・エアーズのベースもかなり前面に出てるんだけどさ。

SOFT MACHINEを脱退した時点で33歳。
以降はいわゆるソロ・アルバムも出さず、音楽を飯の種として割り切ったような活動を続けた、とも見えるが。
ともあれSOFT MACHINE在籍時のプレイは特筆に値する。
あとシド・バレット『THE MADCAP LAUGHS』(1970年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201908article_21.html)も。

今は『TURNS ON VOLUME 1』以上に音質の悪い『TURNS ON VOLUME 2』を聴いている。
コレもいずれ改めて紹介したいと思う。

厳冬に散る

MILK N COOKIES.jpg1月30日にマリアンヌ・フェイスフルが亡くなったという。
死因は公表されていないが、2020年に新型コロナウイルスに感染して回復した時点でも、もう歌えないのではと噂されていた。
78歳。

若い頃はとにかくとんでもねえ美人だったよな。
峰不二子の造形にも影響を与えたとされる映画『あの胸にもう一度』の、あの革ツナギ姿が21歳の時。
しかしドラッグとアルコールで身を持ち崩し、3年ほど後にはホームレス生活にまで落ちぶれる。

1979年の本格復帰作『BROKEN ENGLISH』の時点では地獄から生還した老婆(?)を思わせる見た目と声に変貌していたが、あの時点で実はまだ32歳(!)。
その後は着実に活動を続け、60代になってからも映画で主演したりしていた。
このブログを御覧の皆様の多くには、やはり(?)METALLICAとの共演が印象的だったかも知れない。


今月2日にはサル・メイダが。
死因は不明だが、急逝だったという。
76歳。

ROXY MUSIC、SPARKS、そしてもちろんMILK 'N' COOKIES(画像)で活躍。
ROXY MUSICの『VIVA! ROXY MUSIC』(1976年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2102.html)では約半数の曲でジョン・ウェットンがベースを差し替えてしまっているのだが。
SPARKSでは『BIG BEAT』(76年)に参加。
俺が一番好きなSPARKSの楽曲は『BIG BEAT』収録の「I Want To Be Like Everybody Else」なのだった。

そして彼はロバート・カルヴァートの『LUCKY LEIF AND THE LONGSHIPS』(1975年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1503.html)にも参加している。
俺的には偉人の一人。


いや、マリアンヌ・フェイスフルも紛れもなく偉人だ。
偉人が二人逝ったのだ

訃報続く

BARRY GOLDBERG.jpg年寄りは冬の方が死ぬんだよ、みたいなことを毎年冬に書いている気がするのだが。
それを裏付けるように(いや、裏付けないでイイからさ…)、昨年末からやたらと訃報が続いている。

10日にコリン・カーターが亡くなっていたという。
死因は不明。
76歳。
FLASHのヴォーカリスト。
FLASH以外に目立ったキャリアはなかったものの、その後もコンスタントなリリースではないながら、ソロ作を含めて地道に活動を続けていて。
2013年にはピーター抜きでFLASHの新作もリリースしていた。
コリンと一緒にFLASHを復活させたレイ・ベネット(ベース)は存命のようだが、もうFLASHの名が蘇ることはないのだろう。

21日にはキース・サッチフィールド。
死因も年齢も不明。
New Wave Of British Heavy MetalのB級どころ(?)として知られるFISTの元ヴォーカリスト/ギタリスト。
キャッチーなリフと荒々しいヴォーカルで、B級なりに(?)光るモノを聴かせた人だったと思う。
FISTは00年代にキースを中心に再結成し、アルバムもリリース。
キースの活動はその頃までだったが、FISTは10年代以降キース抜きの編成でまたも復活し、今も活動しているらしい。


そして22日にバリー・ゴールドバーグが。
非ホジキンリンパ腫の合併症とのこと。
83歳。
あー…遂にか。

シカゴの白人ブルーズ・シーンの最重要人物の一人。
THE PAUL BUTTERFIELD BLUES BANDにELECTRIC FLAG。
そしてボブ・ディランの”電化”の場にいた男。
キーボーディストとしてもシンガーとしてもソングライターとしても活躍。
ちょっと前までは現役で活動していたはず。

このブログでは1969年の『TWO JEWS BLUES』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2185.html)を紹介した。
その界隈…デュエイン・オールマンもポール・バターフィールドもマイク・ブルームフィールドももうとっくにいない。
60年代はすっかり遠くなった。


ところでこちらは週明け以降ずっと体調が悪く。
過ぎ去りし60年代を惜しむ前に、まずは自分が生き延びねば。
もう寝よう。

殿と先生が

JOHN SYKES.jpgジョン・サイクスの訃報に驚く。
20日のことだったらしい。
癌で闘病中だったのだという。
65歳。

俺が初めて彼のプレイを聴いたのはTHIN LIZZYの『THUNDER AND LIGHTNING』(1983年)でだった。
リリース翌年の84年のことで、かなりリアルタイムに近かった。
その時点で既にALCATRAZZでイングヴェイ・マルムスティーンを知っていたのだが、ジョン・サイクスはジョン・サイクスで凄まじい速弾き。
メタル初心者の俺はぶっ飛ばされた。

WHITESNAKE『SLIDE IT IN』(のUSミックス:1984年)は大好きだったが、続く『WHITESNAKE』(87年)が俺には全然ダメだった。
BLUE MURDERは良かったけど、その後のTHIN LIZZY”再結成”はやっぱり受け付けられず。
そしてしばらく本格的な活動のニュースが聞かれないまま、ジョン・サイクスは逝ってしまった。
なんか、いろいろ惜しい人だった気がする。
ビリー・シーン、マイク・ポートノイとのお蔵入りになった録音が存在するんだとか…。


そして、さっき知った訃報。
21日にガース・ハドソンが。
死因は不明だが、老衰だったのかも知れない。
87歳。
老人ホームに入っていたという。

THE BANDの最年長(唯一30年代生まれ)にして、最後の存命メンバーだった。
他のメンバーから金を取って音楽理論などを教えていたというエピソードは有名。
ルーツ・ロックのオルガニストという印象が強い人だったが、実は進取の気性に富み、シンセサイザーなども積極的に導入していた人物。

ともあれTHE BANDも完全に歴史の彼方へと去った。


今はTHIN LIZZYの『BBC RADIO ONE LIVE IN CONCERT』(https://lsdblog.seesaa.net/article/502869265.html)を聴いている。

リンダはレミーの元へ

NOLANS.jpg15日にリンダ・メアリー・ノーランが亡くなったという。
肺炎とのことだが、20年近く乳癌で闘病していて、それも関係したのではと思う。
65歳。

言わずと知れたTHE NOLANS=ノーラン六姉妹の四女。
日本でも人気爆発となった1980年の『DANCING SISTERS』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/202110article_15.html)の時点で21歳であった。
(このブログを御覧の皆様の中にNOLANSを知らないような若い人がどれだけいるのか知らないが、一応説明しておくと画像の左端。ぶっちゃけ21歳に見えないね!)
シングル「I'm In The Mood For Dancing」は全英3位、オリコン1位。

当時の日本での人気は五女バーナデット・テレス(バーニー)と六女コリーン・パトリシアにわりと集中していたような気がしなくもないが。
(俺は正直当時はファンじゃなかったのでよく知らない)
このブログでリンダと言えば、何しろTHE YOUNG & MOODY BANDでコリーンと共にレミーと共演していた人物。
(YouTubeで検索すると、モリーン、リンダ、バーニー、コリーンという当時のTHE NOLANSの4人全員が参加している動画が出てくる)
MOTORHEADとNOLANSの商業的な絶頂期は完全にカブっていて、TV番組の楽屋などで一緒になることはよくあったのだという。
レミーの自伝本『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)で、当時MOTORHEADのマネージャーだったダグラス・スミスにリンダが超エロい冗談(?)を言った…というエピソードを読んで仰天した人は少なくないはずだ。
レミーはNOLANSのことを一応は型通りに”無垢で可憐な処女たち”と呼ぶ一方で、実際の彼女たちを”彼女たちはちゃんとしたキャリアを積んでるんだぜ(中略)タフな女の子たちだったよ”と、掛け値なしに称賛している。

バーニーは10年以上前に乳癌で、52歳で亡くなり。
長女アン・バーバラ・マリア74歳、次女デニース・キャサリン72歳、三女マリー・アントワネット(モリーン)69歳、そして80年に15歳だった末っ子のコリーンももう60歳。
どうやら癌の家系らしく、アンも乳癌を患っている。


今頃あっちではレミーが「ようリンダ、来たかい」と迎えているだろう。
そしてレミーは「じゃあコージーとバーニー、また「Don't Do That」でも演ろうぜ。ありゃ、ボブ・ヤングもミッキー・ムーディ―もエド・ハミルトンもいねえじゃねえか。しょうがねえな、俺が歌うから、ギターはエディ、お前弾けるだろ?」とか言っているかも知れない。

殿堂入りの人も市井のバンドマンも

SAM AND DAVE.jpg10日にサム・ムーアが亡くなったという。
死因は不明だが、老衰だったのかも知れない。
89歳。
言わずと知れたSAM & DAVE(画像)のサム。

このブログではサム・ムーアとルー・リード(!)による「Soul Man」の7inchしか紹介していないが。
https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_560.html
本家SAM & DAVEの「Soul Man」は、DJで何度も回した。
(最近はそうでもなくて、最後に回してからもう9年ぐらい経ってるけど)
ああ、あと「Hold On, I'm Comin'」は、ずっと昔バンドでカヴァーしてたっけ。

全盛期はそう長く続かなかったものの、「ロックの殿堂」入りも果たした、真に偉大な存在であったことは間違いない。
個人的には映画『ブルース・ブラザース2000』の出演も印象深かった。


そしてサム・ムーアと同じ10日、”イチロック”こと大野一路が。
臓器移植手術後に容態が急変したとのこと。
50歳。

このブログでは何度も名前が出てきた、ジョニー・サンダースのトリビュート・バンド、ジョニーダンサーズのベース兼ヴォーカル。
ビリー・ラス役だけではなくリチャード・ヘル役も兼ね、ステージでは「Blank Generation」も歌っていた。
50歳って、早過ぎるぞ大野くん…。

あまり話したことはなかったのだが、気のいい男だった。
まだ信じられん。
つらい。


片やロックの殿堂入りしたソウル・シンガー、片やコピーに明け暮れたアマチュア・バンドマン。
同じ日に亡くなった対照的な二人、しかしどちらも惜しまれる。
御冥福をお祈りします。

年末年始の訃報

遥かなる紅い夕陽.jpg12月23日に、森田拳次が亡くなったという。
老衰とのこと。
85歳。
旧満州生まれの漫画家が、また一人いなくなってしまった。
今も活躍するちばてつやとは同い年だ。
60年ほども前の(!)『丸出だめ夫』が代表作とされ、近年はほとんど歴史上の人物扱いだった節もあるが、60年代末~70年代にかけてはギャグやコメディにとどまらず作風を広げ、しかも昨年まで連載を持っていた現役漫画家であった。
個人的には平和祈念展示資料館で配布されている『満州からの引揚げ 遥かなる紅い夕陽』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/202207article_2.html)と共に、80年代に図書館で借りて熟読した『マンガの描き方 基礎から売り込みまで』が印象深い。

27日にオリヴィア・ハッセーが。
癌だったらしい。
73歳。
『ロミオとジュリエット』(当時17歳!)や『復活の日』よりも…このブログを御覧の皆様の中には、布施明と結婚していたことを思い出す人が多いのでは。
ってか、そのあと元GIUFFRIAのデイヴィッド・グレン・アイズレーと結婚していたのか!

31日にはドン・ニックス。
死因は不明。
83歳。
フレディ・キング、そしてジェフ・ベックやPINK FAIRIESで知られる「Going Down」の作曲者。
そしてBECK BOGERT & APPICEのプロデューサー。
キャロル・グライムスやジョン・メイオールなども手掛けていた、地味に偉人であった。

そしてこの1月1日にウェイン・オズモンドが。
脳卒中とのこと。
オリヴィア・ハッセーと同じ73歳。
THE OSMONDSの上から2番目。
(兄弟全員では4男)
OSMONDSというと日本ではカルピスのCMだけど(と言って通じるのは俺と同世代だけだろう)、「Crazy Horses」をTANKがカヴァーしていたことを見逃してはならない。
バンド活動に関わらなかった兄弟の上の二人はどうしているか知らないが、OSMONDSのメンバーが亡くなったのはウェインが初めてのはず。


いずれも70~80代。
仕方のないことではあるが、次々いなくなっていくことである。

師走の訃報

RENAISSANCE.jpg10月14日にジョシュア・ペラヒアが亡くなっていたという。
最近知った。
(なのでコレだけ”師走の訃報”とはちょっと違う)
死因は不明だが、近年は健康を損ねていたらしい。
71歳。
JOSHUAのリーダーにしてギタリスト。
なんとも言えない(?)ルックスで、もの凄い速弾きを聴かせた。
商業的成功とはほとんど無縁だった感があるけど、記録より記憶に残るタイプの人だったとでもいうか。
ってか71歳って、俺がJOSHUAを知った時点でもう30歳超えていたのか。

今月13日には、ジャン・キャンプが亡くなっている。
死因は不明。
75歳。
RENAISSANCEのベーシスト。
1973~83年にかけての約10年を支えた存在。
マイケル・ダンフォード(ギター)は2012年に、ジョン・タウト(キーボード)は15年に亡くなり。
クラシック・ラインナップはほぼ崩壊した。
アニー・ハズラム(77歳)はどうかお元気で。

そして18日にボブ”スリム”ダンラップが。
2012年に脳卒中で倒れ、復帰はかなわなかった。
73歳。
後期THE REPLACEMENTSのギタリスト。
73歳というと、1987年にREPLACEMENTSに加入した時点で36歳だったことになる。
なんとポール・ウェスタ―バーグよりも8歳も上だった。
道理で渋かったワケか(?)。
かつてCMJの星と呼ばれたREPLACEMENTSだが、ポールもこの年末でもう65歳だそうで。


ジョシュア・ペラヒアもスリム・ダンラップも70代か。
80年代は遠くなりにけり。