ボストンの偉人が去った

PALEY BROTHERS.jpg20日にアンディ・ペイリーが亡くなったという。
咽頭癌が全身に転移したとのこと。
72歳。

THE PALEY BROTHERSの…と言えば、映画『ROCK 'N' ROLL HIGH SCHOOL』のサントラでRAMONESと共演していたことを思い出す人は多いかも知れない。
しかし彼ら1978年のアルバム『THE PALEY BRTHERS』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_271.html)を聴いたことがある人は、意外と少ないのでは。
何しろ『THE PALEY BROTHERS』は2002年に日本で出たのが唯一のCD化だったらしいので…。

THE PALEY BROTHERSといい、それ以前のTHE SIDEWINDERS(ビリー・スクワイアが参加していたことでも知られる)といい、自分がフロントに立つ活動では大成せず。
しかし80年代以降、ジョナサン・リッチマンやTHE REAL KIDS、ジョン・ウェズリー・ハーディング、NRBQなどのプロデューサーとして活躍。
PATTI SMITH GROUPに参加していたこともあったし、プレイヤーとしては他にもデボラ・ハリー、エイプリル・マーチ、キャンディ・ケイン、エリオット・マーフィー他のアルバムに参加。
ソングライターとしてもマドンナ、K.D.ラング、オフラ・ハザ、リヴィングストン・テイラー他、錚々たる顔ぶれと仕事している。

何より(いや、俺にとっては何よりというワケでもないのだが)、アンディ・ペイリーの名が最も知られることになったのは、ブライアン・ウィルソンの片腕としてだろう。
THE BEACH BOYS/ブライアンのマニアックなファンで、アンディの名を知らない人はいないはずだ。
そして彼はサイアー・レコーズの重役でもあった。

以前にも書いたが、日本で出た『THE PALEY BROTHERS』CDのジャケットは、俺が持っていた英国盤LPのジャケットを元にして製作されている。
ニッキー・コルヴェットとも一緒にやっていたジョナサン・ペイリーは元気だろうか。

偉人が次々に

ROCKING VICKERS.jpg13日にシェル・タルミーが亡くなったという。
脳卒中の合併症とのこと。
87歳。

THE KINKS『KINKS』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201711article_15.html)、THE WHO『MY GENERATION』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1784.html)といった名盤中の名盤は言うに及ばず。
MANFRED MANNや、デイヴィ・ジョーンズと名乗っていた頃のデイヴィッド・ボウイ、THE CREATION、ジェニア・レイヴァンが在籍したGOLDIE AND THE GINGERBREADSも。
THE EASYBEATSの名曲「Friday On My Mind」もこの人のプロデュースだった。
実はロイ・ハーパーやTHE PENTANGLE、バート・ヤンシュあたりも手掛けている。
そしてTHE DAMNEDの「Stretcher Case Baby」。

このブログで何より見逃せないのは、レミーが在籍したTHE ROCKIN' VICKERS(画像)をプロデュースしていたことだろう。
ともあれ偉人であった。

しかもこの人、THE KINKSの1stアルバムをプロデュースした時点でまだ27歳だったんだよね。


そして14日にピート・シンフィールドが。
死因は不明。
80歳。

言わずと知れた初期KING CRIMSONの、そして中期以降のEMERSON, LAKE & PALMERの作詞家。
「Epitaph」も「I Talk To The Wind」も、みんなこの人である。

PFMやROXY MUSICもプロデュース。
PREMIATA FORNERIA MARCONIの『PER UN AMICO』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2028.html)に英詞を付けて『PHOTOS OF GHOSTS』に仕立て、PFMという略称で世界に売り出したのもピート・シンフィールドである。
セリーヌ・ディオンやレオ・セイヤー(!)にまで歌詞を提供していたのは、全然知らなかった。

ともあれこの人も偉人であった。
『IN THE COURT OF THE CRIMSON KING』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201808article_1.html)の時点でまだ25歳だったとは。


偉人も次々に去る。
偉人でない俺は、馬齢を重ねつつ見送るばかりだ。
(しかしそれも長くはない)

勲章の陰で

おろち.jpgちばてつやの文化勲章には大いに納得したが。
秋の叙勲の一覧の中につげ義春の名前を見た時には驚いた。

その一方で、10月28日に楳図かずおが亡くなっていたという。
胃癌だったとのこと。
88歳。

水木しげると楳図かずおは死なないんじゃないかと思っていたが。
もちろんそんなことはなく。
二人とも彼岸へと去ってしまった。

初めて読んだ楳図かずおの作品は、『漂流教室』だったと思う。
小学生の俺には、怖くてたまらなかった。
その後『まことちゃん』と『のろいの館』(赤んぼ少女)を知ったのが、ほとんど同時期だったはず。
(両者の間には10年近い開きがあったんだけど)
『のろいの館』はもう表紙から怖くて怖くてたまらなかったが、実際に読んでみたら恐怖よりもむしろタマミの悲哀の方が胸に迫るモノがあり。
『猫目小僧』なんかもそうだ。

『おろち』も大好きだった。
特に好きだったのは「ステージ」「骨」「戦闘」。

あとナニゲに『アゲイン』が好きだった。
ドタバタのコメディの最後にやってくるあの余韻。
(俺が『アゲイン』を読んだのは確か80年代に入ってからで、主人公一家がその後『まことちゃん』にシフトしていたことを知って驚愕した)

『わたしは慎吾』以降については、もう言うべきもないだろう。
(ってか『まことちゃん』の連載が終了した翌年にアレを開始していたのか…!)

神様・手塚治虫が天才と評したというあの画力。
そりゃあ腱鞘炎にもなっただろうな、と思う。
そして画力だけじゃなく、ストーリーテラーとしても超一級だった。


楳図かずおは88歳で逝った。
ちばてつや85歳、つげ義春87歳。
存命の人は長生きしてほしいと切に願う。

Dead Is Dead Again And Again

GRATEFUL DEAD GO TO HEAVEN.jpg25日にフィル・レッシュが亡くなったという。
死因は不明。
84歳。

言わずと知れた、GRATEFUL DEAD不動のベーシスト。
…というか、GRATEFUL DEADというのは、次々に死んでいった歴代キーボーディストを別とすると、非常にメンバー交代の少ないバンドであったのだが。
(歴代キーボーディストの中でも、一時期参加していたトム・コンスタンテンだけは80歳の今も健在)

ってか84歳?
そんなにトシ行ってたの?
『WORKINGMAN'S DEAD』(1970年)の時点で、既に30歳だったことになる。

それも道理で、専門的に音楽を学んだフィル・レッシュは、GRATEFUL DEAD(というかTHE WARLOCKS)でベースを弾き始める以前から、プロのトランペット奏者として活動していたのだという。
WARLOCKSに参加した時点でベースはまったく未経験だったが(!)、現代音楽やジャズを理論的に学んでいたフィルは、ベース演奏技術の上達と共に、対位法的あるいはリード・ベース的なプレイでGRATEFUL DEADのサウンドをドライヴさせていくことになる。
しかしリード・ベース的と言いつつ、同時期のジャック・キャサディのように手数や音量で前面に出るワケでもなく、丸っこい音色と”引き算的なリード・ベース”とでも言いたくなるようなフィルのプレイだった。
あと、同名のバンドがいたことで改名を余儀なくされたWARLOCKSの新たなバンド名がGRATEFUL DEADになったのは、フィルの家でだったという。
(フィルの家にあった辞書で”Grateful Dead”という語を見つけたのだとか)

ジェリー・ガルシアが亡くなってから、来年で30年(!)になる。
ジェリーがいなくなって、GRATEFUL DEADは終わった。
フィル・レッシュはしばらくの間、他のメンバーとジェリー抜きの”後身バンド”で活動していたが。
ボブ・ウィアらが2015年にスタートしたDEAD & COMPANYには、フィルはもういなかった。
旧メンバーがそろわなくなった時点で、GRATEFUL DEADは再び終わったのだと思っている。
そしてフィルが世を去り、GRATEFUL DEADはまたしても終わった。
(もちろんボブやミッキー・ハートらが一緒に活動を続けるのは全然かまわない)


元GRATEFUL DEAD存命メンバーで最年少のボブ・ウィアでさえ77歳。
元JEFFERSON AIRPLANE存命メンバーで最年少のジャック・キャサディは80歳。
サマー・オブ・ラヴも遠くなりにけり。

ディアノ去る

IRON MAIDEN LIVE IN TOKYO 1981.jpg21日にポール・ディアノが亡くなったという。
死因は不明。
66歳。

IRON MAIDEN脱退(解雇)前後からどんどん太り。
もう10年以上も車椅子生活で。
健康状態はずっと良くなかったはず。
遅かれ早かれとは思っていたが。
しかし。

以前から何度も書いている通り、俺が最初に聴いたIRON MAIDENは「The Trooper」だったが。
初めて聴いたアルバムは『KILLERS』(1981年)だった。
弟の友人から回ってきたカセットテープだったと記憶する。
そりゃもうぶっ飛ばされた。
初めて自分で買ったのは『IRON MAIDEN』(80年)。

黒いレザーで固めたスタイルに、がなるような独特の歌唱。
一方でバラードを歌い上げることも出来。
パンク~ニュー・ウェイヴ全盛だった時期に、IRON MAIDENが世に出る上でポール・ディアノが果たした貢献は果てしなく大きい。

しかし、その後は正直パッとせず。
あの歌唱が活かされたのは、IRON MAIDENの楽曲と演奏があったればこそだった…というのは、誰の目にも明らかだったことだろう。
ともあれ『IRON MAIDEN』と『KILLERS』がヘヴィ・メタル史上に残る名盤であることは、疑う余地がない。

66歳か。
『IRON MAIDEN』の時点で22歳だったということになる。
そしてIRON MAIDEN脱退から43年。
ポール・ディアノの魂が安らかならんことを。

またも偉人が去る

SWANS.jpg8日に川添象郎が亡くなっていたとのこと。
2月に心停止して入院していたそうだが、老衰死と言ってよかったかも知れない。
85歳。
アルファ・レコードを設立し、荒井由実やYMOを世に出した、業界の大立者。
個人的には、薬物での逮捕歴などどうでもよい。
(監禁・暴行・窃盗はダメ)

9日に小林邦昭も。
膵臓癌だったという。
68歳。
赤いパンタロン姿の”虎ハンター”。
カッコよかったよなあ。
(私生活では佐山聡と仲が良かったというのがまた泣かせる)
まだ新幹線に食堂車があった頃、新大阪から東京まで移動する間に全メニュー食い尽くしたというエピソードも素晴らしかった。

そして今日15日にロリ・モシマンが。
肺癌。
69歳。
80年代後半、FOOL'S MATEを読み始めた俺は同時にYBO²を聴き始め。
当時FOOL'S MATEでYBO²の記事に名前が出ていたのがTHIS HEATとSWANSだった。
早速SWANSの『COP』(1984年:画像)を買ってきた。
「ぐわー、なんじゃこりゃー、YBO²と全然違う!」となった。
しかしのちに大好きになる(笑)。
そこでドラマーとプロデューサーとして参加していたのがモシマンだった。
以後の活躍はまさに八面六臂。
THE THE『HEARTLAND』(86年)他、FRICTION『REPLICANT WALK』(88年)、CELTIC FROST『VANITY/NEMESIS』(90年:https://lsdblog.seesaa.net/article/202002article_19.html)…。


今はCELTIC FROSTを聴いている。
亡くなられた皆様の御冥福をお祈りします。

80代の偉人たちが去り行く

SERGIO MENDES.jpg5日にセルジオ・メンデスが亡くなったという。
新型コロナウイルス感染の後遺症とのこと。
83歳。
ブラジルのポップ・ミュージックの巨人であり偉人。
SERGIO MENDES & BRASIL '66(画像)でアメリカ進出するにあたり、ジャケットには大きく”HERB ALPERT PRESENTS”と書かれたが、結果的にそれは不要だったかも知れない。
…というぐらい、「Mais Que Nada」をはじめとするあのアルバムは素晴らしかった。
(今CDを聴いてるんだけど、25分半しかないのな!)
「Mais Que Nada」はDJでも回した。

セルジオ・メンデスと同じ5日に、ハービー・フラワーズが。
死因は不明。
86歳。
セッション・ベーシストとして、60年代から参加したアルバム数知れず。
デイヴィッド・ボウイ『SPACE ODDITY』『DIAMOND DOGS』『DAVID LIVE』、ルー・リード『TRANSFORMER』、オリヴィア・ニュートン・ジョン『OLIVIA NEWTON-JOHN』、T.REX『DANDY IN THE UNDERWORLD』、クリス・スペディング『HURT』他…。

そして8日にズート・マネーが。
死因は不明。
82歳。
BIG ROLL BANDにとどまらず、参加作多数。
ERIC BURDON AND THE ANIMALS、ピーター・グリーン、ALEXIS KORNER & SNAPE、GRIMMS、ケヴィン・コイン、WIDOWMAKER、アルヴィン・リー他。
意外なところ(?)ではCENTIPEDE(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1381.html)にも。


セルジオ・メンデスよりもズート・マネーよりも、ハービー・フラワーズが年上だったとは。
ともあれいずれも偉人。
御冥福をお祈りします。

サムライが去った

20191028.jpgサムライサムことフカザワヨシトの訃報に驚く。
昨日のことだったらしい。
心臓血栓による急逝だったという。
先月30日までSNSに投稿していたのに…。

THE WHOのトリビュート・バンドTOWNZEN(画像)のギタリスト。
彼と初めて会ったのは、2009年9月8日に大塚Deepaで開催された「WHO NIGHT VOL.2」でのことだった。
https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_29.html
このブログを始めた翌月のことだ。
次に会ったのは、10年後の19年10月28日、渋谷SHIFTYで開催された「音楽酒場交遊録Vol.3」。
https://lsdblog.seesaa.net/article/201910article_23.html
実際に会ったのはその2回だけなのだが、SNSを通じて交流は続いていた。
ピート・タウンシェンドのプレイを研究し尽くしたその演奏は素晴らしかった。

台風接近のため8月30日のライヴ出演がキャンセルになったところだったが、TOWNZEN他でのライヴ予定はこの先も詰まっていて、健康には特に不安はなかった様子。
いまだに信じ難い。

やり残したことはたくさんあったはず。
それにしても、人間ってのはあっけなく死んでしまうもんだなあ。
俺の体には今のところ深刻な不調はなく(あちこちヤバいんだけど、命に関わるモノではない)、ブログで健康の話とか始めるくらいには健やかに暮らしているが。
しかし、明日のことは誰にもわからない。
今日をしっかり生きなければ。


今夜はサムライサムを偲んで、THE WHOを聴いている。
もう少ししたら献杯しよう。

次々と逝く

GREG KIHN BAND.jpg11日にデイヴィッド・ブラウンが亡くなったとのこと。
死因・年齢とも不明。
同名のミュージシャンが山ほどいて紛らわしいが、『52ND STREET』(1978年:https://lsdblog.seesaa.net/article/202005article_3.html)以降ビリー・ジョエルのバンドで長く活躍したギタリスト。
他にもSIMON & GARFUNKEL『THE CONCERT IN CENTRAL PARK』(82年)やポール・マッカートニー『FLOWERS IN THE DIRT』(93年)他、参加作多数。
なんと松田聖子とも仕事していた。

13日にはグレッグ・キーンが。
アルツハイマーで闘病していたとのこと。
75歳。
1983年に全米2位を記録した「Jeopardy」が有名だが、83年というと俺が「ベストヒットUSA」を観始めた年。
以降は目立ったヒットがなく。
KCとかLITTLE RIVER BANDとか、俺が洋楽ロックを聴き始めた頃がちょうど最後のヒットを出した時期だった…という人たち、けっこういたな。
しかしグレッグ、最後のギリギリまで現役だった。

そして昨日、ジャック・ラッセルが亡くなったという。
5月にレビー小体型認知症と多系統萎縮症と診断され、先月ツアー活動からの引退を発表したばかりだった。
63歳。
先月の時点で、もうかなり悪かったのだろう。
GREAT WHITE/JACK RUSSELL'S GREAT WHITEのシンガー。
このブログではGREAT WHITEの『HOOKED』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2072.html)を紹介したが、グランジ全盛の1991年に全米18位と、気を吐いていた存在だった。
だった…というか、バンド自体は現在も活動中。
しかしジャックの色気のあるヴォーカルはもう聴けない。
それにしても、まだ63歳だったとは。
78年にGREAT WHITEの前身バンド・DANTE FOXを結成した時点で、17歳とかだったことになる。


本当に次々といなくなる。
御冥福をお祈りします。

真夏とそれ以外の死

VIBRATORS.jpg4月18日に山本圭子が亡くなっていたという。
敗血症とのこと。
83歳。
『サザエさん』の花沢さん(なんと昨年まで続けていたのか!)、『もーれつア太郎』のア太郎、『天才バカボン』のバカボン、『赤胴鈴之助』の鈴之助、『デビルマン』のタレちゃん、『がんばれ!!ロボコン』のロボコン他…錚々たる芸歴であった。
増山江威子に小原乃梨子と、どんどんいなくなるなあ…。

今月22日には坂田信弘が。
死因は不明。
76歳。
プロゴルファーとしての活躍はまったく知らず。
俺にとっては漫画原作者だ。
『風の大地』『ひかりの空』そして『奈緒子』。

27日にパット・コリアー。
死因は不明。
72歳。
THE VIBRATORS(画像)のオリジナル・ベーシスト。
しかしプロデューサーとしての実績の方がはるかに大きかった。
THE SOFT BOYS、ロビン・ヒッチコック、ANGELIC UPSTARTS、KATRINA AND THE WAVES(!)、KING KURT、THE SOUP DRAGONS、LITTLE BOB STORY、THE WONDER STUFF、THE HOUSE OF LOVE、NEW MODEL ARMY、MODERN ENGLISH、THE MEN THEY COULDN'T HANG、OCEAN COLOUR SCENE、THE INMATES、SHAMPOO(!)、X-RAY SPEX、UK SUBS、ベリンダ・カーライル(!)、URBAN DOGS他…。
うわあ、ジャンルも国もまたいだ凄い顔ぶれだ。
自分が脱退したあとの古巣VIBRATORSも手掛けていた。
そうか、KATRINA AND THE WAVESの「Walkin' On Sunshine」もパットのプロデュースだったか。
(全英8位、全米9位)
大ヒットはそれぐらいだったかも知れないけど、米英のシーンを支え続けた仕事人だったと言えるだろう。


ノックス(78歳!)もTHE VIBRATORSをやめてお店をやっているという。
しかしVIBRATORSはエディ(ドラム:パット・コリアーもジョン・エリスも72歳なので、エディも多分それぐらい)を中心に今でも活動を続けているのだった。


2021年4月以来、約3年ぶりに1ヵ月休みなくブログを書いた。
それだけ暇ということでもある。
仕事ください。
…と思ったら新しい仕事入った。