5月になってもレミーを偲ぶ

MOTORHEAD ON PAROLE.jpg昨年12月に始めたこのシリーズ、結局今年の12月まで続くんじゃないだろうか…。

MC5を範としていたレミーは、当初MOTORHEADもツイン・ギターの4人編成にする構想があったそうだが。
結局ツイン・ギター編成も、MOTORHEAD結成から10年近く経ってようやく実現することになる。
(それとて、ブライアン”ロボ”ロバートソン脱退後のオーディションではギタリストを二人雇うつもりではなかった)

もうひとつレミーが考えていたのは、トリオ編成のバンドで全員が歌えること。
(ラリー・ウォリスの提案でもあったという)
で、ラリーは上手いシンガーではなかったものの、イイ味の歌を聴かせた。
ラリー脱退後に加入した”ファスト”エディ・クラークも特異なだみ声に味があったが、積極的に歌おうとはせず。
(エディがヴォーカルに意欲的だったら、MOTORHEADは随分違ったバンドになっていたはずだ)
しかしルーカス・フォックスの後任として迎えられたフィル”フィルシー・アニマル”テイラーは…残念ながらまったく歌えなかった。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)でレミーが言うには、フィルの声は”2匹のネコがホチキスで留められちまったみたいな声”(!)だったと…。

ところで初期MOTORHEADのレパートリー「Vibrator」と「Iron Horse/Born To Lose」と「Fools」のクレジットに”Brown”とあって。
何者だろう、と思っていたが。
デレク”デズ”ブラウン…ラリー・ウォリスのローディーだったんですってね。
彼はラリーがMOTORHEADを脱退した後、ライヴ盤『LIVE STIFFS LIVE』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201608article_2.html)に収録されるラリー参加のスティッフ・レコーズのパッケージ・ツアーのマネージメントも担当している。

結局ラリー・ウォリスは脱退し、MOTORHEADはレミー、エディ・クラーク、フィル・テイラーのトリオとなる。
以前このブログでも書いた通り、アリエル・ベンダーやマイケル・シェンカー(!)にも声がかかっていたものの、70年代のMOTORHEADが3人以上になることはなかった。

ラインナップが固まったMOTORHEADはチズウィック・レコーズから遂に”正式な”デビューを果たす。
当時のマネージャーはアンソニー・マイケル・セクンダ。
THE MOVEやT.REXのマネージャーを務めていた男。
そのトニー・セクンダがレミーに会ったのはクリッシー・ハインドの紹介で。
レミーによればトニーは”正真正銘のキじるし”だったということだが、一方でマネージャー/仕掛け人としての才能は確かなモノだったらしい。
クリッシーがNMEのライターを辞めてミュージシャンとして活動出来るようになったのも、トニーの尽力だったという。
しかしトニーはMOTORHEADの3人に髪を切れと命じ。
(パンクに便乗しようとしたのかも知れない)
結局レミーとトニーは袂を分かつ。

レミーのアメリカ移住に先立ち、80年代半ばにアメリカに移り住んでいたトニー・セクンダは音楽業界での仕事を続けていたが、1995年2月12日に心臓発作で亡くなっている。
54歳の若さだったという。
当時のレミーは49歳、アルバム『SACRIFICE』リリース直前のことだった。

自分の声をラジオで聴く(7年ぶり)

IGGY AND THE STOOGES RAW POWER★.jpgラジオNIKKEIで本日オンエアされた特番「IGGY POP Invitational~独占インタビュー完全版」。
お聴きいただいた皆様、ありがとうございます。
(radikoではまだ1週間聴ける)

俺もPCでリアルタイムで聴いていた。
(出かける用事がなく、仕事もそんなに忙しくなくてよかった)

うーん、7年前にラジオNIKKEIに出演した時は風邪気味だったんだけど。
今回は花粉症(今の時期、ヒノキだと思う)がけっこう調子悪くて。
薬を飲んで収録に臨んだのだが。
やっぱりちょっと鼻声っぽいね…。
(そしてスタジオではえらく喉が渇き、収録の間にペットボトルの水を2本飲んだ)
それでもXとかでは声を褒めていただいたりで、ありがとうございますありがとうございます…。

ともあれ今回のイギー・ポップ来日ライヴについて、元イギー・ポップ・ファンクラブ会長のしみーさんといろいろしゃべりました。
(収録自体はもっとずっと長かったんだけど、ラジオNIKKEIの方で上手い具合に編集してくれていて、30分ぐらいにまとめられていた)
聴いて下さった皆様も楽しんでいただけたなら幸いです。
もちろんイギー本人のインタヴューが最大の目玉だったね。

イギー・ポップ・ファン界隈では3月以降盛り上がりが続いていて。
3月19日には渋谷Edge EndでDJイヴェント「IGGY POP FAN CLUB」があり。
4月21日にはイギーの誕生日を祝う飲み会があり。
今日は「IGGY POP Invitational~独占インタビュー完全版」のオンエアがあり。

そしてこの盛り上がりはもうちょっと続く予定です。
近日中に告知する予定なので、界隈の皆様にはまたお付き合いいただければと。

音は鏡かハンマーか(そしてFAUST偏愛)

FAUST TAPES.jpg相変わらず、仕事の合間に1989年のNEWSWAVE VOL.19をパラパラやっている。

FAUSTの記事があった。
そうだ、俺はNEWSWAVEのこの号を、FAUSTの記事があったから買ったのだった。
1989年、FAUSTの記事を載せる音楽誌なんて、他には当時(ほぼ)なかった(はず)。

しかし、その記事には最初から違和感があった。
タイトルは”FAUST/音の鏡”とある。
曰く、”音は鏡に似ている。もしくは、鏡は音に似ている”と始まり。
そこからFAUSTのバイオグラフィその他がつづられ。
最後に”音は鏡であり、鏡は音である。煙草は後に匂いを残し、火は消えた後に闇を残す。では鏡が取り外された後に僕たちは何を見る。音楽が終わった後に僕たちは何を聴く”と締められる。

時は1989年。
俺は87年頃に、レコメンデッド・レコーズから再発されていたHENRY COWの『IN PRAISE OF LEARNING』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_227.html)を買い、聴きまくっていた。
そのアルバムの裏ジャケットには、“ART IS NOT A MIRROR-IT IS A HAMMER”とあった。
”アートは鏡ではない、それはハンマーである”と。

同じ頃、やはりレコメンデッド盤で入手したFAUSTの1stアルバム『FAUST』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202205article_25.html)と2nd『SO FAR』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202210article_25.html)も聴きまくっていた。
HENRY COWと同様に当時レコメンデッドから再発されていたFAUSTの音楽…が”鏡”であるとは、俺には思えなかった。
今でもそうだ。

あるバンドについて音楽誌やライナーノーツなどで書かれたことに対しての「違う、そうじゃない」という想いは、俺がその後ファンジンや音楽雑誌やこのブログなどで音楽に関して書く際の指針になっただけではなく。
よろず売文業として音楽以外のあれこれの文章で生計を立てている今でも、自身の知識や考えや経験に基づいて、出来る限り違った視点からの自分なりの考察をしようという姿勢につながっていると思う。
(そしてそれがあるからこそ、いまだ仕事が切れずにどうにか食えているのではと)
1989年のNEWSWAVEに載ったFAUSTの記事、及びそれに対して抱いた違和感は、その端緒となったかも知れない。

今でも思う。
FAUSTの音楽は断じて鏡などではなかったと。
俺にとってのそれは、大きくて重いハンマーだった。

FAUSTの70年代のアルバム4枚については既に全部紹介してしまったので、今後このブログでFAUSTについて書くことはあまりないのではと思う。
しかしFAUSTは今後も俺の人生にいびつな影を落とし続けるだろう。
(HENRY COWについてはまだ書く余地がある)

来たるべき世界

難波弘之.jpg先日、子供の頃にSFばかり読んでいた、という話をしたが。
https://lsdblog.seesaa.net/article/514216398.html

俺が子供の頃に読んでいた名作SFの類は、エドガー・ライス・バロウズをはじめとして、おおむね20世紀前半に書かれたモノが主体。
それらの作品で描かれていたのは、基本的には”明るい未来”だった。
もちろんディストピア的な世界観もないではなかったが、基本的には明るい未来。

それらのSFの中には、当時の世の中に存在しなかった便利なモノがたくさん出てきた。
今になってみると、それらのアイテムの中には実現したモノもあるし、実現しなかったモノもある。

ガーンズバック『27世紀の発明王』の中には、レストランの入り口で吹き出してくる風に当たると、まったく空腹ではなかったのが急に空腹になる…というくだりがあった。
コレが実現していたら、飲食店はウハウハだ(笑)。

ベリャーエフ『宇宙たんけん隊』には、超高速の列車がそのスピードで鉄橋のない川を難なく通過するシーンがあるが。
それもまあ無理だよなあ。
あと宇宙ステーションでの入浴シーンもあったけど、現在の宇宙ステーションに風呂はない。

ベリャーエフ『合成人間』(ドウエル教授の首)やハミルトン『戦うフューチャーメン』などに登場する、人間の頭部や脳だけを生かし続ける技術も、まだない。
もちろんジョーンズ『合成脳のはんらん』(ゴセシケ人間)に登場するような人造人間も夢のまた夢。
タイムマシンやタイムスリップは、原理的には未来に行くことは可能とされるらしいが、過去に行くのはどうも不可能っぽい。

そもそも、現在でもSFの定番要素である星間航行や自律型の人型ロボットなどが、まだまだ実現には遠い。
自分で考えてしゃべるドラえもんのような存在を人類が本当に目に出来る時は来るのだろうか。

ところで。
TV電話は実現したけど、結局それほど普及はしなかったなあ、電話が持ち歩く小型パソコン的な方向に進化するとは、昔は誰も想像しなかったぜ…と常々思っていたのだが。
コロナ禍を経て、ZoomなどのTV電話的なモノが急速に普及したのにはびっくりしたよね。

ともあれこの21世紀。
人間は2001年に宇宙の旅もしてないし、スターチャイルドも出てこないし、戦争も差別もなくならないし、あんまり明るい未来になってないね…。


今聴いているのはSFと言えばこの人(?)、難波弘之の『N氏の天球儀』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_102.html)。
昔の人が夢想した未来をテーマにした、俺が子供の頃に読んだSFとドンズバで合致する世界観。
他にもアシモフの名作をコンセプトとした『I ROBOT』をはじめとして、ロック界にはSF的な作品がいくらでも見られる。
このブログでは何と言ってもHAWKWINDだよなー。

4月になってもレミーを偲ぶ・その2

MOTORHEAD ON PAROLE.jpg1975年10月19日、MOTORHEADは初めてHAMMERSMITH ODEONのステージに立った。
BLUE OYSTER CULTの前座として。

この時にBLUE OYSTER CULTがMOTORHEADにサウンドチェックをさせなかったというエピソードは有名だ。
結局その時のMOTORHEADの音響は、ひどいモノになったらしい。

MOTORHEADもBLUE OYSTER CULTも大好きな俺にとっては、なんとも残念な話だ。
ちなみにIGGY AND THE STOOGESも1973年(だったと思う)の大晦日にBLUE OYSTER CULTの前座を務めているが、BLUE OYSTER CULTのメンバーをにこやかに談笑するイギー・ポップらの写真が残されている。
更についでに言うと、95年のレミー50歳の誕生パーティー(METALLICAが”LEMMY'S”として出演したことで有名なやつ)には、イギーも顔を出していたという。

そんなMOTORHEADも、1978年11月にはHAMMERSMITH ODEONにヘッドライナーとして出演するようになる。
そして81年、全英チャートを席巻する存在となっていたMOTORHEADは、ドイツのニュルンベルクで開催されたフェスティヴァルで、憎き(?)BLUE OYSTER CULTよりも後の出番で出演を果たすのだった。

レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)で、レミーは1981年当時のBLUE OYSTER CULTについて「結局のところ、あいつらはもう過去の存在だからな」と断じている。
実際には、この発言は少々正確さを欠く。
BLUE OYSTER CULTが81年にリリースしたアルバム『FIRE OF UNKNOWN ORIGIN』は、全米24位とそれなりのヒット作なのだった。
(一方同年に全英1位を獲得したMOTORHEADのライヴ盤『NO SLEEP 'TIL HAMMERSMITH』は全米チャートには入っていない)
BLUE OYSTER CULTがチャート・アクションを大きく下げて明らかな退潮となるのは、もう少し後のことだ。
(しかもBLUE OYSTER CULTが明らかに低迷期に入っていた80年代半ば、MOTORHEADも五十歩百歩の状況だった…)

そしてレミーが逝ってから今年で10年。
BLUE OYSTER CULTは今後新作の予定はないとしているものの、いまだ現役である。
ちょっと皮肉な気もする。


レミーを偲ぶとか言いながらBLUE OYSTER CULTの話になってきたので、話を1975年に戻す。
MOTORHEADはのちに『ON PAROLE』(画像)として知られることになる(幻の)1stアルバムのレコーディングを始めていた。
当初のプロデューサーはデイヴ・エドマンズ。
レミーは『ホワイト・ライン・フィーヴァー』で、デイヴとのレコーディングが楽しかったことを語っているが。
ホント残念だったよなあ。
MOTORHEADがデイヴのプロデュースでアルバムを完成させ、それが76年に『MOTORHEAD』としてリリースされていたら…。


いや、それでも多分ルーカス・フォックスはクビになり、ラリー・ウォリスは脱退していたのでは、と思う。

In My House

LITTER.jpg先日本棚から出てきたNEWSWAVE VOL.19を引き続きパラパラやっている。

DEATH IN JUNE、LOOP、elレーベル。
おお。
うむ、そういう時代であった。

一方で、当時世田谷区内にあったNEdSという輸入盤店の広告。
掲載されているジャケットは…。
THE LITTER『DISTORTIONS』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/505285337.html
KAK『KAK』
COUNT FIVE『PSYCHOTIC REACTION』
JOSEFUS『DEAD MAN』
THE MOVING SIDEWALKS『99th FLOOR』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_255.html
HIGH TIDE『SEA SHANTIES』
THE DEVIANTS『THE DEVIANTS』(https://lsdblog.seesaa.net/article/499477099.html
HENRY COW『IN PRAISE OF LEARNING』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_227.html
V.A.『NO NEW YORK』
V.A.『CLEAR CUT』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201610article_5.html)
THIS HEAT『DECEIT』
あら…ここだけこの数年前のFOOL'S MATEみたいねえ。
(または同時代のFOOL'S MATEやミュージック・マガジンのサイケ特集)

で、このNEdSって今でも西新宿(ダイカンプラザ!)で、ノイズ/アヴァンギャルド他の専門店として営業しているのね…。
すいません、全然知りませんでした。
(モグリっぷりを露呈)

ダイカンプラザとか、もう20年以上行ってないよ…。
西新宿自体、BARN HOMESが実店舗を閉めて以来ほとんど行ってないと思う。
今の俺は、とにかく週の半分は家にこもっている。
自宅大好き。


なんか全然別の話をしようとしていた気がするが…。
まあイイや。
既に酔っていて、もう1時間もしたら寝る。
(外にも出ないし夜更かしも出来ない)

4月になってもレミーを偲ぶ

HAWKWIND SILVER MACHINE.jpgレミーが在籍していた頃から、HAWKWINDはメンバー交代の激しいバンドであり続けていたが。
(ただしここ何年かは固定したラインナップだ)
レミーの自伝本『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)によれば、リーダーであるデイヴ・ブロックがHAWKWINDのライヴに現れないことも少なくなかったのだという。
流石に今のHAWKWINDでは考えられない。

で、デイヴ・ブロックがロンドンでのHAWKWINDのライヴに姿を現さなかったある日、ニック・ターナーはトゥインクにリード・ギターを弾くよう頼んだのだという。
コレにわかにも信じられない話だなあ。
だってトゥインク、ドラマーじゃん…。
しかしそんなデタラメが本当にまかり通ってしまうのが、当時のHAWKWINDだったらしい。
(もちろんトゥインクにリード・ギターは弾けず、そもそも渡されたギターには弦が2本しかなかったとか)

それにしても…以前にも書いたが、HAWKWIND在籍時のレミーのドラッグ使用は、種類も量も頻度もかなりとんでもない。
レミー曰く、「俺たちの誰も、アシッドで本当に頭イカれちまう奴がいるなんて知らなかった」と(…)。
周辺の人脈では、既にシド・バレットが完全にイッてしまっていたはずなんだけど。
レミー脱退後のアルバム『ASTOUNDING SOUNDS, AMAZING MUSIC』(1976年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201708article_24.html)でデイヴィッド・ギルモアがミックスに参加していたりで、PINK FLOYDとはわりと近いところにいたHAWKWINDだし、シドと一緒にやってたトゥインクも周辺にいたんだから、何か聞いてなかったんかねえ。

そして、ヘロインだけはダメだと常々言っていたレミーは、その一方で「少なくともスピードは人間の身体機能を衰えさせないクスリだ」などとのたまっている。
このあたり、やはりドラッグに対するあまりに独自な持論を語っていたウィリアム・S・バロウズに共通するモノを感じたり。
ともあれ、アメリカとカナダの国境でドラッグがらみで逮捕されたレミーは、(結局誤認逮捕だったワケだが)保釈されてトロントでステージを務めた後、HAWKWINDを解雇されることになるのだった…。

NEWSWAVE

NEWSWAVE.jpgああ、昨夜飲み過ぎた…。
そして今日も一人で花見。
また1年生き延び、今年も花見が出来る幸せよ。

で、仕事の合間に本棚をゴソゴソやっていたら、NEWSWAVEが出てきた。
言わずと知れた音楽ライター小野島大氏…がその昔やっていたミニコミ/ファンジン。
VOL.19。
1989年3月20日発行とある。
おおう、36年前。

表紙はニック・ケイヴ。
巻頭からいきなりディスク・レヴュー。
シングルが4ページ、アルバムが8ページ。

シングルはLARDのデビュー盤とか、MODHONEYの『SUPERFUZZ BIGMUFF』とか(コレはシングルじゃなくてミニアルバムだね)、ジュリアン・コープとか、CARTER THE UNSTOPPABLE SEX MACHINEとか。
LARDは俺も当時買ったなあ。
アルバムはルー・リード『NEW YORK』とか、SUICIDE『A WAY OF LIFE』とか、ダグマー・クラウゼ『TANK BATTLES』とか、LOOPの『FADE OUT』とか、COWBOY JUNKIES『THE TRINITY SESSION』とか。
そういう時代であった。

SONIC YOUTHのインタヴューが載っている。
(インタヴューは初来日直前、掲載は来日直後)
最後の一言が”DESTROY THE RAPEMAN”ですって。
ああ、スティーヴ・アルビニのRAPEMAN。
何しろバンド名がバンド名だし、当時批判されてたっけなあ。


小野島大氏をはじめ、NEWSWAVEに参加していた人たちの多くが現在も活躍中だ。
ってか「NEWSWAVE NIGHT」なんてやってるの?
えっ、今日?

3月になってもレミーを偲ぶ

HAWKWIND SILVER MACHINE.jpgレミーの自伝本『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)によれば、レミー加入当時のHAWKWINDはライヴ会場で観客に出す食べ物のすべてにアシッドを混入していたという。
何処まで本当かはわからない。
ライヴ会場でそんなに食べ物が供されるのか、とも思うし。
(当時のイギリスのライヴ会場ではそうだったのかも知れないが)
そもそも、レミー参加以前のHAWKWINDの1stアルバム『HAWKWIND』(1970年)の裏ジャケットだったか、”アシッドなしでトバしてあげますよ”的な文言が書いてあったような気がする。
(今俺の手元にある『HAWKWIND』は96年のリマスター盤CDだけで、そこには残念ながらそのような文は見当たらない)
一方レミー自身は40年ぐらい前のBURRN!のインタヴューでも、当時のHAWKWINDについて「お前たちがアシッドをやらないなら俺たちがアシッドの偉大さを教えてやるぜ!」というアティテュードでやっていた、みたいな発言をしていたと記憶する。
(確か86年のBURRN!だ。今でも部屋の何処かにあるはず…)

しかしHAWKWINDのメンバーの多くがマリワナとアシッドを愛好していたのに対し、レミーとディック・ミックはスピードに耽溺していたという。
このことがその後バンド内でのレミーの立場を危うくするのだったが。

90年代のHAWKWINDのアルバムを見ると、裏ジャケットには反ドラッグのスローガンが印刷されている。
何処まで本気だったのか…とも思うが、デイヴ・ブロックをはじめとする”本家”HAWKWINDメンバーは、ひょっとしたらその頃から本当にクリーンだったのかも知れない。
(そうでもないとデイヴが83歳の今も元気に活動していることの説明が付かない気もするし)

ニック・ターナーを中心に、90年代に”HAWKWIND”名義で来日したバンド(実際にはNIK TURNER'S SPACE RITUALとかだったはず)のメンバーは、サイモン・ハウスあたりを筆頭にみんなキメキメだった、とかいう話を聞いたことがある。
一方、昨年再発された『DOREMI FASOL LATIDO』(1972年:画像)の英文ライナーノーツによれば、ニック自身はアシッドをあまり好まなかったとか。
で、他のメンバーから飲み物にこっそりアシッドを混ぜられていたらしい。
理由は、素面のニックのプレイがつまらなかった、と(笑)。

ともあれHAWKWINDで二人だけスピードフリークだったレミーとディック・ミックは、約3週間ぶっ通しでスピードをキメ続けたことがあり、その間に2時間ぐらいしか眠らなかったという。
想像するだけで恐ろしい(苦笑)。

50 Years

BLUE OYSTER CULT ON YOUR FEET.jpg毎年のように、今年は197X年から50年…とかいう話を書いているが。
2025年は、1975年から50年なのだった。
ひょえー。



1972年も73年も74年もロック史上の名盤が多数出た年だったが。
75年だって負けてないぞ。



AC/DC『HIGH VOLTAGE』『T.N.T.』(いきなり2枚も)
AMON DUUL Ⅱ『MADE IN GERMANY』
ANGEL『ANGEL』(https://lsdblog.seesaa.net/article/503889628.html
AREA『ARE(A)ZIONE』
ASH RA TEMPEL『INVENTIONS FOR ELECTRIC GUITAR』
ATOLL『L'ARAIGNEE-MAL』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1515.html
BABE RUTH『BABE RUTH』
BLACK SABBATH『SABOTAGE』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2053.html
BLUE OYSTER CULT『ON YOUR FEET OR ON YOUR KNEES』(画像)
BUDGIE『BANDOLIER』
CARMEN『DANCING ON A COLD WIND』
THE DICTATORS『GO GIRL CRAZY!』
遠藤賢司『HARD FOLK KENJI』
FRANK ZAPPA『ONE SIZE FITS ALL』
GRAND FUNK RAILROAD『CAUGHT IN THE ACT』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201612article_24.html
GRATEFUL DEAD『BLUES FOR ALLAH』
HARMONIA『deluxe』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202211article_8.html
HAWKWIND『WARRIOR ON THE EDGE OF TIME』(https://lsdblog.seesaa.net/article/506244970.html
HENRY COW『IN PRAISE OF LEARNING』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_227.html
KISS『DRESSED TO KILL』(https://lsdblog.seesaa.net/article/504249721.html)『ALIVE』(この人たちも2枚!)
LED ZEPPELIN『PHYSICAL GRAFFITI』
LOU REED『METAL MACHINE MUSIC』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201811article_5.html
MAGMA『LIVE』
MAN『MAXIMUM DARKNESS』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1125.html
NEU!『NEU! 75』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201709article_15.html
PATTI SMITH『HORSES』
PAVLOV'S DOG『PAMPERED MENIAL』
POPOL VUH『AGUIRRE』
QUEEN『A NIGHT AT THE OPERA』
QUICKSILVER MESSENGER SERVICE『SOLID SILVER』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201612article_12.html
RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW『RITCHIE BLACKMORE'S RAINBOW』
ROBIN TROWER『FOR EARTH BELOW』
サンハウス『有頂天』
TED NUGENT『TED NUGENT』
THIN LIZZY『FIGHTING』
UFO『FORCE IT』
URIAH HEEP『RETURN TO FANTASY』
VAN DER GRAAF GENERATOR『GODBLUFF』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_149.html
THE WHO『THE WHO BY NUMBERS』
ZAPPA/BEEFHEART MOTHERS『BONGO FURY』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201612article_24.html
ZZ TOP『FANDANGO!』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_170.html


うはあっ、ざっと思い出しただけでもこんなに。
(実際にはまだまだあるよね)
まだこのブログで紹介してないアルバムもたくさんあるなあ。
それにしても、これらも50年か…。