12月・レミーを偲ぶ(2巡目・その2)

MOTORHEAD OVERNIGHT SANSATION.jpg1996年、MOTORHEADはアルバム『OVERNIGHT SANSATION』(画像)をリリースする。
『ANOTHER PERFECT DAY』(83年)から実に13年ぶりとなる、トリオ編成でのアルバムだった。

『OVERNIGHT SANSATION』に伴うツアーで、MOTORHEADは初めてロシアをツアーする。
いろいろ大変だったのね(苦笑)。

レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)で、レミーはこの当時について”アルゼンチンとか日本なんかじゃ、それまでよりデカい会場で演れるようになったりもしたよ”と語っている。
そう、『OVERNIGHT SENSATION』に伴うツアーで、MOTORHEADは1997年5月に3年ぶり4度目の来日を果たしたのだった。
日本に限って言えば、MOTORHEADは初来日以来中野サンプラザや川崎CLUB CITTA'などそれなりの規模の会場で演奏してきたワケだが。
俺は当時群馬県前橋市に住んでいた。
ところが関東でのライヴに予定を合わせられず、名古屋ダイアモンドホールまで出かけたのでありました。
もう30年近く前なのか。

1998年には『SNAKEBITE LOVE』、99年には2枚組ライヴ盤『EVERYTHING LOUDER THAN EVERYONE ELSE』と、”プラチナ・トリオ”(?)は順調に活動を続けた。
特に『EVERYTHING LOUDER THAN EVERYONE ELSE』は、黄金トリオ原理主義者(?)をも力ずくでねじ伏せるような強力なアルバムだったと思う。

そして2000年には『WE ARE MOTORHEAD』がリリースされる。
『MARCH OR DIE』(1992年)から8年ぶりとなる、タイトル曲が最後に来るアルバムだった。
そのタイトル曲のイントロを聴いて、えっ、コレ「Stone Dead Forever」じゃねえか、となったのを懐かしく思い出す。
00年5月には3年ぶり5度目の来日。
この時は新宿LIQUID ROOM(もうない)で観た。
で、同時期のロシア・ツアーはまたしても過酷だったそうで…。

大昔のラジオ・テレビ欄(その4)

BACH.jpg相変わらず「朝日新聞写真館since 1904」を(以下略)

1963年6月1日(土)夕刊。
NHKテレビでは19時半から『あなたのメロディー』(カラー)。
うおっ、審査員に湯川れい子の名前がある!
62年前…。
36年生まれの湯川女史、当時27歳か。

22時から『夢であいましょう』。
出演は永六輔、中村八大、坂本スミ子、E・H・エリック、デューク・エイセス他。

日本テレビでは19時半から『ミュージックスクール』。
出演はジェリー藤尾、スリー・ファンキーズ他。

TBSテレビでは18時から『歌のステージ』。
出演は西田佐知子他。
19時半からは『名犬ラッシー』。
21時から『ヒットショー』。
出演はこまどり姉妹、北島三郎他。
そして21時半から『ルーシー・ショー』。
声優として池田昌子、大山のぶ代他の名前がある。
1939年生まれの池田昌子、『銀河鉄道999』で初めてメーテル役をやった時点で39歳…。
(そして86歳でまだ存命、この正月には87歳になる)

フジテレビでは18時15分から『ローン・レンジャー』で、19時から『ヘッケル・ジャッケル』。
21時から『ズバリ!当てましょう』。
おお、岩下志麻が出ている。
22時からは『夜の十時劇場』。
出演は坂本九、宮城まり子、有島一郎他。
宮城まり子が「ねむの木学園」を設立するのはこの5年後のことである。

NETテレビでは22時から『ローハイド』。
声優は永井一郎、山田康雄他。
『ルパン三世』の10年近く前だ。

ラジオ欄では…おーっ、NHKがFM放送を始めている。
しかしこの時点ではまだロックのロの字もない。
TBSでもペギー葉山とかパット・ブーンとか。
文化放送では深夜にバッハ。
ニッポン放送はサム・テイラーとか。
ラジオ関東でもペレス・プラードやマントバーニ。
ロックはまだか。
(まだだ)

HAWKWINDの本・その4

HAWKWIND THE NEVER ENDING STORY.jpgHAWKWIND本『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』には、”SOME LYRICS”というページがあって、タイトル通り主だった楽曲の歌詞が掲載されている。

前にも書いたけど、改めて、無常/無情な歌詞が多いなあ、って。

「You Shouldn't Do That」は”お前はそうすべきじゃない/お前はそうすべきだ/お前はそうすべきじゃない/お前は何処かへ行こうと懸命に努力している/奴らはお前を振り回し、お前の髪を切る/お前は自由を求めている、奴らはまるでおかまいなしだ/お前は飛ぼうとする、お前は何処にも行けない/お前は何処にも行けない、お前は何処にも行けない”みたいな。

「Space Is Deep」は”宇宙は暗く、無限に続く/お前が迷子になったならそれは容赦ない/宇宙はとても大きく、とても小さい/人間は何故大きな者のように振る舞うのか?/これがお前の心の奥にある理由なのか?”みたいな。

「The Watcher」(レミー作詞)は”我々は今、お前を監視している/お前には今、自分に何が出来ると思う?/ここから見ると、お前はとても小さい/お前が最後に感じるだろうものは恐怖”みたいな。

「PXR5」(SF小説風)は”2年前、我々のノヴァ・ドライヴが故障した/そして我々は宇宙を漂流した/しかし今、モーターを修理した/レースを続けるために走るんだ/我々とともにあった乗組員のうち3人は、生き残ることが出来なかった/彼らの生命維持装置は負荷に耐えられなかったのだ/そして彼らは死んだ”みたいな。

いや、もちろんこんな感じの歌詞ばっかりじゃないとはいえ。
しかしデイヴ・ブロックが書いた歌詞でもロバート・カルヴァートが書いた歌詞でもレミーが書いた歌詞でも、なんか「それを言っちゃあおしめえよ」みたいな(?)無常/無情な感じのがけっこうあるんだよなあって。
”俺はシルヴァー・マシーンを手に入れたんだぜ!”みたいなののほうがむしろ例外っぽい。
ラスト・サイケデリック・ヒーローとか呼ばれながら、サイケデリックと言って一般にイメージしがちなのーてんきな歌詞じゃなかった、というのが、ひょっとしてHAWKWINDを長寿バンドにしたのかも…などと思ったりもする。
知らんけど。

12月・レミーを偲ぶ(2巡目)

MOTORHEAD SACRIFICE.jpgこのシリーズ予想通り1年越しになりましたわ…。

アメリカのレーベル・CMCと契約した結果、『SACRIFICE』(1995年:画像)以降のアルバムのディストリビューションは飛躍的に向上したという。
気を良くしたレミーはツアーに勤しんでいたが、もちろん(?)イイことばかりではなかった。

1995年のカナダ・ツアー中、レミーの頭痛のタネになったのはレーベルの広報担当の女性だったという。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)には、件の女性広報がレミーから性的侮辱を受けた、と主張した…とある。
一方レミー曰く、彼女に対しては「キミみたいに美人のレコード会社の担当者には、俺たちもう随分長いことお目にかかってなかったね」と言っただけだ、と。

続けてレミーは言う。
”もしキレイだって褒めることがハラスメント(いやがらせ)になるって言うなら、この世界は本当にどうかしちまったってことだろうさ”

うん…。
『ホワイト・ライン・フィーヴァー』の原書が出たのは2002年。
それから既に23年が経過している。
残念ながら(?)、現在では女性のルックスを褒めるというのも非常にナイーヴというかデリケイトなお話になっているんだよね。
件の女性は、単にそのへんに早くから敏感だったのかも。
もっともレミーが今も存命だったとして、今月80歳(!)になるはずだったレミーは、そんなことには納得しなかったのでは、と思うが。
レミーが頑迷だったのか、それとも本当に世界はどうかしちまったのか。

そして1995年12月、レミーは50歳を迎える。
マネージャーのトッド・シンガーマンは盛大な誕生パーティーを開催したが、レミーには居心地が悪かったのだそうで。
レミー曰く”俺自身が招待したいと思ってたゲスト全員が入場出来たわけじゃなかったし”云々。
このパーティーにはイギー・ポップも顔を出していたというが、レミーにとってイギーはどうだったかな。
俺にとっては夢の顔合わせだけどね…。

大昔のラジオ・テレビ欄(その3)

HARRY BELAFONTE.jpg相変わらず「朝日新聞写真館since 1904」をガサガサ広げている。

1962年6月1日(金)夕刊。
テレビ欄とラジオ欄の位置が逆転。
NHKテレビでは17時54分から『鉄腕ポパイ』。
おお、18時半から『みんなのうた』!
そしてこの頃から一部の番組に”カラー”の表記が。

日本テレビでは21時15分から『保安官ワイアット・アープ』。
そして22時半から「プロレスリング ホフマン、シャープ、オースチン、ワルド、東郷、力道山、遠藤幸吉、豊登」!

TBSテレビでは21時半から『ベン・ケーシー』。
フジテレビでは20時から『ペリー・メイスン』。
やはり海外ドラマ強し。
21時15分からは「ミュージカル特集」、出演はペギー葉山他。

ラジオ欄、NHK第一は20時40分から「トップスターショー」、出演はダークダックス。
21時25分から「漫才」、出演は獅子てんや・瀬戸わんや他で、橋幸夫の歌も。
22時25分からは「強まった不景気風」。
ふーん、この頃不景気だったのかあ。
当時の経済って右肩上がりなイメージがあったけど、そうでもなかったのね。

TBSラジオでは21時10分から「歌デル・シャノン他」。
おお、街角男。
0時15分からは「歌 プレスリー他」。
1時からは「M・デイビス楽団」。

ラジオ関東では21時5分から「東京キューバン・ボーイズ・ショー」。
22時50分から「歌 イブ・モンタン」。
0時から「歌ニーナ・シモン他」、1時から「歌ベラフォンテ他」。
昔うちにもハリー・ベラフォンテのLPあったなあ。

大阪の朝日ラジオでは20時半から『かしまし娘膝栗毛』。
同じく大阪の毎日ラジオでは19時から「ワールド・ミュージック」という番組があるが。
もちろん(?)アフリカの音楽とかではなく、LOS PANCHOSやイヴ・モンタンなど。

ラジオ大阪では18時から「歌謡スター 美空ひばり」。
そして20時からの「歌謡曲大全」にも美空ひばりが出演していて、当時の彼女の人気がよくわかる。
出演は他に三橋美智也、春日八郎、橋幸夫、三浦洸一、三波春夫他。
この頃としては黄金のラインナップだったろう。
21時からは「島倉千代子ショー」。

THE BEATLESなどはまだまだ先である…。

HAWKWINDの本・その3

HAWKWIND THE NEVER ENDING STORY.jpg先週までの地獄の忙しさが今週からは普通の忙しさになったので(それでもまだ忙しいのはありがたいこっちゃ…)、仕事の合間にHAWKWIND本『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』をパラパラやっている。

ピート・フレイム作のHAWKWINDファミリー・ツリーが載っている。
(1979年までのだが)

GROUP X/HAWKWIND ZOO時代(1969年7月~10月)のメンバーはデイヴ・ブロック(ギター、ヴォーカル)、ミック・スラッテリー(ギター)、ジョン・ハリスン(ベース)、ニック・ターナー(サックス、ヴォーカル)、ディック・ミック(オーディオ・ジェネレーター:このファミリー・ツリーでは”エレクトロニクス”)、テリー・オリス(ドラム)の6人。
そのラインナップから、ミックが離脱。
それについては一言”too stoned”とだけ書いてある(苦笑)。
そのような時代だったし、そもそもHAWKWINDはそういうバンドであった。

バンド名がHAWKWINDとなってからもディック・テイラー(元THE PRETTY THINGS)→ヒュー・ロイド・ラントンとギタリストは入れ替わり。
今度はジョン・ハリスンが脱退。
”too straight”とある(笑)。
ああ、”更生”したのね…。

その後ベーシストはトーマス・クリンブル→デイヴ・アンダーソン→レミーと変遷。
レミー、実はもう4人目のベーシストだったんだよね。

ベーシストに限らず、その後もメンバーの出入りは続き。
1973年8月にはディック・ミックが脱退。
ディック・ミックがいなくなったことで、バンド内でスピード常習者がレミー一人になり、レミーは孤立していくことになるのだが。
ディック・ミック自身については、”Finally left for good”とある。
友好的に脱退していたのね。

デル・デットマー(シンセサイザー)脱退については”emigrated”と一言。
そう、デルはカナダに移住して木こり(!)になったのだった。
人生いろいろ…。

11月になってもレミーを偲ぶ

MOTORHEAD SACRIFICE.jpgアルバム『SACRIFICE』(1995年:画像)制作当時のMOTORHEADについて、レミーは自伝本『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)の中でこう語っている。
”ドイツと日本て言う、バンドにとっての2大マーケットでちゃんと契約があって、新作を求められてたんだから、何がどうあれ俺たちは粛々と邁進する以外になかったのさ”
…当時MOTORHEADのアルバムを買い続け、来日ライヴにも足を運んでいた日本の忠実なファンたちは、堂々と胸を張ってイイってことだぜ。
(あと当時BURRN!で”底築”とかボロクソに言われてたテイチクのメタル部門のディレクターさんたちも)
ってかその頃のMOTORHEADにとって、最早英国は主たるマーケットじゃなかったんだなあ。

その『SACRIFICE』、もちろん傑作だったが、レミーにとっては”モーターヘッドの全作品の中でも個人的に思い入れの強いアルバムだ”そうで。
プロデューサーのハワード・ベンソンが多忙を極めていたせいであまりきちんと関われず、ワーゼルの心がもうMOTORHEADにないことが明白になる中で次々と”グレイトな曲が生まれた”と。

「Make'Em Blind」のギター・ソロを録っている最中に、カウチでギターを弾いていたフィル・キャンベルが床にひっくり返ってしまい、そのまま弾き続けたテイクが一発でOKになった…というエピソードには、『ACE OF SPADES』の「We Are The Road Crew」で”ファスト”エディ・クラークがまったく同様に床にひっくり返ったまま最高のソロをキメた、という伝説を思い出さずにいられない。
『SACRIFICE』は『ACE OF SPADES』のような大ヒットにはならなかったが、力作であることは間違いない。

結局『SACRIFICE』リリース後、ワーゼルがバンドを脱退する。
レミーは新たなギタリストを補充しなければと考えたが、ここでフィル・キャンベルが”覚醒”。
以後のMOTORHEADはレミーが亡くなるまで、エディ・クラークやブライアン・ロバートソンがいた頃と同様のパワー・トリオとして20年駆け抜けたのだった。

『ホワイト・ライン・フィーヴァー』で、レミーはフィル・キャンベルを”フィルはどんな体調の時でも良いソロをプレイ出来る”と評し、続けて”ブライアン・ロバートソンも似たようなところがあったな”と語っている。
クビにしたロボのこともこんな風に言うんだよね。
レミーってホントにフェアな人物だったと思う。

ともあれMOTORHEADはアメリカのCMCとも契約し、久しぶりにアメリカでもまともにアルバムがリリースされる状況になったのだった。

大昔のラジオ・テレビ欄(その2)

DAVE BRUBECK.jpgうはあ、急ぎの大きな仕事が終わった。
で、先日も話題にした「朝日新聞写真館since 1904」(のラジオ・テレビ欄)をガサガサ広げる。

1961年6月1日(木)夕刊。
NHK第二で17時半から「モダン・ジャズ」。
どんなのがかかっていたのかしら。
デイヴ・ブルーベック(画像)とかかなあ。
ニッポン放送では17時台に「歌 西田佐知子」「歌 朝丘雪路他」。

ラジオ関東では20時50分から「歌エルビス・プレスリ」(←ママ)。
おおっ、遂にR&Rが!
しかし1961年…エルヴィス・プレスリーのどんな曲がかかっていたのか。
多分初期のではないだろう。
R&Rっぽくない曲とかじゃなかったのではと。

東京テレビでは19時から『ラッキー7ショー』。
出演は宝田明、コロムビア・ローズ他。

NETテレビでは17時15分から『少年ケニヤ』(!)。
20時から『ララミー牧場』。
このへんの時間帯にアメリカ製のドラマというのは、この後もかなり長いこと続いたはず。

ラジオ大阪では23時から『ジャズマニヤ』。
コレもどんなのがかかってたのかしら…。


そして1962年6月1日(金)夕刊になると、ラジオよりもテレビの方が先に掲載されるようになっている。
その内容は、また次回。

HAWKWINDの本・その2

HAWKWIND THE NEVER ENDING STORY.jpg10月はブログをちょこちょこ休む程度には忙しかった(&体調悪かった)が、今夜は久しぶりにHAWKWIND本『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』(画像)をパラパラやっている。

あちこちに載っている昔のポスターやフライヤーの画像が非常に興味深い。
何がって、対バンの顔ぶれね。

1972年9月23日の「WINDSOR ARTS FESTIVAL」は、HAWKWINDがヘッドライナーで。
他にアーサー・ブラウン、MC5(末期だなあ)、PINK FAIRIES(2ndアルバムの頃だ)、更にRENAISSANCE(!)とか。

1970年(と思われる)12月13日にロンドンのROUNDHOUSEで開催された「GREAT XMAS PARTY」(ミック・ファレンが関わっていたアングラ新聞ITが主催したらしい)は、THE PRETTY THINGSがヘッドライナーで。
(アルバム『PARACHUTE』の頃だ)
HAWKWINDはセカンド・ビル。
で、PINK FAIRIES(結成間もない頃)にアレクシス・コーナー(!)に…SHAGRAT?
そう、この頃SHAGRATは(多分)スティーヴ”ペリグリン”トゥック(ベース、ヴォーカル:元TYRANNOSAURUS REX)、ラリー・ウォリス(ギター:元THE ENTIRE SIOUX NATION)、フィル・リノア(ドラム:元BLACK CAT BONES)という編成でライヴ活動をやっていたのだ。
(ひょっとしたらベースはティム・テイラーだったかも知れない)
もちろんラリーは3年後にPINK FAIRIESに、5年後にはMOTORHEADに参加することになる。

1987年12月12日にリーズで行なわれた「ACID DAZE」のラインナップは、HAWKWIND、SUICIDE(!)、PINK FAIRIES、ALL ABOUT EVE(!)、ROBERT CALVERT AND THE STARFIGHTERS、SPACEMEN 3(!)他。
すげえな…。

そして1989年(と思われる)3月5日に、前年8月に亡くなったロバート・カルヴァートへのトリビュート及び遺族へのベネフィットとしてブリクストンで開催されたライヴは、ヘッドライナーがHAWKWINDで、セカンド・ビルがDOCTOR & THE MEDICS。
(なるほど、そういう時代であった。とは言ってもこの頃DOCTOR & THE MEDICSはIRSとの契約を失う直前だったが)
以下、GAYE BYKERS ON ACID、THE PINK FAIRIES PSYCHEDELIC ROCK REVUE(この時点では87年の再編PINK FAIRIESとはメンバーが違っていたのかも知れない)、MAN、HERE & NOW、(ボブ・カルヴァート抜きの)THE STARFIGHTERS、NIK TURNER'S FANTASTIC ALLSTARS他。
うひょー。


もっとも、興味深いとかうひょーとか言ってるのは俺ぐらいかも知れないけどさ。

Boggie For UFO?

UFO Boggie For George.jpg北島三郎の弟子、”歌手の小金沢くん”こと小金沢昇司は、UFOウォッチャーとしても有名なのだという。
彼が最初にUFOを目撃したのは、北島三郎の付き人としてメキシコに行った時だそうで。
(ってかサブちゃんメキシコまで公演に行ってるのか…)
夜空にUFOの編隊が飛んでいるのを見て、小金沢や他のスタッフは大騒ぎしたが、サブちゃんだけは「当たり前だ」と言って、平然としていたとか。
流石サブ・北島…。
同じく北島ファミリーの山本譲二も、UFOや宇宙人を何度も目撃しているという。
北島ファミリーはUFOと縁があるのか…。


話はガラッと変わるが。
宇宙を飛んでいる宇宙飛行士は、当然(?)UFOを目撃することも多い。
最初の目撃例とされるのは、1962年2月にマーキュリー計画でフレンドシップ7号に搭乗していたジョン・グレンによるモノ。
当時UFOは宇宙飛行士の間で”宇宙ボタル”と呼ばれていたそうで。

その後のジェミニ計画やアポロ計画の宇宙飛行士たちにも、UFOを目撃したという話は多く。
彼らは地上との交信の際に、UFOのことを”ボギー”という隠語で呼んでいたという。

んっ?
ボギー?

…このブログで以前UFOの2ndシングル「Boggie For George」(1971年:画像)を紹介したことがあった。
https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2170.html
その国内盤7inchでの”Boggie”というのは”Boogie”のスペルミスだったのだが。
宇宙飛行士たちがUFO(バンドじゃないほう)を”ボギー”と呼んでいた?
何という偶然だろうか…。
もっとも、我が家に(けっこう)あるUFO関連の書籍にはカタカナで”ボギー”と書いてあるだけなので、”ボギー”が”Boggie”なのか”Boggy”なのかはわからんのだけどね。


ともあれ明日は「SCREAM&SOUNDZ」@西荻窪PitBarです。
UFOは断じて回さんが。