Run To Youの行方

BLUE OYSTER CULT THE REVOLUTION BY NIGHT.jpgブライアン・アダムスのヒット曲「Run To You」が、元々BLUE OYSTER CULTのために書かれたモノだったんですってよ…。

https://amass.jp/185625/

当時のブライアン・アダムスは、他のバンドに曲を届ける方法がわからなくても、とりあえずそのバンドのために曲を書いてみることがあったのだそうで。
しかし「Run To You」に関しては、プロデューサーのブルース・フェアバーンに曲を送っていたという。
ブルースがプロデュースしたBLUE OYSTER CULTのアルバムは『THE REVOLUTION BY NIGHT』(1983年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1999.html)だけなので、コレは82~83年頃の話だったということになる。
ブライアン曰く、ブルースはBLUE OYSTER CULTのメンバーたちに「Run To You」を聴かせなかったのだろう、と。

BLUE OYSTER CULTは『THE REVOLUTION BY NIGHT』の時点で完全に外部のソングライターの手になる「Eyes On Fire」を収録していた。
他にも「Take Me Away」など、メンバー以外がソングライティングに関わった曲が何曲かあり。
「Run To You」がBLUE OYSTER CULTのレパートリーになった可能性は、小さくはなかったと言える。

ちなみに『THE REVOLUTION BY NIGHT』は全米93位、全英95位。
シングル「Take Me Away」(アルド・ノヴァがソングライティングに関わっていた)はチャート入りせず。
続く「Shooting Shark」(作詞はパティ・スミス)は全米83位、全英97位。
そして「Shooting Shark」は、BLUE OYSTER CULTにとって全米・全英チャート入りした最後のシングルとなった。

結局ブライアン・アダムスは「Run To You」を1984年に自分自身で世に出し、全米6位、全英11位のヒットとなる
もしBLUE OYSTER CULTが「Run To You」を『THE REVOLUTION BY NIGHT』に収録し、それどころかシングル・カットしていたら…。
いや、やっぱり大してヒットしなかったんじゃないかなあ(苦笑)。
アレはブライアンが自分で歌うから良かったんだよ…。

10月になってもレミーを偲ぶ

MOTORHEAD Born To Raise Hell.jpgレミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)で、レミーはスラッシュ(GUNS N' ROSES)のことを”凄く気性の優しい、真面目な男”と高評価している。
が、レミーとスラッシュが同郷(ストーク・オン・トレント出身)ということは何処にも書いていない。
ひょっとして知らなかった?
あと、スラッシュはストーク・オン・トレントで育っているけど、生まれたのはロンドンだったらしい。

ともあれ、そのスラッシュが(あとオジー・オズボーンも)参加した「Ain't No Nice Guy」をソニーがまったくプロモートしなかったことに対してのレミーの怒りは凄まじい。
まあそりゃそうだよね、と思う。

ところで俺は、レミーがレズリー・ウェストを”心から敬愛する人物”としていたことを、『ホワイト・ライン・フィーヴァー』を読んで初めて知ったのだった。
へー、ちょっと意外。
でもMOTORHEADがMOUNTAINの曲を何かカヴァーしていたら、絶対ハマっていたはずだ、と思う。
それにしてもレミーの語る、レズリーの奇人変人ぶりよ…。

そしてまたしても、「あれ?」と思うことがある。
レミーが映画『HELLRAISER Ⅲ』のサントラで仕事をしたのは間違いないが。
彼はその時にアイスTとウィットフィールド・クレインと一緒に「Born To Raise Hell」もレコーディングした、と語っている。
いや…それは『HELLRAISER Ⅲ』じゃなくて『AIRHEADS』(ハードロック・ハイジャック)の話じゃないのか?
(画像参照)
ちなみにレミーは『ホワイト・ライン・フィーヴァー』で、『AIRHEADS』出演の話もしていない。
(アレ、レミーの一言が最高なのに…)

ともあれさんざんのうちにメジャー契約を失ったMOTORHEADは、続いてドイツのZYXと契約する。
ドイツのレーベルで(MOTORHEADはドイツで人気があったからそれはまあイイとして)、ダンス・ミュージック中心のレーベルで(しかしESPレコーズの再発とかもやってたんだが)、しかもアメリカでのマーケティングのツテもノウハウもない、そんなレーベルに在籍していた時期に、MOTORHEAD90年代の最高作『BASTARDS』が制作された、というのはいささか皮肉だったね。

大昔のラジオ・テレビ欄

PEANUTS.jpg正直言って最近の朝日新聞は劣化著しい(?)のだが、それでも購読を続けている。
(我慢ならなくなったら東京新聞に切り替える)

…でまあその朝日新聞が、先日5万号を達成したんですってよ。
そこでそれを記念して、号外的な「朝日新聞写真館since 1904」という別刷りが出ていた。
(非売品と書いてある)
タイトル通り、この120年余りの朝日新聞に掲載された写真が再録されていて。
それだけでも十分面白いのだが。
個人的に興味深かったのは、紙面の下の方に、昔のラジオ/テレビ欄が再掲されていること。
うっはあ、こりゃおもしれえ。

一番古いのは1955年6月1日(水)のラジオ欄。
この時点ではテレビ欄はその横に小さく。
NHK第二は6時半から「鉱石受信機の組立」という番組をやっている(!)。
なんだそりゃ…。

ラジオ東京は22時半から「シャンソンと弦の集い」。
ニッポン放送(もうあったんだ!)は22時15分から「ジーン・クルーパ集」。
R&Rがラジオでかかるようになるのは、まだかなり先の話であった。
一方日付が変わると終わってしまう印象があったテレビ、この頃から民放では既に深夜番組が放映されている。

コレが1年後の1956年6月1日(金)になると、ラジオ東京で22時半から「レスバクスター楽団」。
文化放送では23時から「これがタンゴだ」、23時半から「夜のラテンリズム」。

で、更に1年後の1957年6月1日(土)になると「今晩のラジオとテレビ」として、テレビ番組の扱いも大きくなっていて。
この頃ってNHKがプロ野球の実況をやっていたのねえ。
そしてKRテレビ(って何?)では18時から『鉄腕アトム』をやっている!

それから更に1年後の1958年6月1日(土)。
ニッポン放送では17時35分から「歌ナットキングコール」。
おお、KRテレビでは18時から『月光仮面』!
そして20時半からは『名犬ラッシー』。

1959年6月1日(月)になると、ラジオ東京で18時5分から『まぼろし探偵』。
文化放送では18時15分から「ハワイアン特集」。
そして21時からは「歌 春日八郎、美空ひばり、三浦滉一」。
ニッポン放送では22時15分から「歌 ビング・クロスビー」。
NHKテレビでは19時15分から『バス通り裏』。
フジテレビでは21時から『スター千一夜』!
うはあっ、この頃からやっとったんかい。
(若い人は何のことやらだろうけど)

コレが1960年6月1日(水)になると、ラジオ関東で20時50分から「ザ・ピーナッツ他」。
そして23時20分から「ソニーロリンズ楽団」。
R&Rはもうちょっと後だ…。

HAWKWINDの本

HAWKWIND THE NEVER ENDING STORY.jpg例によって仕事の合間に本棚をゴソゴソやっていたら、HAWKWINDの本が2冊出てきたよ。
1冊は『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』(1991年:画像)。
もう1冊が『THE ILLUSTRATED COLLECTOR'S GUIDE TO HAWKWIND』(93年)。

これらは何処でどうやって入手したんだっけ、と思い出してみた。
どちらも単体の本として買ったのではなかったな。
『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』は、『LIVE IN SPACE 1990』というCDが付属した、いわゆるCDブックみたいな形で買ったんだった。
(検索すると、Discogsには『LIVE IN SPACE 1990』として、本+CDではなくCD+本として記載されている)
『THE ILLUSTRATED COLLECTOR'S GUIDE TO HAWKWIND』は、ライヴ盤『CALIFORNIA BRAINSTORM』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202111article_29.html)のロング・ボックスの中に付録として入っていたのだ。
(本が入ってるとかまったく想像してなくて、開封してびっくりした)

90年代前半、もうHAWKWINDのアルバムは相当集まって来ていた頃だったけど、それでもHAWKWIND全史なんてのは全く把握出来てなくて。
当時の俺には、とてもありがたい2冊だった。
今眺めても楽しい。

『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』は当時イタリアで出ていた一連のシリーズの1冊で。
他にJOY DIVISION、THE SMITHS、ロバート・ワイアット、TUXEDOMOON(!)、シド・バレット、SISTERS OF MERCY、THE VELVET UNDERGROUND、THE RESIDENTS、BAUHAUS、SONIC YOUTHなんかが出ていたらしい。
(付録はCDではなく7inchのことも)
イタリアで出たモノなので、ページの左右にテキストがそれぞれ英語とイタリア語で並んでいる。
写真はそれほど多いワケじゃないけど、昔のフライヤー/ポスター画像とか載っているし、ピート・フレイムの本から引っぱってきた1979年までのファミリー・ツリーとか、なんとも言えん味わいのイラストとか、主な楽曲の歌詞とか、「Silver Machine」の楽譜なんてのまで載っているのだった。

時代を感じるのはディスコグラフィのページで。
アルバム自体は当時の最新作『PALACE SPRINGS』(1991年)まで全部掲載されているんだけど。
この時点でCDは、オリジナル・アルバムと編集盤とライヴ盤含めても、35枚しかなかったのね…。

Imagine U.F.O.

JOHN LENNON.jpgジョン・レノンは宇宙人に会ったことがあるという。

1975年、ニューヨークの自宅で寝ていたジョン・レノンがふと目を覚ますと、ドアの鍵穴から光が差し込んでいたのだそうで。
部屋の向こうから誰かがライトを照らしているのか、それとも火事なのかと思ったジョンは、慌ててドアを開けた。
するとそこには、昆虫のような姿をした4匹の生き物がいたのだという。

生き物たちはジョン・レノンに近付いてきて、卵のような金色の物体を手渡したという。
そしてジョンが気が付いた時には、手元に謎の物体だけがあって、謎の生き物たちの姿はなかったんだとか…。


…というのは、スプーン曲げで有名なあのユリ・ゲラーの話。
ジョン・レノンがユリに語ったところによれば、「ドラッグの幻覚などではなく、彼らは正真正銘のエイリアンだった」と。
(ああ、当時ドラッグ自体はけっこうやっていたワケだね…)

で、金色の謎の物体は、ジョン・レノンが気味悪がってユリ・ゲラーに渡してしまったのだという。
それから半世紀。
ジョンが亡くなってからでも45年。
謎の物体はどうなったの?
今でもユリが持ってるんでしょうか。


ってか、ジョン・レノンとユリ・ゲラーって付き合いあったんだ?
…と思って”ジョン・レノン ユリ・ゲラー”で検索してみたら、なんだ、Wikipediaにも載ってるじゃねえか。
けっこう仲良かったのね…。
オークションに出たジョンの眼鏡もユリが高額で落札したんだそうで。
それどころかマイケル・ジャクソンとも親交があったとは。
(その後疎遠になったって)

俺はジョン・レノンが宇宙人に会った話を本で読んだんだけど、これまた検索してみたらその話はネットにもけっこう出ている。
残念ながら、謎の物体がどうなったかはどのサイトにも書いていない。

9月になってもレミーを偲ぶ・その2

MOTORHEAD MARCH OR DIE.jpgアルバム『1916』のリリース後、1992年の来日と前後して、MOTORHEADのマネージャーはフィル・カーソン→シャロン・オズボーン→ダグ・バンカーと次々に交代する。
ダグがマネージャーになる前の一時期は、ツアー・マネージャーのホブスとWTGのレズリー・ホリーがレミーを大いに助けたという。
ともあれバンドは活動を続けていた。

しかし次のアルバム『MARCH OR DIE』の制作に入って早々に、フィル”フィルシー・アニマル”テイラーがクビになる。
『MARCH OR DIE』ではオジー・オズボーンのバンドのメンバーとしてレミーとは旧知だったトミー・アルドリッジがほとんどの曲を叩いた。
そして新たに迎えられたのがミッキー・ディー(元KING DIAMOND他)だったことは、言うまでもない。

ところでレミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)では、レミーとミッキー・ディーのなれそめについて「?」と思うところが幾つかある。
MOTORHEADはブライアン・ロバートソン在籍時にMERCYFUL FATEとツアーしたことがあり、当時ミッキーはMERCYFUL FATEにいた…とあるが、ミッキーがいたのはMERCYFUL FATEではなくKING DIAMONDだ。
MOTORHEADはKING DIAMONDとツアーしたことがあるので、レミーとミッキーが知り合ったのはその時だろう。
(ちなみにロボの在籍時ではなく、ピート・ギルを含む4人編成の時期だったはず)

また、フィル・テイラーが最初に脱退してピート・ギルが加入する直前にも、レミーはミッキー・ディーに声をかけたことがあったという。
しかしミッキーはDOKKENに加入するところだった、と。
コレもレミーの記憶違いと思われる。
ピートの加入は1984年、ミッキーが(DOKKENではなく)DON DOKKENに加入したのが90年のことだからだ。

『ホワイト・ライン・フィーヴァー』を読んでいると、レミーの記憶の確かさに驚かされるところが多々あるのだが。
一方、記憶があいまいなこともそりゃあいろいろあっただろう。

ともあれ新たにトッド・シンガーマンがマネージャーとなり、バンドは『MARCH OR DIE』を完成させる。
テッド・ニュージェント「Cat Scratch Fever」のカヴァーが入っているのは、テッドと仕事をしていたダグ・バンカー(デトロイト在住)とは関係なく、フィル・キャンベルの提案だったらしい。

しかし残念なことに、『1916』でイイ仕事をしたピート・ソリーとは、『MARCH OR DIE』では上手く行かなかったようだ。
(そもそも『1916』でMOTORHEADと上手くやれたのが不思議な気もするが…)

そして大天使は去りぬ

ARCHANGEL.jpg仕事がそろそろヤバくなってきたんだけど、それでも合間にパラパラやっているARCHANGEL。
vol.8は1998年7月号。
表紙と特集はMAGMA。
39ページの大特集。
なんと、付録でMAGMAのファミリーツリーまで付いている。
(コレは労作…)

PROJEkCT TWOのライヴ・レポートとメンバーのインタヴューも載っている。
(しかしロバート・フリップのインタヴューはないというね…)

坂本理氏がピーター・ブレグヴァッドとジョン・グリーヴス、SOFT MACHINEの記事を寄せている。
そう、この頃はまだEURO-ROCK PRESSが創刊される前だった。


そしてvol.9は1999年1月号。
vol.8の時点では98年9月発売と予告されていたが、かなり間隔が空いている。
これまでのような何十ページもの大特集がなくなっていて。
そのため、表紙もロバート・フリップやクリスチャン・ヴァンデが分け合っている。

前号の特集はMAGMA来日前だったが、vol.9は来日後で。
もちろんクリスチャン・ヴァンデ他のインタヴューが載っている。
これらが全部で17ページもあるので、前号に続くMAGMA特集号と考えてもイイのかも知れない。

一方でダニエル・アッシュのインタヴューなんてのも。
そうか、再結成BAUHAUSで来日してたんだっけ。

GROBSCHNITTやPELL MELLに各1ページ割いているのも「おっ」と思ったり。
おや、YA HO WHA 13の記事も。
(例の13枚組BOXが出た時期だった)

レヴューのページではキャプテン・トリップ・レコーズだけで1ページ占めていたり。
キャプテン・トリップ、勢いのあった時代だ。
(ちなみに紹介されている14枚のうち半分は俺がライナーノーツ書いていた)

この号でも坂本理氏がフレッド・フリスとSLAPP HAPPYの記事を寄せ、ピーター・ブレグヴァッドとクリス・カトラーとジョン・グリーヴスのインタヴューを担当している。
一方この頃には既にEURO-ROCK PRESSが創刊。
結局ARCHANGELはこの号で終わったようだ。
(編集後記には休刊みたいなことは全然書いていないのだが)

続々・謎の円盤…?

FOO FIGHTERS.jpg先日、UFOの存在が全米に知れ渡ったのは1947年の「ケネス・アーノルド事件」だ、と書いたが。
実際には第二次世界大戦中からUFOの目撃事例が相次いでいた…というのは、今ではよく知られるところ。
それがいわゆる”フー・ファイター”というやつだ。

フー・ファイターが初めて話題になったのは、1944年12月14日の「ニューヨーク・タイムズ」の記事だったという。
それはなんと当時の連合軍最高司令部司令官アイゼンハワー将軍の声明で、「連合軍がドイツの上空で球形で半透明の飛行物体の大編隊と遭遇した」というモノだった。
そのように、謎の飛行物体は連合軍のパイロットによってヨーロッパの上空で目撃されることが多く、そのためフー・ファイターはドイツの秘密兵器ではないかと考えられていたらしい。
今ではナチス・ドイツが第二次世界大戦中に円盤型の航空機を開発していたということは、これまたよく知られている。
ネットではナチス・ドイツのUFO(とされる)”ハウニブ”の写真も見られるしね。
(ナチス・ドイツが円盤型の航空機を作ろうとした理由について、彼らが既に外宇宙から来たUFOの存在を知っていたからだ、なんて話まであったりして…)

しかし実際には、当のドイツ軍のパイロットが1944年9月に謎の発光体に遭遇していた、という話がある。
そればかりか、もっと早い41~42年にはソロモン諸島やインド洋でも同様の発光体が目撃されていたんだとか。

ところでフー・ファイターというと、それをバンド名に冠したFOO FIGHTERSがいる。
デイヴ・グロールは、どうしてそんなバンド名を付けたのかな、と思う。
何しろFOO FIGHTERSに、UFOと関係するような曲やアルバムはなかった、はずだ。

それにしても。
FOO FIGHTERSの1stアルバム『FOO FIGHTERS』(画像)って、もう30年前なんだなあ…。

ちなみにその後アメリカ合衆国大統領になったアイゼンハワーは、1954年2月に宇宙人と密約を結んでいたなんて話も…。

5 Years(Forget 'em not)

STRANGLERS BLACK AND WHITE.jpg昨日ちょっとコロナ禍の話が出たが。
世界が新型コロナウイルスの猛威に襲われてから、5年半ほど経っている。

当時から「コロナはただの風邪」なんて言説があったが。
いやいや、例えばミュージシャンだけでも、このコロナで何人死んだと思ってんだよ、って話でね。
たった数年の間に何十人も死ぬような、そんな風邪があるかと…。

このブログで取り上げただけでも(しかもミュージシャンだけでも)、

マヌ・ディバンゴ
L.A.クヴァリス(元RIOT)
アラン・メリル
ハル・ウィルナー(この人はプロデューサーだが)
マシュー・セリグマン(元BRUCE WOOLLEY AND THE CAMERA CLUB他)
ヘンリー・グライムス
ジュゼッピ・ローガン
ギル・ブリッジス(RARE EARTH)
デイヴ・グリーンフィールド(THE STRANGLERS)
トゥーツ・ヒバート
ハロルド・バッド
フィル・スペクター(この人もまあプロデューサーだが)
ダニーロ・ルスティチ(元OSANNA)
エリック・ワグナー(元TROUBLE)
ミック・レイン(PEZBAND)
リッキー・リー・レイノルズ(元BLACK OAK ARKANSAS)
メンシ(ANGELIC UPSTARTS)
アキラ(THE CONTINENTAL KIDS)
ミートローフ
ヴァンゲリス
セルジオ・メンデス

マヌ・ディバンゴが2020年3月で、セルジオ・メンデスが昨年9月。
4年半ほどで20人以上って。
もちろん死因としては癌とかの方がずっと多いが、新型コロナウイルスがなかったらみんなもっと長生きしたはずだ。

ろくな補償もない自粛要請とかで、お店も随分潰れた。
自殺者も出た。
”自粛警察”やってたやつらは全員ろくな死に方しねえからな。
当時俺はこのブログで”営業する店に石を投げ、他県ナンバーの車に傷をつけ、コロナウイルスを生物兵器呼ばわり…そうやって敵を作って叩こうという心根は、それをやったり言ったりしている人たちの奥底に元々あったモノなのだろう、などと思うと、性悪説を信じたくもなってしまいますね”と書いたが、ホンット世の中ろくでもねえ奴が思った以上に多いんだな、というのは今でも痛感する。
あと” 感染者や医療従事者が差別される状況は、東日本大震災後に福島ナンバーの車が忌避されたことを思い出させる。 結局絆とか嘘っぱちじゃねえか、って。 疲弊する医療従事者に必要なのは「ありがとう」じゃなくてちゃんとした対価(つまりカネ)だろうよ”とも書いた。
(ところが政府がやったのは、ブルーインパルス飛ばすことだったね。アホなの?)

そして変異を重ねている新型コロナウイルスは、なくなったワケじゃないからな。
みんな緊急事態宣言のあの日々を忘れるなよ。

9月になってもレミーを偲ぶ

MOTORHEAD 1916.jpgMOTORHEAD90年代初のオリジナル・アルバム『1916』(1991年:画像)は、俺が初めてCDで買ったMOTORHEADのオリジナル・アルバムだ。
以前書いた通り、その前の『ROCK 'N' ROLL』(87年:https://lsdblog.seesaa.net/article/504316078.html)はLPで買った。
そして俺が初めて買ったMOTORHEADのCD『NO SLEEP AT ALL』(88年)はライヴ盤だったワケで。

『1916』のプロデュースは、当初エド・ステイシアムが手掛けていた。
しかしエドはクビになった。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)によれば、「Going To Brazil」にエドが勝手にクラベスやタンバリンをオーヴァーダブしていたのが原因だったという。

エド・ステイシアムと言えば、RAMONES他多くの実績がある有名プロデューサーだ。
もちろんMOTORHEADのアルバム制作においてその良しあしを判断するのは、レミー以外にいない。
しかし個人的には、クラベスやタンバリンやティンバレスが入ったサンバみたいな(?)「Going To Brazil」を聴いてみたかった、とも思う(笑)。
意外と悪くなかったかもよ…?

エド・ステイシアムに代わって『1916』をプロデュースしたのは、PROCOL HARUMやWHITESNAKEでキーボードを弾いていたことがあるピート・ソリーだった。
MOTORHEADのプロデューサーとしては意外に思われるが、少なくとも『1916』では上手く行ったらしい。

ともあれ『1916』をリリースしたMOTORHEADはツアーに出た。
しかしレミーは全英ツアー中にインフルエンザに感染し、ツアー日程は変更される。

『ホワイト・ライン・フィーヴァー』でレミーはこう語っている。
”この手のウイルス性の病原菌てやつはどんどん強くなってく一方なんだぜ。何故かと言うと5年毎に全然違う型の病原体が突然変異で出現するからな。こいつは研究者どころか当のウイルスにすら予想外の展開なんだ。この星の生き物たちの半分は、きっといつかその突然変異の奴らに絶滅させられるだろう”
…まるでレミーの死から5年後に世界を襲ったコロナ禍を予言しているかのようじゃないか。
もっともコロナ禍で地球の生き物の半分が絶滅したワケじゃなかったが。

しかしレミーにとってインフルエンザ以上の殺人ウイルスは、当時MOTORHEADが契約していたソニー傘下のWTGだったという…。