神話の音世界は今に

ARCHANGEL.jpg相変わらずARCHANGELをパラパラやっている。

vol.6には”北欧~神話の音世界への誘い…”という特集がある。
ANEKDOTENのインタヴューとか。
THE FLOWER KINGSのインタヴューとか。
ANGLAGARDの記事とか。

この号から30年近く経つが。
ANEKDOTEN来月来日するんだよなあ。
そしてTHE FLOWER KINGS/ロイネ・ストルトはしょっちゅうアルバム出して、EURO-ROCK PRESSにもしょっちゅう載っている…。

フレッド・フリスとクリス・カトラーもこの頃来日していたか。
俺はフリスは生で観たことがないが。
カトラーはこの3年後ぐらいにデイヴィッド・アレンと来日した時に観たことがある。
そのアレン翁も最早この世の人ではない…。

そしてEINSTURZENDE NEUBAUTENとSPACEMEN 3の記事があり。
前にも書いたけど、こういうのがまとまった分量で載ってるのはEURO-ROCK PRESSとの違いだったよね。
(あとTHE BEATLESも?)


で、vol.7を、と思ったら、ない。
前にも書いたが、vol.7は出なかったらしい。
(何故…)
vol.8はvol.6から2年近く経って、1998年7月号として出ているのだった。

続・謎の円盤…?

FLAMIN' GROOVIES ROCK JUICE.jpg先日、最近のUFOは丸くなくていろんな形があるのう…という話をしたが。
https://lsdblog.seesaa.net/article/517721648.html
実際には、そもそもUFOの存在が騒がれ始めた時点で、別に丸いワケじゃなかったんだよね。

UFOが最初に取り沙汰されたことで有名なのは、1947年6月24日の”ケネス・アーノルド事件”だが。
この時にUFOを目撃した実業家ケネス・アルバート・アーノルドは、”三日月のような不思議な形をした9つの飛行物体”が、”皿が水面を跳ねるような”奇妙な飛び方をしていた、と証言した。
ところがこの発言が、”謎の飛行物体は皿のような形をしていた”と誤って報道されてしまい、”Flying saucer”=空飛ぶ円盤、という言葉が独り歩きしてしまったのだという。

そしてUFO=円盤型、という認識は、その後長い間定着してしまった。
先日も書いた通り、日本には四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」があり。
(日清焼きそばUFOの容器も丸い)
アメリカではビリー・リー・ライリーが「Flyin' Saucers Rock & Roll」をヒットさせ。
イギリスからはFLYING SAUCER ATTACKなんてバンドも登場した。

「Flyin' Saucers Rock & Roll」は、FLAMIN' GROOVIESがアルバム『ROCK JUICE』(1992年:画像)でカヴァーしている。
先日FLAMIN' GROOVIESの『FLAMINGO』を紹介したけど(https://lsdblog.seesaa.net/article/517745971.html)、『ROCK JUICE』もいつか改めて取り上げよう。


ケネス・アーノルドのUFO目撃談が大々的に報道された後、全米でUFOの目撃例が相次いだ。
FBIがUFOの目撃例を調査するプロジェクトを立ち上げたのは、アーノルドがUFOを目撃してからたった1週間後の1947年6月30日、アメリカ空軍がアーノルドに聞き取りを行なったのは47年7月7日だったという。
(ソ連の新兵器の可能性が懸念されたのではと思う)
消火システムを販売・施工する会社を経営していたアーノルドはその後UFO研究家として活動するようになり、UFOの正体を”地球外からやってきた飛行物体”と結論付けたのだった。

一方、UFO=円盤型、というイメージが定着してしまった後、ケネス・アーノルドは自分が見たUFOも三日月型ではなく円盤型だったかも、などと発言している。
ここらへんがUFO話の怪しいところでさあ。

映画の風in日本海

JANIS.jpg新潟市内の映画館「シネ・ウインド」のデジタル映写機が故障し、8月末まで寄付を募っていたのだという。
シネ・ウインド、1985年に開館し、実に40年営業している。

俺は90年代初頭の1年ちょっとだけ、新潟市内(紫竹山)に住んでいたことがある。
シネ・ウインド、行ってましたわ…。
THE WHOの名作『TOMMY』、ジャニス・ジョプリンのドキュメンタリー『JANIS』(画像)、そしてアキ・カウリスマキ『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』の3本は、間違いなくシネ・ウインドで観たはずだ。
ジョン・レノンの『イマジン』もあそこで観たかも知れない。
シネ・ウインドのHPを見ると、同時期に『ブルックリン最終出口』も上映されているが、コレはよそで観たような気が。
(記憶が定かでない)
そういや『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』を観た時は、メンバーの”コスプレ”をして行ったなあ(笑)。

当時の上映作リストを見ると、『ドグラ・マグラ』『ウンタマギルー』『ベニスに死す』なども上映されているので、シネ・ウインドがどんな映画館だったか想像出来るだろう。
(”市民映画館”として運営されているので、もちろん『ダイ・ハード』とか『にこにこぷん』とかも上映されていたのだが)

80年代に札幌市内で「JABB70」や「イメージ・ガレリオ」などのミニシアターに通っていた俺が、新潟市内で極貧にあえぎながらも文化的な渇望感をそれほど感じずに暮らしていられたのも、市内にシネ・ウインドやU.K.EDISON(中古盤屋も何軒かあった)や紀伊国屋書店(GOLD WAXとかを扱っていた)なんかがあったおかげだ、と思う。
(あとFM新潟も)
本当に極貧だったけどね。
(いや、貧乏は今もだ)

『JANIS』のパンフレットは、35年経った今も手元にある。
ああ、アップリンクが作ってたのか。
定価が1000円でびっくり。
今同じクォリティのモノを作ったら、倍はするはず。


俺が『ガープの世界』なんかを観ていたJABB70は、1992年に閉館したという。
『カオス・シチリア物語』とかを観たイメージ・ガレリオは同じ92年に「シアターキノ」に移行し、現在も営業中とのこと。
シネ・ウインドは新潟の地で40年。
今後も栄あれと。

8月になってもレミーを偲ぶ・その3

MOTORHEAD 1916.jpg1990年6月、レミーはアメリカに移住する。
レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)で、レミーは当時のアメリカについて”もっとも政府内部がここまで堕落してるってのは気づいてなかったけどな。もう殆ど腐りかけのところまで来てるとはね”と語っている。

当時のアメリカ大統領はジョージ・H・W・ブッシュであった。
そしてレミーが2015年に亡くなった時点で、第一次トランプ政権以前。
レミーが今のアメリカを見たら、何と言うだろうか…。

そしてレミーは、今の日本の状況を30年以上前に予見していたような言葉を残している。
”俺はな、無視していれば、そいつがいつの間にかどっかへ行ってくれると信じてる連中がまったく理解出来ねえんだよ。そいつは完全なる誤りだ―無視されれば、そいつは勝手に力を増すだけさ”と。

レミーは当時のアメリカで黒人やユダヤ人が差別されていることに対して”ここは寛容の国なんかじゃない、拒絶の国だ”と語っている。
今の日本もそうなりつつないか、と個人的には思う。
”日本人ファースト”とかね。

一方でレミーは、言葉の力で真実を伝えることを諦めてはいなかった。
彼は言う。
”彼らの信じてきたものが、クソの足しにもならねえ矛盾だらけの推論に過ぎないってことを、十分な回数証明できたら、もしかすると一度くらい、その中のひとりくらい、「ああ! なるほど、ちょっと待ってくれ―俺が間違ってたんだな」って言ってくれる奴がいるんじゃねえかと思うんだ”
もっともレミーは”まあ、そんな希少なこたぁまずねえだろうけどな”とも語っているのだが…。


いきなり話変わるけど、『ホワイト・ライン・フィーヴァー』ではMOTORHEADのジャケットの多くを手掛けたJOE PETAGNOのことは”ジョー・ペタグノ”じゃなくて”ジョー・ペターニョ”って表記してるなあ。
うん…やっぱりペタグノじゃないよねえ…。

徒然に大天使

ARCHANGEL.jpg相変わらずARCHANGELをパラパラやっている。
vol.6。
1996年11月号。

表紙はTHE WISHING TREE。
MARILLIONのギタリスト、スティーヴ・ロザリーのプロジェクト。
この雑誌が”往年の”名バンド以外を表紙にするのはコレが初めて。
やはりというか、ハンナ・ストバートという美麗なヴォーカリストの存在が大きかっただろう。

THE WISHING TREEのインタヴュー他に続いて、MICE(ジュリアンヌ・リーガン)にALL ABOUT EVEにLANA LENEにELENDにSCARLET ROSEにIONAに…と、女性ヴォーカル関連の記事は巻頭26ページ。
なるほど。
ってかジュリアンヌって、改めて見るとちょっと広末涼子に似てるのな…。
(そのジュリアンヌももう63歳か)

そのあとはマイク・オールドフィールド、YES、KING CRIMSON、GENESISと”往年の”バンドの記事が続く。
”イエスに意味などない”っていうすげえ(?)記事があるな…。
続いての記事が”AsiaのCDが出ているヨーン!”というタイトルで。
どうしたんだ、いきなり”ヨーン!”って…。

イングヴェイ・マルムスティーンの『INSPIRATION』が取り上げられている。
ああ、その頃か。
俺はあのアルバムつまんなかったなあ…。


1996年。
前橋で会社員やってた頃だ。
もう30年近く経っているんだなあ。


このブログ、2日連続でSeesaaブログの音楽/ポッドキャスト部門で1位でした。
ぎゃー。
皆様ありがとうございますありがとうございます…。
(今日は15位だけど)

謎の円盤…?

UFO.jpgUFOはマイケル・シェンカーが在籍した時代を中心に、基本的にはメロディアスなハード・ロック・バンドとして認識されている。
しかし初期は違った。
BLUE CHEERの影響を感じさせるヘヴィ・ロックでデビューした後、2ndアルバム『FLYING』(1971年:画像)ではスペース・ロック方面に進んでいる。
(ジャケットにも”SPACE ROCK”と大書されているワケで…)

UFOがスペース・ロックを標榜したのは『FLYING』の時期だけであり。
多くのリスナーからは、スペース・ロック路線は”迷走”と捉えられたのではないか、と思われ。

しかし、よく考えてみると。
いや、よく考えなくても…そもそもバンド名がUFOじゃん?
むしろスペース・ロックを演るのが当然だったよな…。

ともあれUFOのスペース・ロック路線は続かず。
それどころか、マイケル・シェンカーを獲得した3rdアルバム『PHENOMENON』(1974年)を最後に、オリジナル・アルバムのジャケットにUFOが描かれることすらなくなってしまったのだった。
(ベスト盤とかではけっこうあるが)

四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」でも明らかな通り、当時の日本では、”UFO”よりもむしろ”空飛ぶ円盤”の方がポピュラーだったように思う。
『謎の円盤UFO』っていうドラマもありましたね。
『PHENOMENON』のジャケットにも、いかにも当時のUFO写真にありがちな円盤状のUFOが描かれている。


しかし『PHENOMENON』から半世紀余りが経過した現在。
相変わらず巷にあふれるUFO写真(あと動画)を見ると…むしろ円盤状の形の方が少ないじゃん。
三角形やひし形は当たり前。
やたらと鮮明な画像が出回ることの多い”ドローンズ”(または”ストレンジクラフト”:無人の偵察用UFOなどと言われている)に至っては、実に何とも言えない形をしている。

いわゆる”アダムスキー型”をはじめ、外周が円形の、今見るとなんか素朴な感じがするUFO=空飛ぶ円盤から、数十年経って複雑極まりない形状へ。
UFOのデザインにもトレンドあるの?
いや…そこが、俺がUFOの実在を疑っちゃうポイントなんだけどね。
その時代その時代のSF的なデザイン感覚に引っ張られて、その時代その時代にUFOの写真や動画がでっち上げられているんじゃないの…と。
(UFOの本で仕事しておいてアレだが)


バンドの方のUFOは昨年活動を終了してしまったが、彼らが21世紀に入ってもジャケットに未確認飛行物体としてのUFOをフィーチュアし続けていたら、どんなUFOが描かれていただろう、などと思ったりもする。

〇〇〇〇だけはやめておけ

MOTORHEAD Beerdrinkers EP.jpg先日、フィル・キャンベルとフィル”フィルシー・アニマル”テイラーが”茶色いスピード”を摂取して倒れた話をしたが。
MOTORHEADというバンド名自体が、”スピード狂い”を意味するワケで。
この場合のスピードっていうのはもちろん”速度”のことじゃなくて覚醒剤のことね。

レミーは随分長いことスピードを愛好していたようだが。
こないだも書いたけど、いつ頃までやってたんだろうか。
よく70歳まで生きたよな、と思う。

HAWKWIND時代のレミーは、2日寝ない、2日起きない、みたいなこともしょっちゅうだったとかいう。
スピードは中枢神経を刺激して血圧を上昇させる。
一方で内臓の働きは弱まり。
オーヴァードーズで多臓器不全とかになって死ぬことは珍しくない。
精神に与える影響も大きく、妄想や幻覚など、統合失調症に似た症状が現れることも多いという。

友人に一人、元シャブ中がいる。
彼は言う、「シャブだけはやめとけ」と。

レミーと親しかったフィル・ライノットは、コカイン常用で鼻の骨が溶けたばかりか、若死にした。
コカインは、心臓発作や呼吸不全を引き起こす可能性が高いという。
恐ろしいのは、使用した量や頻度に関係なく、いきなり死ぬケースも多いらしいことで。

イギー・ポップやルー・リードやエリック・クラプトンは、ヘロインでかなりヤバいことになった。
ルーなんて「Heroin」という曲まで書いたぐらいだから、相当耽溺していたはずだ。
そのルーが亡くなった一方で、イギーとエリックが今も元気ってのも凄いな…。
ヘロインの注射を繰り返すと、静脈はボロボロになるという。
そして禁断症状が他のドラッグ以上にひどく、禁断症状でショック死することもあるんだそうで。
スピード同様、「ヘロインだけはやめとけ」という人は少なくない。

シド・バレットやハルトムート・エンケやクレイグ・スミス(マイトレーヤ・カリ)なんかは、LSDで廃人、あるいはそれに準ずる状態に。
LSDは、身体的な毒性は非常に低いと言われる。
しかし乱用すると精神が破壊される。
大抵戻ってこられない。


特にまとめません。
警察関連の書物で、薬物に関する章を読んでいたところだったもんで。


…でまあ、日々徒然に書いてるこのブログ、今日現在Seesaaブログの音楽/ポッドキャスト部門で2位ですって。
うわあ。
み、皆様ありがとうございますありがとうございます…。

8月になってもレミーを偲ぶ・その2

MOTORHEAD ROCK N ROLL.jpgMOTORHEADのアルバム『ROCK 'N' ROLL』(1987年:https://lsdblog.seesaa.net/article/504316078.html)について、レミーは自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)の中で”佳作だけど、正直俺たちのベストの中に数えられるレベルのもんじゃない”と語っている。
そして、ガイ・ビドミードをプロデューサーに起用したのが失敗だった、と。

しかしレミーは、『ROCK 'N' ROLL』はガイ・ビドミードのせいでダメだった、とは一言も言っていない。
ガイの起用は”そもそも俺たちの最大の間違い”であり、”本当のところはガイひとりのせいじゃねえよな―俺たちのせいだよ、確実に”と語っている。
非常に冷静でフェアな見方だと思う。
実際ガイは、このブログで『ROCK 'N' ROLL』を紹介した時にも書いた通り、コージー・パウエル『TILT』(1981年)、WARFARE『METAL ANARCHY』(85年)、HAWKWIND『THE XENON CORDEX』(88年:https://lsdblog.seesaa.net/article/201810article_12.html)など、MOTORHEADとの仕事の前後に何枚もの良作を手掛けている。
(俺は『ROCK 'N' ROLL』も大好き)

もっともガイ・ビドミードは、師匠格であるヴィック・メイルのような存在にはなれなかったのだが。
『ROCK 'N' ROLL』に続くライヴ盤『NO SLEEP AT ALL』(1988年)はやはりというか今ひとつピリッとしない出来で、以後MOTORHEADがガイと組むことはなかった。

それにしても…90年代以降死ぬまでアメリカ在住だったレミーだが、合衆国のグリーンカードがないままだったというのは、『ホワイト・ライン・フィーヴァー』を読んで初めて知ったのだった。
レミー曰く、入国管理局にとって彼は”危険なドラッグ中毒患者”で”要注意人物”であり続けたと。

実際、レミーをはじめとするMOTORHEADのメンバーたちは、いつ頃までドラッグを使い続けていたのだろうか。
けっこう長いこと足を洗っていなかった様子。
『ホワイト・ライン・フィーヴァー』には、フィル”フィルシー・アニマル”テイラーとフィル・キャンベルがそろって”茶色のスピード”で倒れた話が登場する。
茶色のスピード…。

ともあれレミーはアメリカに移住すると共にメジャー契約を手にすることになる。
それも長くは続かなかったのだが。

The Drug Was Music.

ASH RA TEMPEL.jpg相変わらず、30年近く前のARCHANGELをパラパラやっている。
vol.5。
1996年8月号。

特集はASH RA TEMPEL。
34ページに及ぶ大特集。
おお、マニュエル・ゲッチングの『THE PRIVATE TAPES』が出た頃かあ。
で、マニュエルのインタヴューが載っている。
一部で有名な(?)「The drug was music.」って言ってるやつ。
インタヴュアーは中野泰博氏。

ってか、ハルトムート・エンケから”全く応答がなかった”って、コンタクト取ろうとしたんかい!
当時連絡先とかわかっていたのだろうか…。

クラウス・シュルツェのインタヴューも載っている。
(当時の表記はシュルツ)
これまた一部で有名な(?)「もちろんドラッグはやってい・ま・せ・ん!」という発言が。
(うっそでえ~…)
そしてASH TA TEMPELのオリジナル・メンバー3人、もう全員この世にいないのだった。

前号に続いて、AMON DUUL Ⅱのインタヴューが再度載っている。
(前号は来日前、今回は来日時)
ここでもフォルク・U・ログナーがドラッグに関して「いややっていなかったよ」と(…)。
一方レナーテ・クナウプは「もちろん私たちはお茶じゃなくて、アシッドを使っていたわ」と断言(笑)。

CLUSTERのインタヴューも載っている。
(こちらもインタヴュアーは中野泰博氏)
いやあ、この頃ホントにいろいろ来てたよなあ。
俺はこの時のCLUSTERの来日は観に行けなかったが、ライヴ盤『JAPAN 1996 LIVE』(1997年)はこのブログで紹介した。
https://lsdblog.seesaa.net/article/202106article_28.html

チャールズ・ヘイワードのインタヴューも載っている。
いやあ、この頃ホントに(以下略)
更に前年に来日出来なかったデイヴィッド・アレンのインタヴューも。
そしてニック・ターナーのインタヴューも。

チャールズ・ヘイワードはまだ元気だけど、デイヴィッド・アレン翁もニック・ターナーも、あとクリス・カーラーもディーター・メビウスももういない。
何しろ30年近く前だしな…。

Poison

ROBERT JOHNSON.jpgミュージシャンの死因も様々だが。
”毒殺”というのは、ロバート・ジョンソンぐらいではないかと思う。

ところでロバート・ジョンソンは、何の毒で死んだのだろうか、と思った。
(さっき)
ウィスキーに毒を入れられて、2日間(あるいは3日間とも)苦しんだ末に死んだというんだけど。

殺虫剤などに用いられていたストリキニーネではないか、という説があるようだが。
しかしその場合、匂いや味などですぐに気付かれる可能性が高く。
しかも、もし致死量を摂取したら2~3日苦しんだりせず、数時間で死ぬはずだとか。

防虫剤に使われるナフタレン(ナフタリン)ではないか、という話もある。
しかし、ナフタレンで死ぬことはそんなにないらしい。
ただし、ロバート・ジョンソンは食道静脈瘤などあちこち悪かったそうなので、ナフタレンのせいで出血を起こして死んだ可能性も否定出来ないみたいな。

少なくとも青酸カリとかヒ素とかではなかったみたいね。
近世のヨーロッパでは、毒殺にはヒ素が用いられることが多かったという。
何しろ無味無臭無色で、食べ物や飲み物に混ぜるには最適。
しかも死体からヒ素を検出する方法は19世紀までなかった。
(逆に、19世紀にはそんなに医学って進歩していたのか、とも思う)
ちなみに現在は科学捜査の進歩で、どんな毒を使ったとしても毒殺が露見しないことはまずない、らしい。

ところでロバート・ジョンソンの死について、ロバートの妹は病死だったと話している。
(まあ実の兄が不倫とかの果てに毒殺されたとは言いづらい気も)
一方で、梅毒だったという説も。
27歳で毒殺されたブルーズマン、と語られる伝説の人物だが、本当の死因は結局わかっていないし、これから明らかになることも多分ないのだろう。
(そもそも彼にまつわるエピソードの大半が実は捏造だという話も…)