十四代目トイレの花子さんインタヴュー(後編)

20200621-14.JPG4月に2ndアルバム『命日』をリリースした”出禁系地下アイドル妖怪”十四代目トイレの花子さんのインタヴュー、以下が後編です。
『命日』後半、その意味深な(?)楽曲や歌詞についてストレートに語ってくださっています。
ちなみに『命日』リリースに伴うインタヴューは今のところこの記事だけの様子、皆様是非お楽しみください。

インタヴュー前編はこちら↓
https://lsdblog.seesaa.net/article/202008article_17.html


―「殺人マシン十四号」に入ってる語りは誰ですか?
「あれ、尊師…(笑)」
―?
「本物の…。作曲者の人に「尊師の声を入れたいんです」って相談して、その場で動画検索して「コレ曲に合うんじゃね? あ、コレいいねえ」って話し合って、使いました(笑)」
―麻原彰晃本人?
「本人の。そうです」
―権利的にはすげえヤバそうだなあ…。
「多分ダメですね(笑)。「殺人マシン十四号」って、最初はオ○ムの曲じゃなかったんです。「呼び込み君」っていう、ドンキとかで流れてる音、わかりますか?…“テテーテテテテ、テテーテテテテ♪”っていう…」
―ああ、最初に歌ってるやつだ、「有難イオハナ死」で。
「あ、そう。アルバムにはアカペラしか入ってないんですけど、ライブでは時々イントロで本物を流してるんですよ。その呼び込み君がブッ壊れちゃった!って感じの曲を作りたくて、それが何故かオ○ムの曲に、気付いたら…」
―なんでだ!
「なんか自分の中で呼び込み君と殺人マシンが混ざっちゃって…はい」
―さっぱりわからない!
「ん~、わからない私も(笑)」

―「死コ死コハナニスト」…。
「はい」
―感想としては、「遂にやってしまいましたね」という…。
「え~、なんで?(笑)…何を?」
―…露骨な下ネタを、タイトルから。
「ああ…私、“ハナニー”(註:花子病が花子さんを“オカズ”にすること)は、全然良いと思ってるから(笑)。下ネタ言われたりするのは反応に困るのでいやですけど。…それにあれは、毒殺テロリストのイチロウさんが「カヴァーしていいよ」って言ってくれてもらった曲なんです。どうせなら歌詞を変えようってなって、ああなった(笑)、元もえげつない曲なんで…知ってますか、元は」
―知らないんですよ。
「え、本当に?聴いた方がいいですよ」
―替え歌だなっていうのはわかってたんですけど。
「替え歌の替え歌をしてる(笑)」
―そう、コレも権利関係激ヤバですよね…。
「多分ダメ(笑)」
―ホントは入れちゃダメなやつですよね(笑)。
「そうですね」
―敢えて言わないけど!
「はい…」

―「四時四四分」を再録してるんですけど。
「はい」
―コレも初期からの代表的な曲のひとつなんですけど。コレを聴いて思ったのは…花子さん、だんだんノーマル声の歌唱力が向上してきている。
「ええ?…向上してないです(笑)」
―それがあるから録り直したのかなと思ったんですけど。
「あ、叫び声は向上してると自分でも感じるのでそこは録り直したかったんです、はい」
―ノーマル声というか…この曲ではオペラっぽい歌い方なんですけど。
「あのギャグ声ですか(笑)」
―ギャグなんだ(笑)。
「うん、基本ノーマル声はギャグです(笑)」
―そうなんだ(笑)。
「はい」
―いや…「歌唱力が向上している花子の歌を聴け―!」みたいな感じかと…。
「え~?…全然。叫び声が古いからってだけ」
―古い?
「あれもう4年前の作品じゃないですか、『真っ赤ナ トイレ』って」
―ああ、最初のヴァージョンが。もうそんなに経つワケか…。
「はい」

―あと「Rusty ring」と「暁」なんですけど。
「はい」
―コレ、「Rusty ring」がオマージュで「暁」がパロディ、みたいな感じがするんですけど、実際はそんなことはなくて?
「え?…どっちもパクリ。パロディ? オマージュ? いや、パクリ(笑)」
―はっきりパクリ?
「パクリです」
―パロディというよりもむしろパクリ。
「パロディとかオマージュとか、何が違うかわからない。どういうことですか?」
―パロディっていうのはひねりを入れて笑いにしたりとか…。
「ああ~…」
―で、オマージュっていうのはホントに捧げもの…。
「しゃしゃげ?」
―僕はホントにこのバンドが好きなんですっていうリスペクトがあってそんな曲にするとか…。
「はあ~…じゃあオマージュではないですね(笑)。ファンの方には申し訳ないんですけど、X(Japan)全然知らないんで。うん、パクリですね」
―単にそれっぽいのがやってみたかっただけ、みたいな?
「うーん…なんか、音楽詳しくない人にも伝わりやすいネタじゃないですか。あとはXの曲をYouTubeで調べて聴いてみて、今自分が伝えたいことと、この曲を重ねたら面白いかも、と思ったらパクってます」

―あと、コレもなかなか問題作ですけど…。
「ふええ…?」
―「父の自慰行為」。
「はい…」
―コレは…内容は、フィクションですよね?
「フィクションって、なんだっけ?」
―架空の…。
「あ、架空じゃない…私の曲、架空なの1個もないですよ。ザ・ノンフィクションですよ」
―ええええええ…。
「(笑)ええっ、なんで?」
―ええええええええ…。
「なんで?(笑)」
―じゃあ、実際にお父さんが自慰行為をしてらしたワケですか…。
「あ、そうですが(笑)。しかも一度や二度じゃないです」
―それをあのような歌詞に…。
「はい。ちなみに曲調はXの「オルガスム」に似せてます」
―(何故そこでドヤ顔…)実体験に基づくとか、自分の気持ちそのままを歌うってことで、解釈すると…花子さんって、ファザコン的なところがあるのかなって。
「…重度のファザコンだと思います。お父さんに溺愛されたタイプのファザコンじゃなくて、全然かまってもらえなかったタイプの、寂しいファザコンです」
―以前にもそういう話は聞いていました。お父さんに褒められたことがないとか。
「うん…。子供の頃は理不尽に怒られるか、お前は家族で一番バカだとか笑い者にされた記憶しかほとんどないです」
―そういうところからも、お父さんに対する屈折した想いが出た曲なのかなって…。
「その通りですね。…辛いと感じたことを曲にしないと私は生きていけないんです。一人でもこの曲好きって肯定してくれる人が現れれば、心の傷が癒えていくんですよ」
―だからと言って、いきなりお父さんがシコってるところを見ちゃいました的な…。
「(笑)それは、あれなんですよ…お父さんに認められたいとか私だけ見てほしいっていう気持ちを歌詞に込めてるんですけど、すぐに気づかれたくないんで自慰行為という目立つ要素を入れて誤魔化してるんです」

―最後に、「汚れなんてないさ~お掃除の時間だよ~」が入ってますけど。
「はい」
―コレ、美広まりなさんの作曲なんですね。
「そうです」
―美広さんとは前からけっこう…?
「ああ、かなり長いですね。今も付き合いがあるアイドルでは2番目に長いです。1〜2年前くらいにまりにゃんさんがソロ活動休止イベントのTシャツイラストを私に依頼してくれて、その時にお金要らないので1曲作ってくれませんかってお願いしたんです。それからまりにゃんさん側にいろいろあったみたいで去年完成しました」
―で、ライヴでは今までの「おばけなんてないさ」に代わって、お掃除の時間にかける曲に…。
「そうなんですよ、はい」
(註:十四代目トイレの花子さんのライヴでは本編最後の曲で様々なモノがまき散らされた後、花子病総出での”お掃除の時間”がある)
―ちなみにこの曲で印象的なのは、“お掃除”っていう発音…。
「あ、みんなそれ言う!(笑)」
―やっぱり?…日本語の歌って、“お掃除”とかああいう“う”が入る言葉、“おそおじの”って歌うのが普通なんですよね。
「あ、そうなんだ(笑)」
―そこを言葉通りに“おそうじの”って歌う…花子さんなりにこだわるところがあったのかと思ったんですけど。
「…なんだろう、“おそおじの”って歌うと、聴いた時におじさんを彷彿とさせちゃうかなって思ったのと(笑)、私は言葉をしっかり言いたいんですよ。“ふいんき”じゃなくて“ふんいき”と言いたいタイプなんです(笑)。」
―“きれいさっぱり辛い過去もなかったことにして”っていうのも、さっき言った通り自分の感情を浄化するとか…自分と、そしてファンに対しても歌ってる歌詞だと思って間違いないですかね?
「はい…そうですね。私のライブを観て、みんなの辛かった過去や悩みがブッ飛んじまえばいいと思ってやってるところもあるので、入れました」
―最後の歌詞が“妖怪はいないの”となっているのは…。
「ふふふふ、恥ずかしい…私、妖怪って自称してますけど、オカルトとかそういうの一切信じてないんですよ。妖怪もいないと思ってて。「これが現実だよ!」って、突きつけた…(笑)」
―そういうことなんだ?
「はい…何だと思ったの?」
―いや…あの曲でライヴが終わることによって、妖怪を標榜している花子さんが、素の…花子さんじゃない〇〇さんに戻る、っていうことを意味しているのかなあ、みたいな。
「全っ然(笑)。花子で居る時のが素に近いですよ。あと、お掃除っていうのは証拠隠滅なんですよ。汚した証拠を隠滅するので、これは私がやったことじゃないですからねとか、そういう意味もある…(笑)」
―なるほど。コレでなくなりました、みたいな。
「そもそも私は存在してませんからねっていう感じ(笑)」
―責任は丸投げみたいな。
「責任大っ嫌いなんで、うふふふ」

―海外進出も果たして、外国人のファンが凄く増えてきてるっていう印象があるんですけど。
「ああ、はい」
―コロナのことがなければ、今後はもうちょっと英語を勉強してみたりとか…。
「あ…(苦笑)」
―そういう展開があるのかなあと思ったんですけど、今後海外に出て行って生身でライヴをやったりっていうのは難しくなる…。
「ん…そうですね。一応今年も、1本決まってはいたんですよ。でもまあこんな感じなんで、もう多分ないと思うんですけど…。英語は出来なさ過ぎて自分の気持ちすら伝えられないんで、勉強しないとまずいなと思ってます。でも出来ないから好きっていう外国人多いんですよ。一生懸命しゃべってるからかわいい、みたいな」
―ああ。
「あざといので、私は(笑)…そこも応えていきたいんですけど。物販ではいつも私一人なんで外国のお客さんだと会話が成り立たないんですよ。それを何とかしたくて流石に勉強しようって思って、もう半年ぐらい経ってます。多分一生しないですね、勉強嫌いだから(笑)。無理だと思う…」
―まあそれでいいと思います(苦笑)。
「本当に…?(笑)」


いまだ営業していないライヴハウスも多い昨今ですが、十四代目トイレの花子さんは6月から三軒茶屋HEAVEN'S DOORをはじめとして出演可能なあちこちのハコで活動を再開しています。
興味持った方は是非一度ナマで体験してみてください。


(2026.1.12.改訂)

十四代目トイレの花子さんインタヴュー(前編)

20200621-13.JPG去る4月、前作から実に4年ぶりとなった2ndアルバム『命日』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202005article_13.html)をリリースした”出禁系地下アイドル妖怪”十四代目トイレの花子さん。
俺はこれまでにFOLLOW-UP(もうない)とEL ZINEで彼女に計2回インタヴューしているのだが、この度3回目のインタヴューを敢行。
一見して小学生のような小さな体(実際、首を切って死んだ小学生が妖怪になった、ということになってるんだけどね)でブラック・メタルばりの咆哮をカマしてライヴハウスを恐怖のずんどこに陥れる十四代目トイレの花子さん…その不思議な魅力に改めて迫ってみましたので、皆様是非お読みください。
まずは前編です。
インタヴューは6月21日、三軒茶屋HEAVEN'S DOORで行ないました。


―今回のアルバムが正式な2ndアルバム…昨年の『大量虐殺』は結局イギリス・ツアー向けの物販用アイテムとか、そんな位置づけですか?
「本当は『大量虐殺』の日本盤を出そうと思ってたんですけど、制作ペースが遅過ぎて、気づいたら1年ぐらい経っちゃって…。諦めてそうしました」
―(『大量虐殺』の)駕籠真太郎さんのアートワークがちょっともったいない気もしますけど。
「私もそう思うので、今後グッズに使わせてもらう予定です」
―ちなみに今回、レーベル名は“死後死後(しごしご)レコード”…?
「あ、それ“シコシコ”って読みます(笑)」
―シコシコ…(苦笑)。
「(笑)自分で付けたんです。“シコシコ”っていう言葉は毒殺テロリストさんをリスペクトして以前からよく使ってたんですが、ついにレーベル名にまで使ってしまいました…」
―一応コレは、花子さんの自主制作ってことになるワケですね。
「そうですね」

―前回のインタヴュー(註:2019年5月。EL ZINE VOL.37に掲載)ではわりと人となりみたいな話が多かったんで、今回は前回あんまりしていなかった作品の話をしたいと思って。
「はい」
―帯の裏に“花殺ナウイルス入り”って書いてますけど…リリースギリギリのタイミングでアレを入れた感じ?
「そうですね」
―その時点では(コロナ禍が)ここまでになるとは思ってなかった?
「そうですね。ちょっと懐かしいぐらいのネタになるかなと思ってました」
―花子さんの活動に関しても影響は大きかったですね。
「2ヵ月ライブが出来ませんでした。でも近年、地声すら出すのが辛いほど喉の調子が悪かったので、むしろ喉を休められて良かったと思ってます。」
―今でもライヴ以外の外出は自粛してトイレにこもっているそうで。
「そもそもライブ以外基本外に出ないので…生活はあまり変わらないですね」

―今回のアルバム…『大量虐殺』もそうでしたけど、ブックレットがまるで写真集のような作りで。
「はい」
―コレは花子病(註:花子さんの熱狂的なファン)の皆さんには凄く嬉しいモノだと思うんですけど。写真集自体は、別に出てますよね。
「あ、そうですね」
―アレは花子さんの仕切りじゃなくて、デレク・ヴァスコーニの“IDOL UNDERWORLD”(https://www.idolunderworld.com/)の…。
「そうです」
―写真集の方は、いわゆる権利的な部分は、向こうが完全に持っている?
「そうなんです」
―だからアレは物販でも売ってない。
「そう、もう私の方では売れないんです。4月4日(註:十四代目トイレの花子さんの企画ライヴ@三軒茶屋HEAVEN’S DOOR)の物販限定だったんです。ケチですよね(笑)」
―(笑)今回のブックレットの写真は、撮影は何処でしたんですか?
「葛飾区の森谷邸っていう所です。カメラマンの人が探してくれました。(テープレコーダーを見て)これ、録れてるかな…声ちっちゃいから、どうしよう。…私が持ってれば?」
(ここから花子さんがテープレコーダーをマイクのように手に持っての収録となる。ちなみにステージでの絶叫とは違い、花子さんの話声はとても小さい)
―『大量虐殺』もそうだったけど、やっぱりブックレットに脚のアップがあるんだなあと…。
「えっ、そうだったっけ? ああ…」
―『大量虐殺』では中のページだったけど、今回は最後のページが脚のアップ。
「…全然考えてなかった(笑)」
―ファンのツボを心得てるなあと思ったんですけど(笑)。
「ああ…なんとなくでした。ふふふ」
―アレは、泣いて喜ぶ人がたくさんいると思うんで(笑)。
「ああ、うん、喜んでる人多かったですね」

―いつもの通り「花様ノ有難イオハナ死」から始まるんですけど…。
「うん、ふふふ」
―アレはノープランなんですか?
「あはは、そうね」
―途中で時間が余ったりとか…。
「逆にあれがノープランじゃなかったら、しゃべるの下手過ぎますよ(笑)。適当。いつも何も考えずに、やってます」
―最初と最後…最後っていうか、2曲残して終わりの方にも“オハナ死”がありますけど…。
「ああ、はい」
―アレもなんていうか、突き放されるような終わり方っていうか…。
「(笑)突き放してました?」
―なんか、言いたいこともないんだよって。
「本当に言いたいこと思い付かなくて(笑)。もういいやと思って、はい」

―中身の話を…『大量虐殺』と重複する曲も多いんですけど。全体にメタリックになった印象が。
「…メタリックって何ですか? テカテカした色のこと?」
―金属的。メタルっぽい。
「あ、そういう意味?…それは多分作曲者の人の好みかな…。私は曲のイメージと長さくらいしか伝えてないです」
―結果として統一感が出たっていうか…。
「ああ…」
―『真っ赤ナ トイレ』(1stアルバム:2016年)に較べても凄く完成度が高いアルバムになったと思うんです。
「ああ…そうなんですかね…?」
―(笑)
「よくわかんない…」

―作曲者の人に曲を作ってもらって投げてもらうワケですけど…。
「はい」
―曲っていうのはどのレベルまで作ってもらってから聴くんですか?…オケが完成してから?
「うん、もうほとんど完成した状態ですね。直してって言ったのは今までで3回くらいしかなくて。知り合った時点で私が好きなバンドの曲をザッと送って、なんとなく理解してもらったらあとは割と丸投げかも…。細かく指示し過ぎると作曲者さん達の個性を潰してしまうと思うんです。「コレ自分じゃなくても作れる曲だな」とか思わせたくないし、仕事で嫌々、好きでもない感じの曲を作ってほしくないんです。そんなの良い曲になるはずがないから。作ってて楽しいと感じてもらいたくて、なるべく口出ししないようにしています」
―作曲者が何人かいますけど。
「はい」
―「四四秒」と「アダピクミンの唄」は、久保偽札犯さんで。
「あ、そうです」
―ビルのギターの人ですよね。
「そうです。作曲者募集してたらあちらから連絡が来て…なんか優しそうだなって思って(笑)、依頼しました」
―てっきりツージーQさんつながりかと思ってたんです。
「あ、なんか、唐突に現れて…(笑)」
―唐突に(笑)。「潔癖症ノ唄」と「エレベーター」がツージーQさんの作曲。
「はい」
―かつ、「エレベーター」だけはアルバムの中で花子さんの作詞ではない。
「ああ~、はい」
―やっぱりテイストが違う。どうですか、他の人の歌詞を歌ってみるっていうのは?…特に“前足のない猫”っていうのは、(猫好きで、実際に飼っている)花子さんだと多分思い付かないところではと…。
「はい、そうですね。あの曲はカヴァーなんです。曲作ってもらえませんかって依頼した時に、まずツージーズのこれをって言われていただいた曲なんで。そんなに抵抗はなかったです」
―元々ツージーさんのレパートリーだったんだ?
「そうなんです。「潔癖症ノ唄」は書き下ろしてもらいました」

―「デストロイハグ」は初期から御馴染みの曲ですけど。
「はい」
―「デストロイハグ」っていう曲を改めて入れておきながら、いわゆるファンサービスとしての“デストロイハグ”っていうのはしなくなりましたけど。
「あ…詳しく言うと、“デストロイハグ”は最初の1年くらいしかやってません。実際にお客さんにハグしてたんですよ。でも途中からそれはやめて、5〜6年くらい“デストロイチェキ”っていう、首絞めをやってたんですけど…(註:チェキを撮った後、花子さんからお客にスリーパーホールドの”プレゼント”をしていた。ガチの本気で絞めるため、失神者が出たこともあったという)」
―“デストロイハグ”って、最初はあのスリーパーホールドじゃなくて、ホントにフツーにハグしてたんですか?
「はい。滅茶苦茶痛いハグをしてたんですけど。接触目的のお客さんが増えたのでやめました。そういう人って大抵ろくな人じゃないので」
―…まあそうですよね。普通のアイドルとか地下アイドルとかが握手会とかやる一方で、そこまで密着っていうのは逆にないですもん。
「ないですね。…最初は注目されたくて全部やってたんですけど、時間もかかるし、今はもう必要とされないから」
―必要とされない?(笑)
「常連の人達は首絞めてって全然言わなくなったので…もういいやって…はい(笑)」


以下、更にディープな後編(https://lsdblog.seesaa.net/article/202008article_18.html)に続きます。
お楽しみに。


(2026.1.12.改訂)

室井大資インタヴュー(その3)

バイオレンスアクション4.jpg漫画家・室井大資インタヴューの続きです。
第3回/最終回となります。
前2回はかなりの反響で、ブログのアクセスが普段の3倍以上に。
(ツイッターなどで感想アップしてくれたりコメント下さった皆様、ありがとうございます)
さて第3回は室井氏が“沢田新”名義で原作を担当する『バイオレンスアクション』について、そして今後の話など。

※インタヴューその1
https://lsdblog.seesaa.net/article/201907article_7.html

※インタヴューその2
https://lsdblog.seesaa.net/article/201907article_8.html


―『レイリ』と並行する形で『バイオレンスアクション』の連載が始まって、たちまち人気作となったんですけど。
室井「はい」
―『レイリ』が初の原作付きだったのに対して、自身が原作を務めて、他の人が作画をするっていうのも初めてですよね?
室井「そうですね」
―コレは、どういう経緯で?
室井「『エバタのロック』を一緒にやってた担当さんと打ち合わせして「次にまたなんかやろっか」って言ってくれて、「でも『レイリ』やるから絵は描けないッスよ?」「だったら」っていう感じ。原作だったらっていう…」
―『レイリ』が忙しいから絵まで描いてられない。
室井「そういう言い方はアレだけど(苦笑)。それで、岩明さん…ずっと尊敬してた人と仕事するから、秋田書店の担当編集の沢さんに「岩明さんの仕事だったら、仕事1本に絞って頑張ります!」って言って、こっそり小学館でネーム描いて(笑)。俺、仕事断われないし誰にでもいい顔するから…。でも、どうせ(企画が)通るはずねえと思ってたんですよ」
―へえ。
室井「小学館の担当者が「室井さんは、女の子が人をパンパン撃ち殺す漫画を描いた方がいいですよ」って。俺その手のがあんまり趣味じゃなかったから(苦笑)。今思えば、俺だったら成立させられるだろうっていう期待込みで言ってくれたと思うんですけど、そん時は無理だろ…と思って、けっこう地獄みたいな気分になって」
―(苦笑)
室井「散々悩んで、ヤケになって第1話とか、5時間くらいで手癖で書いて「どうせ通る訳ねえから大丈夫だろう」と思ったら、才能あるから通っちゃって(笑)」
―(笑)。
室井「「うわ~どうしよう~、沢さんに言えねえ~…」と思って(苦笑)」
―…どの時点まで秘密だったんですか?
室井「えっとね、『バイオレンスアクション』の1巻出る3日前まで秘密だった(笑)」
―で、告白したんですか?
室井「したした(笑)。秋田書店に行って「ちょっと話があるんです」って。2時間怒鳴られて…(苦笑)」
―うわあ…。
室井「(笑)「こっちの作品も遅れてんのにオメエ、ふざけんな、殺すぞ!」って言われて…」
―(笑)
室井「「そんなにスピリッツがいいのか! スピリッツかー!!」っていう(笑)」
―(爆笑)
室井「俺マジ泣きしちゃって(苦笑)。でも、最終的に沢さんが「産んだ子供は殺せねえからどっちも頑張るしかねえじゃん」って言ってくれて…」
―め、名台詞!
室井「ねえ?…流石だよね。俺、大好きだよ沢さん(笑)」

―…で、作画は浅井蓮次さん。
室井「はい」
―浅井蓮次さんに決まった経緯は?
室井「担当編集者さんと一緒に、会議机にどかんと色んな作家の単行本を積んで、誰それがいい、この人は?…という打ち合わせを重ねて。その中で「この人だったらいい感じにしてくれるんじゃないか」って」
―わりと編集サイド主導で決まった?
室井「いえ、わりと民主的に」
―浅井蓮次さんとは、会ったり…。
室井「あります。ホントに作画の表情が良かったんで、ありがたいなあと思って。」
―『レイリ』は岩明さんのテキストで、『バイオレンスアクション』は室井さんのネーム原作。
室井「それは、最初は俺が作画までっていう感じだったから、ネーム原作にしたんですけど」
―ネーム見せてもらったことありますけど、完成原稿はイイ意味で全然違う。
室井「絵はその人その人のもんですから(笑)」
―だから、このコンビでよかったなって。
室井「そう言ってもらえると嬉しいです。俺のせいで長く休載しちゃって、浅井さんにも迷惑かけてしまって。でも連載再開後の絵が、ブーストかかって良くなってて、ありがたいなーって」
―室井大資作画だったら、ここまでヒットしてたかなって、正直…。
室井「もうちょっとダークなものになってたでしょうね。あの絵でけっこう、感情の奥行きとかを出してもらえる感じになったのは、凄くありがたい」
―結果、大ヒットじゃないですか。
室井「大ヒットって言ってもね、そんなめちゃめちゃヒットっていう訳でもないですよ。〇万行ってないぐらいですから…」
―十分だよ(笑)。
室井「そりゃ、俺にしてみりゃ十分ですよ。去年・一昨年ぐらいで、俺、作家人生的なもの、十分ですね、もう。岩明さんと仕事出来て、町山(智浩)さんに帯コメントもらって(笑)」

―『バイオレンスアクション』は、荒唐無稽を恐れずエンターテインメントに徹したというか。
室井「荒唐無稽さっていうのは、最初の設定…設定に頭を抱えたんだけど、そこから切り替えて、そのジャンルに対していかに誠実であるかっていうことを考えようと。やるんだったらちゃんとやらないとっていう気持ちが『バイオレンスアクション』というタイトルに直結してて。『バイオレンスアクション』っていうタイトルを付けるのは、そのジャンルに対して批評性を持ってやりつつ、本道をやるんだっていう、意思表明。バイオレンスアクションっていうジャンルに対する異化作用というか。本道をやってても、ちょっと違うんだぞっていう…」
―ずらし。
室井「ずらし。同じ彫刻に、真正面から光を照らすのと、下の方から光を照らすので、浮かぶ陰影は違うけど、でも結局、同じ彫刻じゃないですか。そういうことで、ちゃんとそのジャンルの本道っていうのはやらなきゃいけないなっていうのは思ってて。だからずらし、すかしっていうのもその手段ですよ。ちゃんとその本道をやるっていうことの。皮肉だけだったら、続かないですからね」

―非常に魅力的なキャラクター…何処かネジが1本飛んでる人ばかり出てくる漫画ですけど(笑)。
室井「うんうん」
―みちたかくんが死んでなくて、後々まで絡んでくるっていうのは、出て来た時から考えてたんですか?
室井「いや…俺がみちたかくん大好きで、編集者が止めてたんですよね(苦笑)。でもやっぱり、暴力と笑いって、合う…親和性が強いっていうか。「ごっつええ感じ」の血しぶきが飛ぶようなコントとか、凄く笑っちゃうんですよね。みちたかくんのキャラクターって、言ってみれば『エバタのロック』っていう作品の、エバタ的な…エクストリームで、人生から屹立しているような人の立ち位置と、けっこう一緒なんですよ」
―いわゆるアウトサイダー。
室井「まあ、そうですね」
―アウトサイダーって、突き詰めると笑えるっていうか。
室井「ロックスター漫画ってけっこうジャンルがぼんやりしてる感じで、それが(『エバタのロック』が)あんまり訴求出来なかった理由のひとつでもあると思うんですけど」
―ああ。
室井「それが、暴力漫画っていう中にああいうエバタ的なキャラクターをポンって置くと、ホントに映えるっていうか…やってることは同じなのに(笑)。だから最近になって思うんですけど、誰に向けて何を描くかを精査するのが大事っていう…俺の周りの友達とかでもいっぱいいるんですけど、才能にあふれてるのにけっこうパッとしない人がいて。まあ俺もパッとしてるかわかんないですけど(笑)、そういう人って、1回、わかりやすいジャンルという“型”の中で、何かやった方がいいと思うんですよ」

―…そういう流れの中で、室井さんが常々公言している“漫画家はサービス業”っていう言葉があるんですけど。
室井「うんうん」
―この言葉について、出来れば室井さん自身の言葉で、説明してほしいと思うんです。作家性と商業性のバランスとかについて。
室井「それは二律背反するようなものじゃなくて、併存してていいと思うんですよ。ただそのバランスの配分っていうか…例えば音楽だったら、アジテーターでもよかったりする場合もあると思うんですね。でも漫画っていうのは娯楽としての立ち位置が違うし、作り方も違うし。ちゃんと人を楽しませるっていうか、誰かに喜んでもらえるっていうのを優先した方が、わりと生活が楽になるよって(笑)。別に、そうじゃない人はそのままアジテートしてくれれば全然いい話だし、俺はシフトしたってだけですけど。そもそもそういう風に考えないと、俺ってホントに自分アピールとか我欲が凄い強い人間だから「サービス業だ!」って自分に言い聞かせてるぐらいがちょうどいいんですよ」
―ああ。
室井「でも、結局フィクションって…俺は、負けてる人に寄り添うような仕事だと思うんで。だから、岩明さんが言った「作品に対して“端女”でいいんです」っていう…。楽しんでほしいし、俺も、ポップで明るいものを描く方が嬉しいし。自分のデトックスにもなるし。実人生がつらい分ね(笑)」
―(笑)でもどうですか?…商業的に一定の成功を収めたことで、つらい実人生っていうのも、また変わったと思うんですけど。
室井「仕事と実人生を分けて考えてるんで(笑)。…そんなめちゃめちゃ幸せな訳ではないですね。口座残高見て多少ほほえむ感じではあるけど(笑)。27歳ぐらいの、漫画に全振りしてるような奴が売れたよりかは、俺は凄い冷静に考えてて。「40過ぎて多少パッとしたところで、実人生は別だ」って思っちゃうんです。だから、ちゃんと売れるべき時期に売れて、100パーでそれを喜べる奴とか、ホント羨ましいと思って。…もうちょっと、大人になる前にちゃんと売れたかったですね(苦笑)」
―…個人的な想いで言うと、寄り道とか回り道はないと思ってるんで。実人生を振り返って(笑)。だから、そういう風でしかあり得なかったのかも知れないし。
室井「まあね、結果論そうですけど。俺だって、30歳ぐらいまで、超馬鹿でしたもん(笑)」
―(笑)
室井「頭悪いし、ネームも糞つまんないしさ(苦笑)。まあ、こうしかなり得なかったんだと思いますけど。これから先もどうなるかわかんないですしね(笑)」

―それで言うと、今後は?
室井「今後ですか?…幸いなことに需要は結構あるので。でもホント、仕事を断ることが出来ない。気が弱くて(笑)。でも、そうするとまたお酒に溺れたりとか、鬱になったりとか、ダメになっちゃうと思うんで、ちゃんと精査して。ちゃんと調律の効いた美しいものを描きたいですね。次は…今決まってるのは、別冊チャンピオンで、ヒーローものの読み切りを描くっていうのが。あとは、平山夢明さんっていう小説家が…25年ぐらいずっと好きなんですけど。うちのスタッフが行ってる飲み屋に平山さんが来てるってのを聞いて、名刺と単行本をスタッフに託して、渡してもらって。そしたら作品気に入ってもらえて。それで、何度かお会いして「なんかやろっか」っていう話になって」
―素晴らしい。
室井「でも俺も平山さんも遅いから(笑)、わかんない…。でも嬉しいですよ、好きな人と仕事出来る…岩明さんもそうですけど。他にも幾つか、やりたいことはあるんですけど、それは需要次第というか。…突き詰めたらやりたいこと、ないんですよ(笑)。やりたいのは、人間関係とかそういうことだけですから。何のジャンルでも別に何の問題もない」
―うん。
室井「それが4コマでも児童漫画でも絵本でも、ハードバイオレンスでも。ただもうちょっとね、ちゃんと、俺がやってる漫画だってのを統合したい気持ちはありますよね」

―ちなみに、ネット上で熱望論が消えない『イヌジニン』続編っていうのは…。
室井「(食い気味に)ないですないです。電書出してもさっぱり売れなかったですしね」
―売れてないんだ?…電書で風向き変わるかと思ったのに。
室井「全然ないです。10年経って、(続編を望む)声が消えないって、凄くありがたい…なかなかないじゃないですか。だからすげえ嬉しいんですけど。売れなかった作品の続編なんて、誰も買わないし。それをやっても僕の生活が立ち行かなくなるし…。各々の心の中で、いい作品と思ってくれるんだったら、それはとてもありがたいんで。ただ、俺はまだ他のことをやれる余力も才能もあるし。やらないですね。」

―…では締めましょう。一定の成功を収めた漫画家として、例えば今漫画家を志望している人とか、若い漫画家に言うことって、何かありますか?
室井「業界自体がシュリンクしてるような状況で、漫画家を目指す奴なんて、馬鹿か負けてる人しかいないので…」
―(爆笑)
室井「(笑)だから、そういう人は仲間ですよ。でも誰がどうなるかわからないんで…今は馬鹿でどうしようもなくても、10年経ってどうなるかわからないってのは、俺が実証してる訳だし。だから頑張って欲しい。頑張って欲しいっていうか、俺だって何年か先、どうなるかわかんないし。凄いフェアな業界だと思うんですよ。ビハインドがアドバンテージになる数少ない業界。友達一人もいない奴が、友達欲しいなと思って、友達を描いたら100万部売れたとかさ、そういう感じというか、何か欠けてる人の仕事だと思うんで…」
―(笑)
室井「映画なんかは、けっこうスタッフとかコネとか、政治力とか、プレゼンの上手さとかで何とかなったりとか…」
―チームじゃなきゃ出来ないし…。
室井「音楽とかも、売れてるものがいいものとは限らない。漫画って、売れてるものがおおむね面白い。好悪は別にして。新人賞なんかもコネで入選とかあり得ない。で、性差も年齢も関係ない訳じゃないですか」
―はい。
室井「だから、そういう意味ではフェアでいい業界で、俺はやなことも含めて漫画家を凄い楽しんでるんで、あなたたちも楽しめたらいいね、って思う。もちろんクラシカルな請負業態じゃなくって、SNS経由で、新しいシステムのもと食っていこうとしている人もいると思うけど、その人たちも含めて、楽しめたらいいねって」
―方法論的なアドヴァイスじゃなく…?
室井「はい。あと人柄をよくした方がいいッスよ、ホントに(笑)。(編集者の)言うことハイハイ聞くっていうんじゃなくって、いろんな人を赦すとかさ…若い頃って、けっこう、誰も彼もが馬鹿に見えてさ。「俺は最高!」みたいな感じに思っちゃったりしがちだけど、でもそうじゃなくって、みんながみんな、ちゃんと生きてる訳だから。人も赦して自分も赦すってことですよ。俺はまだ出来てないですけどね(苦笑)」

―他に何か言いたいことはないですか?
室井「失恋(の話)とかはいいんですか?…失恋から5年鬱になったとか」
―それ掘ってもなあって。
室井「まあ、みんな地獄の時期があるから大丈夫ですよ(笑)。地獄はね、糧になるからね」
―まったくその通りですね…。
室井「“地獄も糧になる”(笑)。大丈夫ですよ」


…以上。
室井大資氏の新作を楽しみに待ちたい。
お読みいただいた皆様、ありがとうございました。
感想などもお待ちしています。
(それは他の記事もいつもだけど)


追記:
室井大資氏はその後も活躍を続けている。
遠からず、もう一度インタヴューしたいと思っている。
必ず実現します。
お楽しみに。

(2025.9.1.)

室井大資インタヴュー(その2)

レイリ6巻.jpgはい、漫画家・室井大資インタヴューの続き。
昨夜アップした第1回分は既にかなりの人たちに読んでいただけているようで、ありがたいことです。
(室井氏も喜んでます)
さて今夜は第2回。
先頃第6巻が出て完結した『レイリ』、その制作秘話をお届けします。
お楽しみください。

※インタヴューその1
https://lsdblog.seesaa.net/article/201907article_7.html


―その岩明さんですけど…『レイリ』。岩明均原作。
室井「はい」
―原作付きは初めて?
室井「そうですね。岩明さんじゃなかったら、原作付きとかは受けなかったです」
―岩明均さんの原作で、漫画を描くっていう…その話はそもそもどういう経緯で?
室井「担当編集者の、沢さんっていう…チャンピオンの元編集長。『刃牙』とか『シグルイ』とか担当されてた方が、岩明さんと30年ぐらい仲良くて。定期的に単行本を…自分が気に入った単行本をまとめて送るんですって、岩明さんに。「今の漫画の趨勢もチェックしてみて」みたいな気持ちを込めて。で、あまりリアクションがないんだけど、俺が描いた『秋津』っていう漫画に岩明さんからリアクションが返ってきて。「アレ面白いねえ!」って。…その頃、脚本は完成してて、『レイリ』の。で…作画の人を、何人か、プレゼンというか、コンペ的なのが走ってて。で、岩明さんが「室井さんとかどう?」「ええっ?!」とか…笑いながら話してたんですって。「じゃあ一応、室井さん声かけてみよっか?」って。で、声かかって。手、震えましたよね…。ずっと好きな人ですから」
―その時点ではまだ確定ではなくて。
室井「確定ではなかったです」
―『レイリ』の最終巻の、岩明さんのあとがきを見ると、対立候補みたいなのが…。
室井「いらっしゃったみたいですけどね」
―結局、二人から選んだ形ですか?
室井「いや、他にも脚本のさわりの部分を渡されて、どうかっていう話が来たって人は、何人かいたって聞きましたけどね。結局、俺の1話・2話のネームを見てもらって、じゃあ(俺で)っていう感じで。『秋津』の何を気に入ってもらえたかって言ったら、キャラクターの奥行きとか、間とかユーモア感。あと、レイリは重層的にドラマが走ったりするから、頭よくないとダメっていうのがあって…俺、頭がいいから(笑)」
―(笑)
室井「なんか頭よさそうっていう(笑)。それで作画に決まりました」
―『秋津』は『寄生獣』を読んで泣くシーンもあるし…。
室井「「そこは、岩明さんどう反応してくれたんですか?」って訊いたら、岩明さんも照れ屋だから、そこは反応しないで。『デビルマン』の美樹ちゃんのキャラ弁っていうギャグがあって。割り箸に卵ぶっ刺して「『デビルマン』のミキちゃん」って、お父さんが息子に渡すって、あそこですげえ笑ったって…」
―(爆笑)
室井「永井豪先生へのリスペクトが逆にないですよね(苦笑)。ミキちゃんも、カタカナで書いちゃってるんですよね。“美樹”じゃないといけないのに。…『デビルマン』も読んだんですけど、やっぱ、もう一世代上じゃないですか。確かに凄かったですけど。俺の世代にとっての『デビルマン』っていうのは『寄生獣』だから」
―ああ!…『ネオデビルマン』にも入ってたなあ、岩明さん。
室井「ああ、良かったですね!」

―で、その時点では原作、シナリオは既に完成していたワケですね?
室井「してましたね」
―凄く長い時間がかかったらしいですね。
室井「5~6年ぐらい書きためて、1回担当編集に渡して「コレを清書します」っつって、12年かかったっていう…」
―凄いなあ…。
室井「時代劇とか全然興味ないんですけど…それは今でも興味ないんですけど。でも岩明さんが紡ぐ感情の機微とか、そういうものに心惹かれて。シナリオ読んで8回ぐらい泣いちゃって。最高だなと思って。俺、師匠と言える師匠がいないんですけど、岩明さんを師匠と呼んでも、もういいよね?(笑)」

―通常、原作付きの漫画っていうのは、原作者から原作が送られてきて、それをその都度絵にしていくっていう…。
室井「そうですね、はい」
―今回は、シナリオが完成していて、6巻分通読してから…。
室生「そうですね。だから、序盤に出てくるキャラクターも、後に含みがあるような感じとか、そういう奥行きを持たせるみたいな作業というのも必要だったり。なんていうんだろう、“記号”にしちゃいけないというか」
―なるほど。原作が五月雨で届きながら、それを絵にしていくっていうのと、最初から結末がわかっていて、キャラクターを作っていくっていうのとは…そっちの方がやりやすい?
室井「それはどちらにもいいところがあって。たとえば週刊タームのドライブ感で、パッと来てパッと描いて、筆や感情が走ったりする、そのカッコよさってのももちろんあると思うんですよ」
―はい。
室井「でも岩明さんの場合、ホントに悩んで悩んで悩みぬいてポップに作るっていうか…ポップっていうのは、ちゃんとしたエンターテインメントに…」
―エンターテインメントとして成立させる?
室井「そう。音楽だったら、それが現代音楽に流れないで、そういう試行の苦しみが…言ったら岡村靖幸とかブライアン・ウィルソンみたいに、悩んで悩んでポップなものを作るみたいな人だから。だからそれはタームが違うというか、どっちにも良さがあるという感じがしますね」
―今の話を聞いて思ったんですけど、最終巻になって「穴山玄蕃が黒幕だった!」ってことになって、思わず5巻に遡って「玄蕃!」ってなる。それで(5巻の穴山玄蕃の台詞)「信勝どのと…小山田?」のシーンを…。
室井「うん。だから、ちゃんと組み上がった…海外の古典小説みたいな強度があると思うんですよ。アレクサンドル・デュマみたいなさ。わかんないけど(笑)。凄い、グイグイ読ませるような。…今の漫画の、第一話でダッシュかけるような時流にはそぐわないけど、でも岩明均という名前が担保されてたから。1巻がほぼプロローグだったりとか、そういう感じだったりするんですけど、全巻通して見ると、良質な古典小説の強度ってのがあると思うんですね。さっきおっしゃった、週刊連載でパッて描いて次!…っていう、その面白さとはまた別種の面白さが、あると思うんです」

―ちなみに、最終巻の帯コピーになった…。
室井「“たとえ胸の傷が痛んでも”。アレは『アンパンマン』(主題歌「アンパンマンのマーチ」)の一節で。それっていうのは担当編集者の沢さんと岩明さんが話してて『アンパンマン』のテーマと『レイリ』のテーマが直結するかなっていう。歌詞をずっと読んでくと、ホントにそうなんですよ…胸に沁みる歌詞で」
―それは、どの時点であったんですか?
室井「それはもう…『レイリ』の構想の、当初からあったそうです。それで沢さんが(最終巻に)そのコピーを付けたんですけど。「コレはちょっと俺のわがままで、このコピーを付けさせてくれ!」って…「やなせたかし先生サイドにも許諾は取った!」って。そんなのもう、全然嬉しいですよって」
―…あのプロットっていうのは、震災の影響っていうのはあったんでしょうか?
室井「どうでしょうね?」
―時期的に言って…震災直後に「アンパンマンのマーチ」って、凄くラジオでかかってたでしょう。
室井「一度岩明さんにお会いした時に、そこまではお伺いしてないですけど。でも、どうでしょう…ああいう、普遍のものというか、岩明さんの作品群から類推するに、2000年代初頭って『剣の舞』とか『ヘウレーカ』って…岩明先生も手塚治虫先生を尊敬してらっしゃるから、神の視線というか「お前らくだらねえ戦争しやがって、他にやることねえのか」みたいな、虚無感で終わる感じっていうか…俺はそれも凄い好きで。でもそこから十数年描き続けて、やっぱり岩明先生にも変化というか、虚無の果ての光、みたいなものっていうか…肯定感みたいな。そういう、作家が年齢を経るにつれての心境の変化っていうのがもちろんあったと思うんですよね。それはもう、時事と密接に連携してると思うし。(本人に)聞いてはいないけど」
―通過した虚無が深ければ深いほど、逆に生命に対する…。
室井「想いとか慈しみとか、優しく寄り添う感じっていうのを…だからこそ俺は泣いちゃって。『レイリ』っていう作品は、ホントに光が滲む作品っていう感じ」

―その点では凄いダイナミクスとかダイナミズムがある作品。で、それを室井さんが非常に上手い具合に作画したと思ってるんですけど。
室井「うん」
―例えば1巻で、鎧武者が敵に馬乗りになって、首を「ゾッ」ってやる時…。
室井「うんうん」
―『寄生獣』からずっとそうなんだけど、それまで生きて笑ったりとかしていた人たちが、寄生獣にバクってやられた瞬間に、眼の光がスッとなくなって肉の塊になる…。
室井「アレは、僕にとっての死生観とも通じる感じで、そういうところも岩明さんや沢さんは見てくれたと思うんですけど。“死んだら物体”とか…岩明さんがおっしゃってたのは、例えば、首を刀で切断するじゃないですか。首がスポーンと飛ぶんじゃなくて、ボトンと下に落ちる。そういう、物理法則とかに則った表現っていうのが望ましいって。俺もまさにその通りというか。首「ゾッ」っていう時のネームって、沢さんすげえ喜んでくれて(笑)」
―ああ。
室井「沢さんっておかしくて…『シグルイ』の担当だから。おっさんがイイ顔で死ぬと、すげえ喜んでくれるんですよ(笑)。でも『レイリ』の殺陣とか残虐表現に関しては、岩明さんの影響はもちろんずっと通底してるんですけど、僕自身もそういう感じの、残虐表現っていうか、ゴア表現が好きで。死んだらただのモノというか…その上で、物理法則にちゃんと則ったロジカルな残虐表現。例えば、レイリが飛んだり跳ねたりして人を殺すんですけど、それって、体重が軽いから、重力を味方にして切りつけるとか。あとは何度も何度も刺して…オーバーキルするのは、じゃないと息を吹き返して反撃されるかも知れないからとか、そういう、荒唐無稽に思えてもけっこう物理法則に則ったり、ロジックに則ったりして、人を殺すというか。プラス、三隅研次という映画監督が好きで。『子連れ狼』とか、勝新太郎のお兄さん…」
―若山富三郎。
室井「そうそう。ある時期の三隅研次のゴア表現が凄く好きで。そこらへんの影響も取り入れてる感じですね。でも基本的に、人が死んだらモノになる、そういう感じっていうのは、岩明さんから…岩明さんとか北野武とか。北野武も、直立不動でパンパンパンって人を殺して、無言で死んでいくっていうさ。あとは黒沢清とかもそうだけど。そういうとこからけっこう、死生観みたいな、人が死ぬ表現っていうのは影響を受けているので」
―そういう表現があればこそ、レイリをはじめとする主要登場人物の、生命感とか生命力とか、生き生きした感じっていうのも際立つ。
室井「そうですね。残虐表現は目的じゃなくて、手段なので。ゴアシーンがたまらなく大好きで描いてるって訳じゃない。その先に見える光とか希望みたいなものを描く上で、振幅がデカい方が伝わる訳だから。だから、残虐なところは徹底的に残虐にしなきゃいけない。でも、その作品に対する度合いっていうのがあるから、やり過ぎないように…なるべく、内臓がぐちゃぐちゃ出たりするようなゴア表現じゃなくて、感情的に蹂躙されるというか。…目的じゃないですよ、手段ですね、悲惨な状況を描くっていうのは」

―そういう物語を描くための、主役としてのレイリ。キャラクターの造形の上での、気を付けたところとか苦労したところとかは?
室井「単純に考えて…似たような人(信勝と、レイリを含む影武者たち)が4人出てくるんですよ、登場人物に(笑)。だから沢さんも、画にして成立すんのかって多少危惧したらしいんです。でも、顔が似てても、演出とか仕草とかで、差異化は出来ると思うんですよ。信勝って、若殿様、凄く天才の。アレも、凄くオーバーアクションで、指ピッとさしたりとか、身振り手振りが凄いとか…アレは、不安の表れであったり。内面が凄く傷つきやすいから、自分をデカく見せるような感じ。自分を大きく見せるような、多動の子の予備動作っていうか、そういう感じの演出を付けたりとか。レイリはすっとぼけてる感じ(笑)。レイリがすっとぼけてる感じっていうのは、最初は、全部どうでもいいっていう虚無感っていうか。基本的には全部どうでもいいっていう感じなんだけど、後半になって行くにつれて、いい共同体になって行くっていうか、殿様とかとも。だから「しょうがねえな」っていうツッコミ役のすっとぼけた表情に変わっていく。ユーモアを獲得しつつあるみたいな感じっていうか。そもそもは、あの子はあんな悲惨な状況がなかったら、ユーモアに充ちた素直でかわいい女の子なのかも知れない。だから気が狂っちゃったけど戻って来たみたいな、そういう感じ」
―そもそもの造形が、今までの室井さんの漫画に出て来た女性キャラクターと決定的に違うじゃないですか。
室井「そうですか?」
―室井作品に出てくる女の人っていうのは、例えば『イヌジニン』の広田さんをはじめとして、目力だけ強くて幸薄そうな…。
室井「…アレは多分、虚勢を張ってるんですよ。人と関係するのが怖いみたいな」
―エバタの娘とかも。
室井「うん。みんな怖がってるんですよ」
―そこに初めて、目がはっきり大きく描かれた、眉目秀麗な女性キャラっていうか。
室井「それは、俺が人と関係したいっていうか、人に楽しんでもらいたいっていう気持ちの表れ…かも知れないですよね。レイリのキャラクター作りにおいては、もうちょっと感情の深度…深さの度合いが、強いので、なるべくフィクショナルなキャラクターデザインにはしない…髪がツンツンとか、そういう感じにはしないようにしようと思って、岩明さんにキャラクター・デザインを渡したら、こういう感じでいいんだよって。逆に、織田信長が出てくるじゃないですか、狂った感じで。アレはもうかき回す役だから、フィクショナルに、振幅を狙って。俺の中では、レイリっていうのは、今まで描いてきた女の子のキャラクターとドラスティックに変わってる訳ではないんですけど…それは、作家の経年変化というか(笑)、そういう感じじゃないですか、単に」
―わりと、室井漫画って、男性でも女性でも、こういう感じの…レイリは、こうでしょ?(それぞれの室井キャラの目を紙に描いてみせる)
室井「(笑)それは…『エバタのロック』って、週刊連載っていうタームが、俺に合わなくて、凄く失敗しちゃって。そこから2年ぐらい「どうしたら売れるのかな?…才能が、俺は、凄くあるんだけど、売れる才能だけがない」っていう…(笑)」
―(爆笑)
室井「(笑)その試行錯誤の結果のひとつだと思います。どうやったら耳目を集められるのかとか、そういうことをずっと考えてましたからね。「フィクションとは?」とか。ただ、(『レイリ』の)初期はホントに、絵が慣れてなくて、拙くて。俺自身が、絵が上手いタイプで作画に選ばれるっていうのではなかったので…」
―そうなんですか?
室井「うん。絵に凄くムラがあるし…だから人体解剖図とか買って、絵の勉強し直したりとかして。それでもまだ下手ですから。まず基礎デッサンが上手くないし…だから、本当に絵を描くのが嫌いなんですよね(苦笑)」
―なんで漫画家に…(笑)。
室井「いや、お話が描きたいからですよ…。それでも一応、頑張ったんで(笑)。“岩明さんの絵で読みたかった”って…俺が一番思ってる訳でさ」
―岩明均さん本人の絵だったらまた違うっていうか、ああはなってないと思う。俺は室井さんの絵でよかったと思ってますけど。
室井「そう思ってもらったら嬉しいですよ。尊敬してる人だから、変な我欲とか自分アピールとか入れないで、岩明さんだったらどう描くんだろうなって思いながら描きました。表情とかも。たまに遊びで『ヒストリエ』の吹き出しを、トゲトゲの吹き出しをトレースして入れたりして…(笑)」
―そんなことしてたんだ?(笑)
室井「(笑)岩明均作品を、この世にもう1作という気持ちで。嬉しかったのは、自分のアップデートが出来たんですよね。単行本でも、表情のリテイクとかは、わりと多かった。「ここはこの表情じゃない」っていう。プラス、自主的に俺も単行本毎に100ヵ所ぐらい直したり(笑)。奥行きというか、そういうとこって、作品の強度につながる。俺も実にもなったし、嬉しい仕事でしたね」
―『エバタのロック』『秋津』の頃に較べても、連載中の画力の向上っていうのは本当に著しいモノが…。
室井「…でも、ホント基本的に上手くはないと思ってるんで。いや、めちゃめちゃ頑張ってるんスよ。頑張ってアレなんで許してって感じ(笑)」

―…連載は何年でしたっけ?
室井「話が来たのが2014年の10月かな?…だから、5年弱とかそんなもんですよね、企画はね」
―その間に岩明さん御本人とお会いしたのが1回?
室井「1回ですね。でもそういうもんですよ?」
―ああ、原哲夫と武論尊もほとんど会わなかったって…。
室井「3回ぐらいしか会わなかったって言ってましたよね」
―そういうもんなんだ?
室井「そういうもんです(笑)」
―岩明さんは、どういう方でした?
室井「知性が服を着て歩いてるような人ですね。カッコよかった…カッコよくてナイーヴで、「こうじゃなきゃ!」って感じ」
―岩明さんとの出会いを通じて、自分自身が変化したっていうのはありましたか?
室井「漫画に対する姿勢、向き合い方っていうのが…岩明さんって、作品に対して、自分(作家)は“端女(はしため)”でいいとおっしゃってて。端女、侍女っていうか…ストーリーやキャラクターに対して。だから作品を超えて「俺をわかってくれ!」っていう、過度な自分アピールは要らない。我欲は要らない。どれだけキャラクターやストーリーに誠実であるかっていう。そういう姿勢。それを超えた自分アピールって…それは音楽でやればいい話で」
―ああ。
室井「ジャンルによって、我欲の出し方の度合いって違うと思うんですよね。そういうとこかな。あとは、そのキャラクターがどんな感情をはらんでるのかっていう…ホントに奥行きがあるから、何種類も…多い時は「5種類ぐらいの感情をはらませてくれ」っていう指定が(笑)」
―信勝の表情とか…。
室井「そういうとこで、キャラクターの表情の奥行きっていうのを描くのが、俺は上手くなりましたね(笑)。でもそれって、必要ない漫画には必要ないんですよ」
―?
室井「善と悪の二項対立で、悪を殴るぞ…みたいな感じの物語には必要ない。だから、良し悪しなんですけど、でも、得た武器なんで、このメソッドを使って正統の少年漫画をやりたいなって思ったり。そうすると、面白い奥行きが出るんじゃないかと」

―…で、時代劇、もうやりたくないんですか?
室井「めんどくさい!…甲冑とか描くの、もう最悪。着物もわかんないし。難しいですね…」
―せっかくあれだけ描けるようになったのに…。
室井「資料もいっぱい買ったんですけど。資料とか大嫌いなんですけど、取材とかも…。でも(取材に)行って、資料いっぱい買って。でももう二度とやんねえと思って、資料もスタッフにあげちゃったりして(笑)。いやーめんどくさいめんどくさい、無理無理無理」
―岩明原作がもう1回来たら?
室井「(苦笑)」
―でも再タッグとかになったら、全然違う話になるか…。
室井「いや…『ヒストリエ』の続きを読みたいんで」
―それだったらやる?
室井「えっ、俺がですか?…いや、無理ですよ、岩明さん(の絵)で読みたいですよ!(笑)」
―もしそうなったら、古代ローマとかの資料を…。
室井「いえいえ、岩明さんで読みたいです(笑)」


以下、ラスト第3回に続きます。
乞う御期待。


※インタヴューその3
https://lsdblog.seesaa.net/article/201907article_9.html


(2025.9.1.)

室井大資インタヴュー(その1)

秋津.jpg岩明均原作の『レイリ』では作画を務め、『バイオレンスアクション』(浅井蓮次・画)では原作(“沢田新”名義)を担当する人気漫画家・室井大資。
『レイリ』の連載完結と『バイオレンスアクション』の連載再開というタイミングで、その室井氏にインタヴューしました。
20000字近いロング・インタヴュー、3回に分けてお送りします。
まずは第1回、少年期~青年期の漫画体験をはじめとする『レイリ』以前の話を。
お楽しみください。

(2019年6月17日・杉並区某所)


―『レイリ』連載終了、お疲れ様でした。
室井「ありがとうございます」
―トークショーとか、わりと積極的に出てる印象があるんですけど。
室井「そうですね。寂しいから(笑)」
―ただ、ニコ生をその時観た人や、トークショーに来た人しか観られない、聞けない。今回は室井さんの肉声を、改めて聞かせていただこうと思うんです。
室井「はい」

―そもそも、漫画家を目指したのはいつ頃なんですか?
室井「なるもんだと思ってたんで…特に、目指したきっかけっていうのは、ないです」
―子供の頃からずっと?
室井「そうですね」
―その頃影響を受けた漫画家さんっていうのは?
室井「いつぐらいですか?」
―漫画家を目指す過程で。デビューまでの。
室井「やっぱり順当に、藤子不二雄に耽溺していて、好きで。そのうち子供ながらに「あっ、ここはアシスタントが描いてる絵だ!」って判別つくようになって(笑)」
―嫌なファンだな…。
室井「(笑)そのうちAとFって別れたじゃないですか。俺はFが好きだったんだなっていうのが、凄く…。20歳ぐらいの頃に藤子・F・不二雄の短編集っていうのを読んで、更に“F好き”っていうのが固まって。Aの方はけっこう残酷なことやるんだけど、チャイルディッシュで無邪気。Fの方はもうちょっと、シニカルで奥深いっていう感じ。奥行きの深さに、凄く感じ入ったっていうか」
―SF短編とかで『ドラえもん』とかとまるっきり同じ絵柄なのにけっこうエグいこと描いたり…。
室井「エグいというか…皮肉というか奥行きを持っている人だからこそ、本当に美しいものを描けるんじゃないかって思います。『ドラえもん』の美しいエピソードとか、その他の作品群とか、素晴らしいですね。子供に向けて丁寧に描いた作品」
―はい。

室井「あとは『北斗の拳』とか『奇面組』とか『こち亀』とか…」
―本当に順当過ぎる!
室井「王道ですよ(笑)。幼少期の頃は、その頃普通に流行っている漫画…『キン肉マン』『北斗の拳』。『DRAGON BALL』は、10歳ぐらいだったけどあんまりハマんなくて。あとは荒木飛呂彦が大好きで…」
―ああ。
室井「当時、すげえカッコいいんだけど絶対コレ連載続かねえだろうなっていう…(笑)」
―はい。
室井「『魔少年ビーティー』とか『バオー来訪者』とか…」
―『ゴージャス☆アイリン』とか?
室井「『ゴージャス☆アイリン』!…最高でさ(笑)。『ジョジョ』の1部が始まった時に「俺は大好きだけど絶対すぐ終わる!」って思って(笑)」
―思った思った(笑)。
室井「(笑)2部で化けたんですよね。ストーリーじゃなくて、キャラクターに目線をシフトしたっていう。どんどん「このキャラクターの先が見たい」みたいな感じって…ジョセフってホントに魅力的なキャラクターだったじゃないですか。1部って、いつ終わるかいつ終わるかって…ずっと後ろでさあ、ジャンプの掲載順が。ハラハラしながら見てて。「俺は好きなんだけどー!」っていう…」
―わかるわかる(笑)。
室井「当時、巻来功士さんが『メタルK』っていうのをやってて。アレとおんなじような感じ。『メタルK』ってのも10週で終わっちゃった、渋くて大好きな漫画だったんですけど。巻来功士さんって、最近になって自伝的な漫画出して(『連載終了!』)。そのあとがきで、当時のジャンプの編集長との対談っていうのがあって。
―へえ!
室井「そこで編集長が「巻来くんは縦糸の人で、荒木先生は横糸の人だ」っていう…巻来功士さんはストーリーは上手いけどキャラクターが不得手で。荒木さんもストーリーの人だったんだけど、自覚してキャラクターにシフトして行ったから売れたんだよっていうのを丁寧に説明してて」

―手塚治虫は?
室井「あんまり好きじゃなかったんですよね。4歳ぐらいの頃に、当時大学生の叔父さんちで…大学生がチャンピオンすげえ買ってたんですよね。それを納屋かなんかで見て…『がきデカ』と『ブラックジャック』、すげえ気持ち悪いと思って(笑)。さっぱりしてるものが好きだから。『ブラックジャック』は、20歳ぐらいからですよ。20歳で凄く感動して。そこから手塚治虫とか楳図かずおとか掘り始めたり」
―はい。
室井「自覚的に、ちゃんと職業漫画家になりたいと思った時期に読み始めたのはガロの作品とか…当時、90年代初頭って、オルタナティブ・コミック・ブームっていうか、COMIC CUEとか…いろいろあったじゃないですか」
―ああ。
室井「いろんな…漫画にはいろんな可能性があるんだっていうさ。よしもとよしともとか。ニューウェーブ系作家?とか、そのへんが世代だったんで。でも、よしもとよしともを読んだおかげで俺はねえ、食えるのが10年遅れたと思ってるんですよ(苦笑)」
―そうなんだ(笑)。
室井「変な夢を見させ過ぎてくれちゃったって感じがする(苦笑)。オルタナティブな魅力っていうのを知っちゃったおかげで、裏へ裏へ行っちゃうような感じになっちゃったっていうか。だから、よしもとよしともは恨んでる(笑)。愛憎半ばというか。でもその代わり、10年食える寿命が延びたとも言える…かな」
―ああ、なるほど。
室井「ガロで言ったら93年ぐらい…ガロが終わる前ぐらいに買い始めて。大学(武蔵野美術大学)でも漫研に入って。誰が好きだったかな。Q.B.B.…久住昌之とか、もちろん根本敬。あとは逆柱いみりとかねこぢるとか…。田口トモロヲが描いてた、ヒットマンがカチコミかけて、ヤクザを撃ち殺してから、8ページぐらい内臓がドバーっていうページが続くような漫画とかすげえ面白かったですけどね。あとは谷弘児の『薔薇と拳銃』とかも面白かったし。いろんなそういうオルタナティブな面白さっていうのが…当時は鬼畜ブームとかもあったじゃないですか」
―はい。
室井「ああいうのも、普通に楽しく(笑)…面白かったですね、サブカルチャー。QUICK JAPANとかGON!とかも創刊当時で。読む雑誌全部面白くて」

―少年時代は王道から入って、20歳ぐらいでそういうオルターナティヴに流れる…。
室井「そうですね、でも16歳ぐらいが一番漫画を買ってて、一番読んでましたね。あ! その頃は『うしおととら』が一番好きだったかも知れない」
―やっぱりオルターナティヴな方向に行くと、商業的には難しく…。
室井「もちろんそうですよ(苦笑)。でもねえ、その当時から、ちゃんと端正なものが凄く好きだった。ちゃんと調律の効いた、エンターテインメント。細野不二彦さんとか、ちゃんと面白いじゃないですか。鶴見済がバリバリにライターやってた頃、ひどいこと言ってて。「細野不二彦なんて、常に70点のものしか描けない、あんまり期待値がない作家だ」みたいなことをSPA!か何かに書いてたんですよ。すげえ腹が立って。70点を維持出来るのがどれだけ凄いことかっていうさ。そんで70点じゃねえし!…細野不二彦さんとか、凄い面白いですよあの人。手塚治虫の直系みたいな人でさ。…高橋留美子も好きでした」
―これまた王道。
室井「俺、根っこは多分高橋留美子ですね。あの人、ホントに居心地のいい場所を作るのが凄く上手いっていうか。人魚シリーズとかも最高ですしね。泣いちゃいますよね(笑)」

―…で、話を端折って。2000年にデビューされたワケですけど。
室井「はい」
―それからもう、来年で20年。
室井「ホントですね…!」
―多彩、かつ、わりと王道寄りな影響源からも納得出来るところなんですけど、この20年近く…作品数は、そんなにもの凄く多くはないと思うんですけど、凄く多彩なジャンルを描いているワケじゃないですか。
室井「うん」
―ホラータッチあり、コメディあり。“SF作家”とか“ギャグ漫画家”とか、そういう人たちがいる一方で、室井さんはある意味オールラウンドなところがあるんですけど、そのあたり、自分ではどのように…?
室井「オールラウンドなところを、自分がちょっと鼻にかけてた部分があるんですよ。「俺、何でも出来るじゃん?」って。個性って、複合的な影響を自分なりに、吟味して抽出した結果だと思ってるんですね。影響元が多いんで…90年代のアクション映画とか、“不条理”ギャグブームとか、80~90年代のエッセイ文化とか、「ごっつええ感じ」とか、アメリカンコメディとか、AMラジオとか、もちろんアニメや漫画、小説も。なので、その都度引き出しを漁れば何かしら出てくるんで。俺は、別にジャンルは何でもいいのは、描きたいのがキャラクターだから。人間関係。人と人とがぶつかって齟齬とか葛藤とか融和を繰り返すような、そういう関係性が描きたいんで。そこにおいてジャンルは何でもいいっていうか、そこがオフィスでも、宇宙船の中でも、舞台は何でもいい。例えばバイオレンスのヤクザものを描いてる時に、児童誌から依頼が来たり…「子供向けの4コマを描いてください」みたいな(笑)。そういう自分がちょっといいなと思ってたんだけど。そうすっと食えないですよね…」
―食えない?
室井「そう(苦笑)。こういうジャンルだったらこいつだ、っていうのがないから」
―ジャンルに特化してないから…。
室井「そうそう」
―逆に食えない?
室生「そう。小器用なのを鼻にかけてたんですけど、別に、何もいいことないですよ(苦笑)。作家買いされる時代でもないですし…」

―俺が室井大資っていう漫画家を自覚的に読んだのが、けっこう遅くて…2011年かな、「エバタのロック」の最初の読み切りの時。
室井「はい」
―あの頃『エバタのロック』があって、ほぼ同時に『秋津』があって。
室井「そうですね、はい」
―その頃、室井大資という存在はわりとコメディの人という認識が広くあったと思うんですけど。
室井「っていうか、そこまでのバリューも知名度もないんで(苦笑)。知らねえ作家がワチャワチャやってるってだけだったですよ…」
―そうですか?
室井「ええ…」
―俺はそこから遡って『イヌジニン』を読んで、全然違うなと。で、当時の室井さんはコメディを多く描いてましたけど…いわゆるギャグではなく。
室井「ギャグっていうのが何故難しいかっていうと、人生から切り離されて屹立する瞬間を切り取るっていうか…コメディっていうのは、人生や人間関係の中から漏れ伝わる悲喜こもごもっていうのを描く訳で。ギャグっていうのは、人生から直角に浮上する、凄くエクストリームな瞬間を描く訳で。それっていうのは単純に感性のものなんで。感性っていうのは必ず劣化するんで(苦笑)」
―ああ…。
室井「だから俺はずっとギャグを描いてるつもりはなくて、コメディしか出来ない。ギャグを描いてる人尊敬します。榎本俊二さんとかホントに凄いと思いますね。…榎本俊二さん、当時電気グルーヴにめちゃめちゃ嫌われててね(笑)、ラジオですげえ悪口言われてたんですよね」
―榎本俊二が?
室井「そうそう(笑)。「『GOLDEN LUCKY』つまんねえ」って。俺、電気もどっちも好きだったからさ…。最近、買い直したんですよ『GOLDEN LUCKY』。フィジカルな、身体性を軸にした、王道のギャグなんですよ。『えの素』もそうだけど。凄く面白くて。ギャグの根源というか、それを滅茶苦茶頭のいい人が、異化作用を狙いつつちゃんと再構築したっていう、ホントにカッコいい作品で。ギャグ描いてる人は凄いですよね。相原コージさんや徳弘正也さんなんかもすげーカッコいいと思います」

―ギャグ漫画家って、えてして長持ちしないっていうか…。
室井「それはさっき言った、感性が疲弊しちゃうっていうとこで」
―古谷実がシリアスな方向に行ったりとかも…?
室井「古谷実さんも凄いじゃないですか。だから、ギャグの感性というか、人生に対して屹立するような感性っていうのは、徐々に摩耗して行くとは思うんですけど、その分洞察力や瞬発力っていうのは残ると思うんですよ。反射神経とか…それをシリアスに活かしてるっていう感じ。ホントに古谷さんは最高ですよ。俺ね、『稲中』以外全部読んでるんですよ」
―『稲中』読んでない?
室井「読んでないの(笑)。20歳ぐらいの頃…『スラムダンク』とか『マサルさん』とか『稲中』とか松本大洋とか、あのへん悔しくて全部読んでない(苦笑)」
―(笑)…シリアスに転じた少ない成功例?
室井「そんなこともないと思いますよ。そういうギャグセンスを持っている人が、ストーリーに転向するっていう例は幾らでもありますし」
―いがらしみきおとか?
室井「そうですね。転向したっていう訳ではないと思いますが。いがらしみきおさんが俺の“上位互換”だと思いますよ(笑)。いがらしみきおさんは凄いですね。岩明均さんと話して「お好きな作家いらっしゃいますか?」…唯一リンクしたのが、いがらしみきおさんで」
―おお…なんとなくわかるような気がしなくもない。今なんとなく、岩明均原作、いがらしみきお作画ってのもアリだなと…。
室井「ビッグコミックでね!(笑)」


以下、“その2”に続く。
どうぞお楽しみに。


※インタヴューその2
https://lsdblog.seesaa.net/article/201907article_8.html

※インタヴューその3
https://lsdblog.seesaa.net/article/201907article_9.html


(2025.9.1.改訂)

ユージ・レルレ・カワグチ:インタヴュー(後編)

画像はい、若手No.1ドラマー、ユージ・レルレ・カワグチのインタヴュー、後編です。
ソロ・プロジェクト#stdrums新作の制作秘話や、HEREでのサポート活動、そしてこれからのことなどについて語ってもらいました。
そしていまだにガラケーしか持ってないおっさんは昨今のデバイスの進歩に驚愕するのだった…(笑)。


―俺は(#stdrumsの)おととし出た2ndアルバムから聴いてるんだけど。
「ありがとうございます!」
―その前に1stアルバムが…。
「1stはもう、ソッコー作って。ガレージバンドで練習してたやつをちょっと曲っぽくして。すげえ早く出来たな、確か。活動始めて、数ヵ月ぐらいで出来たな。2014年の、夏頃ですかね。『ANYWHERE DANCE FLOOR』つって。まあそのまんまのタイトルなんですけど」
―それは完全ソロ?
「そうです、完全ソロです。で、アレを持って、ロンドン行って、ストリートで叩いてる時に、2ndでギター弾いてる奴に会って。ハヴィエルっていうんですけど。当時はまだ学生で…スペイン人で、イギリスの音楽学校に来てたんです」
―ハヴィエル・ペレス?
「あいつ本名めちゃくちゃ長いんですよね。ハヴィ・ペレスなんですけど、サンチェス・フランシスコなんとかハヴィエルみたいな(笑)」
―ブライアン・イーノ的な(笑)。
「ブライアン・イーノ的な(笑)」

―その間に、カクシンハン(劇団)にも参加してるんですけど…。
「おお。観に来てくれましたね。ありがとうございます」
―アレはどういうきっかけで?
「渋谷のストリートで叩いてる時に、劇団員さんが僕を見つけてくれて。ちょうどその劇団員が、ミュージシャン…ドラムを探してた。僕その頃ちょうど、海外に行く手前だったんですよ。だから、いっぱい日本でストリートやっとこうと思って、ほぼ毎日渋谷にいたんですよね。で、それを劇団員さんがカクシンハンのメンバーに報告して、それで、連絡もらって。そっから、付き合いが始まりました」
―アレもう、2年前なんだよね、「ジュリアス・シーザー」。
「そうですね!…懐かしいッスね」
―アレ以外でも、カクシンハンで?
「アレ以降、けっこう出させてもらってます。もう、6回ぐらいやったかな?…今後も是非お付き合いしていきたい団体ですし…古典なんだけど、現代をテーマに扱ってるから。やってることは凄い面白いし」
―アレ面白かったね。
「ねえ!…ありがとうございます」

―…で、今回、新しいEPが出来たワケですけど。タイトルが「Fusion Punk Machine」。まさにそれがコンセプト?
「まさにそれがコンセプトですね。元々ストリートで活動していた#stdrumsなんですけど、さっき言った、ストリートの限界っていうか、もう、ちょっと厳しい…厳しいっていうか、かなりやりにくくなってるという。それは、日本だけじゃなくイギリスも同様で。あとやっぱり、やりたい人間が凄い増えてるから。供給過多みたいな状態なんですけどね。場所取り合戦みたいになって。(演奏出来る)場所がどんどん減ってるって状態ですから。そろそろ次の手を打たなきゃなって思ってる時に、ロンドンのクラブでスクエアプッシャーのライヴを観るんですよ。元々…テクノって僕、スクエアプッシャーしか知らないぐらいだったんで、当時は。スクエアプッシャーだけはずっと追っかけてる。そしたら偶然ライヴやるっていうから。行ったら、まさかのバンドセットまで付いてて」
―はい。
「SHOBALEADER ONEってやつ。SHOBALEADER ONEで、第2部がスクエアプッシャーって感じの。そのライヴ観た時に、あ、目指すべきはコレだ、と」
―おお。
「彼らのクォリティだったら、多分ストリートでやってもめちゃくちゃ盛り上がるじゃないですか。ストリートだけでストリートを相手するワケじゃなくて、ハコでも戦える力を付けないといけない。そっから、いわゆるライヴハウス向け?…の#stdrumsも始めようと思って。ライヴハウスでのライヴは、ストリートの曲は演らないんですよ」
―曲自体振り分けてるんだ?
「分けてます。元々ストリート用にイメージって作ってるから、ハコだとちょっと間延びするんですよ。どうしてもかったるい。曲も全体的に長いんで…ストリートのやつは。だから、ハコ用に曲も全部作って…っていうのが、今作なんですけど。まさに“Fusion Punk Machine”だな、と思って。フュージョン・ミュージックでありながら、パンク然としてるっていうか。多分スクエアプッシャーって、ジャズ/フュージョン大好きで、それを自分のフィルター通してテクノになっちゃった感じがするから。そのコンセプトをまるまるいただこうと思って。自分も、いろんな音楽好きだから、それを介して、自分なりのテクノを作ったらどうなんだ?…って、やってみたのが今作ですね。2ndも、ギター弾いてもらったのを(自分のドラムと)組み合わせてるだけだし、1stも、いわゆるサンプリング・ミュージックを重ねただけなんですけど、今回は初めてと言ってもいい、ちゃんとした作曲…ちゃんとしたというか、鍵盤を用いた作曲を一から始めて、ようやく出来た作品なんで。そういう意味では自分にとってはかなり新しいことを、凄いやりました」

―ドラム以外の音って、どうやってるの?
「アレは全部、コレで作ってます(スマホを出す)。全部ガレージバンドで作ってます」
―そうなの?
「作曲は全部iPhone使います」
―へえ~…今、そんなことが出来るのか!
「Bluetoothでつながるキーボードを買って、それでこう…こういう感じの」
(スマホの画面を開く)
―はあ。
「この…全部MIDIで打たれてるっていう。こういう感じッスね」
―凄いなあ…。
「逆に、自分の作曲出来るレベルも知ってるし。例えばじゃあ、Protoolsとか買って、なんかプラグイン入れてってやっちゃうと、無制限に何でも出来ちゃうじゃないですか。それは逆に自分に向いてないと思って。敢えて制限を付けるために、iPhone1台からは抜けないようにしてるんです。あくまでここで完結することが、面白いみたいな」
―ふーむ…。
「ギターのチューニング下げません、みたいな話ですかね(笑)」

―…で、ドラムの録音は?
「某地下倉庫で録音したんです。通常のいわゆるレコーディングスタジオはどこも(音響が)デッドなので、部屋そのものが鳴りまくってくれる場所を探してました。レコーディングエンジニアの福島さんから場所を紹介していただいて…行ったらスケートのバンクがあるような、かなりディープな場所でした(笑)。試しに叩いてみると、稲妻級のリヴァーブ!…燃えましたね。しかしいざ録音してみると、意外とすっきり録れちゃって。「もっとけたたましい感じが欲しい!」って…最終的に2個隣の部屋にマイクを置いたりして(笑)、素晴らしいサウンドが録れたと思います」
―ほう…。
「あと、最近世の中にある音源って、ほとんどは録った音源を修正していて…たとえばキックやスネアの位置を整列させてきれいにしちゃったりするんですが、今作は…というか#stdrums全作ですけど、そういう作業をしていないので。少しズレちゃったりタムのリムを叩いちゃったりも、そのまま収録されています。一般的にはミスと言われるモノなんですが…それも含めて面白さというか。危なっかしさが面白い。DEREK & THE DOMINOSの「Little Wing」のジム・ゴードンのフィルでヒヤヒヤする感じ?(笑)…トラックってやつはミスることが絶対にない。だけど叩いている人間は叩き損じを生む。…みたいな対比を楽しんでほしいなと思ってます。個人的にはコレを糧に、もっと練習して上手くなりたいです(笑)」

―元々ドラマーとしてやって来て、メロディ面のアプローチっていうのは、どういう風に…?
「僕は、けっこう…影響受けちゃうと、受け尽くすタイプなんで。多分、スクエアプッシャーからヒントをもらって…友人と話してて出てきた言葉なんですけど、テクノとかドラムンベースとか、彼らのサウンド、特にスクエアプッシャーのサウンドって、ループ・ミュージックの上に、ドラムが歌う。ドラムが遊んでる、イメージを凄い持ってるんで。なので、基本的には、まず「コレだ!」っていうループを…「この進行ヤバい!」みたいなのを作って、その上に少しずつ重ねてこうと思ったんで。あとは、そのループをずーっと聴きながら、出てきた鼻歌を、レコーダーで録って、鍵盤に当てて。ココかな、みたいな(笑)」
―手探りしながら。
「手探りでしかないですね(笑)」
―それであんなにメロディアスなモノが出来るんだから凄いなあ。
「あー、そう言ってもらって嬉しいです!…なんだかんだで、メロディがあるモノが凄い好きなんで。なんか…メチャメチャ凶暴だけど美しいみたいな、対比があるモノが僕は好きなんで。そこを目指そうとした結果なのかもしれないし」
―しかし叩くね!
「(笑)」
―叩きまくってるよね!
「そうですね(笑)。セカンド・コンセプトとしては、1回のライヴで一生分のドラム聴く、みたいな(笑)」
―(笑)
「…風にしたかった(笑)。コレはやっぱ、中期のチック・コリアだったり、MAGMA…『ATTAHK』ってアルバムの頃のMAGMAだったりとか。俺『ATTAHK』めちゃめちゃ好きで。あの頃の人たちって、演奏しまくることに凄い、パンチを持たしてるじゃないですか。アレをやりたくて。かつそれは、ちょっとぐちゃっとなっちゃってるみたいなのも込みで、好きなところ。とにかく、詰め込んで詰め込みまくって圧倒したいみたいな(笑)、そういう狙いはあります」

―2ndアルバムにはLED ZEPPELINのカヴァーも入ってるんだけど、少なくとも今度のEP聴く分には、“メタル上がり”とかそういう感じがあんまりしないっていうか。
「うん、うん」
―まさに“Fusion Punk”っていうか。だから意外だったのは、さっきの三大影響源で。むしろ、テリー・ボジオとかそういうところを通ってるのかと。
「なるほどなるほど!」
―サイモン・フィリップスとか。
「今回作るにあたって、スクエアプッシャーは相当聴いたんで…でもその前に、実は、基本ビートは、それこそジョン・ボーナムのプレイの、超早回しだったりとか…」
―ああ。
「基本はやっぱり、ズン・タン・ズン・タン…2(拍)・4(拍)に入ってるパターンが凄く多い」
―ジョン・ボーナム以前のドラマーっているでしょう?…ジャズ上がりで手数ばっかりのタイプ。ジンジャー・ベイカーとかミッチ・ミッチェルとか。ああいうのはどう?
「もちろん大好きです!…もろんもちろん!」
―リズムキープを最初から放棄してるタイプ。
「コレも友人と話してて出てきた言葉なんですけど、キース・ムーンだったり、ベースだったらクリス・スクワイア…リードベースだったりリードドラム、であるっていうのは、凄い意識はして、やってますね。こないだ、自分のソロをやった翌日にHEREのライヴだったんですけど、ソロやった後だから前に出過ぎちゃって(苦笑)」
―(笑)
「なんか、違う…みたいになったんですよ(苦笑)。「まずい!…立ち位置変えなきゃ」みたいな(笑)。そんなこともありました。もちろんジャズも、凄い聴くようになったんで、トニー・ウィリアムス…やっぱ、フュージョン的な手数で。ソロとかの手数はトニー・ウィリアムスから凄い影響受けましたね」
―あのへんの人は凄いよね。トニー・ウィリアムズとか、ビリー・コブハムとか。
「『SPECTRUM』ッスね。ああいう風になりたいって思ってます。そこらへんのエッセンスは、もっとしっかり取り入れていきたいなと思って」

―ヴィジュアル面では覆面姿が非常に印象的なんですけど。
「ああ、ありがとうございます!」
―アレは何処から?
「アレもスクエアプッシャーです。元の元は」
―スクエアプッシャー影響デカいなー。
「めちゃめちゃデカいです。ただ、自己解釈なんですけど、(SHOBALEADER ONEの)覆面姿を見た時に、おそらくアレって、音に溶け込むことをテーマにしてるっていうか。人間っていうモノを消す?…音だけに集中するって意味を僕は感じたんで。あとカクシンハンの時に、似たようなコンセプトがあって。表情を出さない、タイツかぶってみんなでいるみたいな。それは表情を出さないことで、想像させる?…っていうことに、僕は結び付いて。覆面を着けることで、音に集中してほしいって気持ちと、あとはここから自分のオリジナルなんですけど…結局出ちゃうから、人間らしさが。そこの矛盾を楽しんでほしい。おかげで、めちゃくちゃやりにくいですけどね、演奏が(笑)」
―(笑)見えないでしょアレ?
「実はアレ、何かっていうと、下着なんですよ。下着切って。家で、透けるけど分厚い布、探してたら…「お、コレいいじゃん?」…黒の下着(笑)。アレ、切って貼って」
―ボクサーブリーフみたいな?
「そうそう(笑)。…なんで、見えなくはないんですけど、まあ見えないですね(笑)」
―見えないよね(笑)。
「狙ったところを打てないってのがあるんですけど、それはガレージバンドで曲を作ってるっていうのも含めて…あとは、ガレージバンドから出してるんで、メトロノームないんですわ。メトロノームがない、携帯以上のモノを使わない、覆面を着けるっていう、制限をかけることによって、演奏に緊張感が生まれるかな。余裕持てない。そこから、自分でも想像しえないプレイが出たらいいなあって。ストレスかけてかないと(笑)。結局、ただいいシステムで演奏するんだと、“弾いてみた”“演奏してみました”以上のライヴにならないなと」

―最近はソロ活動と並行してHERE及びインビシブルマンズデスベッドのサポートが…。
「ありますね」
―また今までやって来たこととは全然違うタイプの…。
「いや、全然違いますね!…ホントに(笑)」
―元々はインビシブルマンズデスベッドが先?
「そう、ドラムがどうしても出れなくなっちゃったってことで、1回呼んでもらったんですよ。そっから、少し間を空けて、改めて…ドラムの宮野さん(宮野大介:インビシブルマンズデスベッド~HERE)が、耳の不調で抜けちゃったんで。その時からサポートさせてもらってます」
―元々は西井くんつながり?…っていうか、インビシブルマンズデスベッドは観に行ってたっていうから…。
「そうです!…で、得意技の、しれっと打ち上げに潜り込む作戦(笑)」
―(笑)
「それを繰り返してくうちに…僕、尾形さん(尾形回帰:HEREヴォーカリスト)、家が近いのもあって。そのきっかけを与えてくれたのって、PV監督の丸山さん(丸山太郎:HEREのすべてのMVを手掛けている)。丸山さんきっかけで、インビシと交流させてもらったのが、思い返せばきっかけです。懐かしいッスね、SHELTERでインビシ行ったら、大越さんいらっしゃって」
―ああ。
「あれっ、なんでー?…みたいな。今考えるといろいろつながってる」

―(HEREで)ライヴやってても、これまでと全然客層とか違って面白いと思うんだけど。
「そうですね、違いますね、全然。いわゆるメジャーバンドともまた違う客層だったし、もちろんROSEROSEだったり、アンダーグラウンドな客層とも。あの“オモテ感”…」
―“オモテ感”ね(笑)。
「凄く新鮮ですね。ライヴ後、こんなにお客さんと話すの?…って」
―ほぼ同じメンバーでやってるのにインビシともまた全然違うしね。
「そう、そうなんですね(笑)。おかげさまでソロの認知もしてくださってますし…お互い刺激し合えればなあとは、常に思ってます。けっこうHEREは、自由に叩かしてくれるんで(笑)、いろいろ、メチャクチャなフィルとかをぶっこんでますけど(笑)」
―元々ポップな曲をやってるんだけど、宮野さんの時からドラムはけっこう暴れてるから。
「そうなんですよね。ツーバスも入るし」
―インビシブルマンズデスベッドを初めて観たのが2005年ぐらいだけど、要はリズム・セクションだなと思った。前で二人暴れてるけど(笑)、リズム・セクションが肝だと。
「西井さんと宮野さんにはシビレましたよね。なんていいフレーズ弾くんだみたいな」
―宮野さんのドラムも、速いのに重かったし…。
「うん、うん、わかります!」
―また西井くんがメンバー中一番イケメンなのに目から殺人光線が出てる(笑)。
「(笑)凄いバンドでしたね、ホント。アレは凄かった」
―HEREもリズム・セクションがまるっとサポート・メンバーになってしまった…。
「壱くん(HEREサポート・ベーシスト)もゆーのってバンドで相当アヴァンギャルドなサウンド出してるし。メインストリームなフロント3人に対して、独自の美学を持ってるリズム・セクション二人っていうのが、バランス的には面白いと思うんですよね。支えるけど、支えるとは違う色も持ってるような、印象を持ってます。それはいいバランスだなと感じます」
―サポートっていうか、まあ固定メンバーみたいなんだけど。
「そうですね。やるからには、そういう気持ちでやってます」

―ちなみに、ぶっちゃけ渡航費とか活動費とか…生活はどうしてるの?
「自分は、いろんな仕事を総合して毎月ギリギリ何とか、だましだまし生きてる感じです(笑)。ありがたいことに…。今サポートが他に、NECRONOMIDOLっていうアイドルちゃんもやっててですね」
―はいはい。
「そこらへんの仕事で。あとは海外遠征とかありますから。それと、もちろんHEREもあるし。その間に、レコーディングの仕事だったりとか…ライヴの仕事は最近減ったな」
―基本ドラムで食べてる?
「そうですね、一応そういうことに」
―すげえ!
「ジョン・ボーナムの墓参りに行く時に、バイト辞めたんで。そろそろ4年目ぐらいです」
―プロフェッショナルだ!
「いやいや(笑)。…プロフェッショナルで食ってるのと、演奏技術と音楽が素晴らしいのとは、ホント別ですよね。ホントに最近それは思って。やっぱり僕は、アンダーグラウンド好きだし。別にアンダーグラウンドだから食えてないって意味じゃないんですけど。それこそTERROR SQUADとかDEEPCOUNTとか…こんな完璧な音楽ないなと思うんですけど、世間的には売れてない。つくづくそこは感じながら…感じるからこそ、自分を戒めるというか。偏っちゃいけねえなと思って」

―ユージくんの今後目指すところは?
「ドラマー版スクエアプッシャー(笑)」
―ブレないなあ(笑)。
「そこしかないですね。彼がやってることって、激ヤバトラック作って、ベース弾きまくるってことだったんで。で、客をノックアウトするってことだったんで。自分も同じッスね。曲作って、ドラム叩きまくって、お客さんを圧倒するっつう。…っていうのが、ズバリ目標ですね、はい。あとは…もうちょっとちゃんと仕事取りたい(笑)。ライヴハウスで活動始めたのも、ストリートの飽和を感じたところもある。いつまでもストリートに頼りたくはないし。(路上ライヴは)ライフワークとしてやってくつもりだし、今後もUKでの路上ライヴはずっとやるんですけど、メインストリームにするにはちょっと飽和してるんで。そういう意味でも、今後の自分の活動を経て新しい仕事を、もっと得られればな、という風には思ってますね」





(2025.5.5.改訂)

ユージ・レルレ・カワグチ:インタヴュー(前編)

画像10代からROSEROSE他で活躍し、現在はHEREやNECRONOMIDOLのサポートでも知られるドラマー、ユージ・レルレ・カワグチ。
このブログでは彼が参加したhighenaやANOTHER DIMENSION、そしてソロ・プロジェクト#stdrumsの2ndアルバムを紹介したが。
5月3日に#stdrumsとしての新作「Fusion Punk Machine EP」(画像)がリリースされた。
タイトル通り、ジャズ・ロック/フュージョンの緻密さと手数(特に手数)を、パンクの勢いで聴かせる3曲。
そこで多面体な活動を展開するユージに改めて話を聞いてみた。
以下、独占インタヴュー前編。


―ミドルネームの“レルレ”っていうのは何処から来てるの?
「“レルレ”は…元々は、中学生ぐらいの頃に…15、6年前、まだインターネット黎明期、ウィンドウズ98でインターネットが流行り始めて。中学校にパソコンがあったんで…」
―ほう。
「それをきっかけにインターネット始めるんですけど。今となってはFacebookとかで本名出しますが、当時は“ハンドルネーム”ってのがあって。ハンドルネームが必要だってなった。それで…“レルレ”で行こう、と」
―なんで“レルレ”?
「音の感じですね。あと、当時流行ったカードゲームのキャラクターの名前をもじって。じゃあレルレでって、そこから。実はHPってもう10年以上やってて。ドメイン取って長いんですけど、アレもrerure.comですしね。まあ、どうせ高校生ぐらいになったら、レルレって名前は使わないだろうと思ってたら、意外に大学生の頃にも、先輩からレルレと呼ばれて。名前が死ななかったので(笑)、今まで引きずってる感じです」
―パソコンが中学にあるって、世代が違うな(苦笑)。
「掲示板とチャットが流行ってました(笑)」

―ドラムはいつ頃から始めたんですか?
「ドラムは…触ったのが、小学校4年生ですか。小学校に、ドラムが…音楽室に。で、ちっと触ってみよう、みたいな感じで、ちょっと触って、スパンがあって。小学校6年の時に、卒業コンサートみたいなのがあるんですけど、アレで1曲叩いて。中学校の頃に、今度は3年生を送る会みたいな。そこでもっかいやった時に面白くなったんです」
―じゃあ本格的には中学生から。
「中学生かな。小学校の頃は、手足バラバラを覚えたぐらいで。それが出来る状態でドラムをもっかい触ったから。コレは、面白いなあ…そこから、お昼休みはソッコーでお弁当食べて、すぐ音楽室に行って、叩いてましたね。そういう毎日を繰り返してた気がします」

―ちなみに、影響を受けたドラマーは?
「きっかけは、L’Arc~en~CielとかGLAYとか。あと、親父が好きだったんで桑田佳祐のソロ(笑)…は、凄くよく聴いてましたね。で、一応DEEP PURPLEとBON JOVIくらいは聴いて、高校入った時に軽音の先輩からMETALLICA借りて」
―はい。
「「川口くん、メタルって知ってるかい?」「いや、ちっとよくわかんないッスねえ」…そこで、最も影響受けたのはラーズ・ウルリッヒ(METALLICA)だったんで。それからはもうラーズ一辺倒で、高校生の頃は、過ごしました。で、そのあとLED ZEPPELINに出会って。そこからもう、ジョン・ボーナムが神のような存在に(笑)。でも実は、プレイ的に影響受けたのって、多分MEGADETHのニック・メンザじゃないかって」
―ああ…。
「当時、METALLICA知ってメタルにハマった後に、MEGADETH聴いて。MEGADETHの曲めちゃくちゃ練習してた。テクニカルなモノが多いので。多分プレイの根幹にあるのが、実はニック・メンザ(笑)。僕はいつも、その3人を挙げますね。お父さんがラーズで、神がジョン・ボーナムで、先生がニック・メンザ(笑)。そういう感じです」
―死んだよね、ニック・メンザ。
「亡くなりましたよね。2~3年前です」

―俺がユージくんを知ったのは、ROSEROSEのドラマーとしてだったんだけど。
「そうですね」
―ROSEROSE以前に、リリースのあるようなバンドってやってたの?
「自主では、1個やってて。HELLFIREって。僕が入る前、ピエール中野さん(凛として時雨)が叩いてたらしいんです」
―えっ。
「まさかの(笑)」
―そうなの?
「まだ時雨もインビシ(インビシブルマンズデスベッド)とかとよく対バンしてた頃…で、「一瞬叩いてもらったことあったんだよね」みたいな。で、そのバンド(HELLFIRE)、GAMMA RAYみたいなバンド…ジャーマン・メタル系のバンドで、1枚自主でアルバム出しましたね。CD-Rで。で、OUTBURSTとか、アナトラ(穴虎69)とか、APOLOGISTとか、そういうライヴにいろいろ行くようになったんですね。で、URGAでROSEROSEを観て」
―ROSEROSEって結局何年ぐらいいたんだっけ?
「5~6年、ですね。某メジャーバンドに、僕入ったんですけど、そのバンドに入る時に…メジャーでやるってのもあって、他のバンドを辞めてくれって言われちゃったんです」
―ああ、なるほど。
「まあ、メジャーっていうモノを経験してみたかったんで。メンバーに相談してみたら、OK出してくれて。温かく送ってくれた感じでしたね」
―その前後にもいろいろバンドに参加したり…。
「INSECT MUCUSってバンドか。いわゆるブルデスってやつですね。女性ヴォーカルブルデスみたいな感じで。JURASSIC JADEと韓国とか行きました」
―へえ!
「当時は…高校生の頃は、INSECT MUCUSとROSEROSEの2本でやってました。あとは、今やってるANOTHER DIMENSIONってバンド。僕が初めてROSEROSEで企画やった時に、SHELTERでTERROR SQUAD呼んで。その時にギターのノケン(ノナカケンジ:INTESTINE BAALISM)がライヴ来てくれてて、そのあと、「ANOTHER DIMENSIONってバンドやりたいんだけど、ドラム探してんだよね」って言われてて。始動はしてなかったんですが、その頃からANOTHER DIMENSIONの話はあった」

―ANOTHER DIMENSIONって凄い長いよね?
「長いですね。動いちゃないんですけど(苦笑)」
―存在としてはずっとあり続けてて、活動ほぼしてないみたいな。
「その通りです」
―結局、立ち上がってからアルバム出すまでに20年近くかかって…。
「らしいですね。ノケンが、高校生の頃に…1stアルバムに入ってる曲って、全部彼が10代の時に出来た曲らしいんですよね」
―すげえなあ。
「曲は持っといて、ずっとやってなかった(笑)」
―ゴリゴリの北欧メロデス。
「そうですね(笑)」
―アレはびっくりした。
「ゴリッゴリですね(笑)。でもヴォーカルがウダさん(宇田川浩一:TERROR SQUAD)だから、イイ具合にジャパコアな感じもあるし。バランス凄いイイですね。独特で」
―アレは聴いてびっくりしたもん。
「そうですね。この時代にやっちゃう?(笑)みたいな」
―慟哭のリードギター…。
「風が吹きますからね(笑)」

―西井くん(西井慶太:インビシブルマンズデスベッドのベーシスト)と“まずいやつら”始めたのは?
「アレは、ちょうどメジャー辞めるってなって、じゃあ新しいバンド組みたいなあって思った時に…西井さんとは、当時何度かスタジオに入って。具体的な結成は、何だっけなあ?…バンドやりたいって話になった時に、じゃあベーシストでイケてる人っていったら西井さんだろ、って僕の中であって。その時にちょうど…いろんな人とセッションしてみようって、僕その時期だったから、いろんな人と会ってた中で、もう一人ベーシストがいて、「3人でバンドやっちゃえばいいんじゃね?」ってなったんですね(笑)。それでツインベースで」
―ベースとドラムの3人で。
「そうそう。面白いバンドですね」
―それにヴォーカルが入ってhighenaになったワケだ?
「その通りです。その時、もう一人のベースの西郷くん(西郷拓哉:元Dear DadA)の友達が、女性ヴォーカルの文菜ちゃんっていうんですけど。まずいやつらと並行して、彼がギターを持って、ポストロックみたいなバンドをやってみようって。…ってなったのがhighenaのきっかけだったんですけど。最終的には、まずいやつらってのはシンガーがいなかったから。歌の面とかの話もあって、じゃあもうhighena一本でいいんじゃないかって。そういう風になって、活動してましたね」
―続かなかったね。
「続かなかったッスねー…」
―予感はあったんだけど。
「ああ~…」
―ヴォーカルの子がソロでも活動してるっていうんで、ソロ志向の子がバンドと一緒にやってても、ひょっとしたら続かないかもなってのは思ってた。
「なるほど」
―西井くんも同じこと思ってたみたい。
「曲は凄く好きで、やりたいバンドだったんですけど。まあ、言うならば、みんな若かったなっていう。僕もメジャー辞めて、凄いモチベーションが高かったんで。高過ぎて、他の人を置いてってしまった感じが、あったような気がしますね」
―ポストロックっていうか、ギターポップ寄りの凄くデリケイトな音楽に…だけどドラムは叩きまくっている(笑)。
「そうなんですよ。面白かった」
―かなり稀有な音楽性のバンドだったと思うんだけど。
「いろんな曲をカヴァーしようとか、いろいろ作戦を立ててやろうとしてましたね。曲は好きだったから、何かのタイミングでまたやれたら嬉しいですけどね」

―その間に自分のプロジェクトが進行してたワケですけど。
「そうです、その通りです、まさにそのタイミングです」
―ちなみに、(プロジェクト名の#stdrums)何て読むのコレ?
「グッドクェスチョンなんですけど…一応、字面としては、“ハッシュタグエスティードラムス”なんですけど、あくまで僕のソロ・プロジェクトなんで、“名前を名前にしたくなかった”んです。#とsとtとdとrとuとmとsがあるという、文字面でしかないんで。読み方も人に決めてほしい」
―(笑)
「意味を持たせたくなかった。一応、僕が言葉で発する時は“エスティードラムス”なんですけど。その…思いのままにどうぞっていう(笑)」
―“シャープストドラムス”とか“ナンバーストドラムス”とか…。
「そういう感じが好きです(笑)。WEHRMACHTの読み方がわかんないとか、そういう話ですよね(笑)」
―(笑)
「なんなんだろうって(笑)。…文字でしかない」
―そうか(笑)。発声する時には最初の#がないんだ?
「なくていいかなと思ってますね(笑)。仮に、ブログかなんかで、#stdrumsよかったってなったら、それが自動的にハッシュタグ化するっていう、狙いがあるんです」
―コレは元々、路上演奏ソロのことだったワケ?
「おっしゃる通りです。活動のきっかけは…ドラムってメトロノームで練習するんですけど、もっと面白い練習方法ないかなって探してた時に、iPhone使ってたら、ガレージバンドって作曲ソフトがあって。ループ音源がいっぱい入ってるんですよね」
―ほう。
「なんで、このループ音源使って練習しようと思って、練習してたんです。一方その頃、ジョン・ボーナムの墓参りに行かなきゃとずっと思ってたから。4年前…2014年の4月に、初めてイギリス行って、無事に墓参り出来るんですが、その時に、いろんな路上パフォーマンスを観て。その頃って、日本だと弾き語りしかなかったから。向こうだと、音楽だけじゃないです。いわゆるバスキング、路上パフォーマンスですね。ギターだけじゃないんです」
―はい。
「それを見て、感化されて。ジョン・ボーナムが生まれた、ブリティッシュ・ロックの土地で、俺もビート出したいな…その時に、さっき言ってたガレージバンドで作ったルーパーで、ドラム叩きゃいいんじゃない?…ってところにつながって。そこから、日本で練習って意味も含めて、ストリートで活動する、と」
―パフォーマンス兼プラクティス。
「そういうことです。最初の最初はそうですね」
―始めたのはhighenaが終わってからの2014年とか、それぐらい。
「奇しくも、タイミング的に、highenaがなくなっちゃって。結果的にソロだけが残った状態だったんですよね、あの時って。もしhighenaがずっと続いていたら、ソロに入れ込んでなかったでしょうね」

―スーツケースがドラムセットになるって、あのアイディアは何処から?
「アレは…元々#stdrumsは、カホンに座って、逆さにペダルを置いてですね、かかとで踏む状態だったんです。海外行った時に、もう一発荷物軽くしたいなと思ったんです。スーツケースにカホン入れて、移動してたんで。「なんか箱状のモノで、鳴るモノはねえかな?」…スーツケースそのものを、叩いてみよう。そしたら、鳴ったから。「コレじゃん!」ってなったんです」
―(笑)
「あの時ほど、俺は天才だなと思ったことはなかったんですけど、YouTubeで調べたら世界各国でやってて(笑)」
―そうなんだ?
「僕だけのアイディアじゃなかった。「なんだ俺だけのアイディアじゃなかったのか!」と思ったんスけど(苦笑)」
―いるんだ?
「いますいます、全然います。日本だと、なんとかってヒップホップのバックバンドの方がスーツケース・ドラムらしいんですよ。日本でもいるみたい」
―スーツケース持ってったら、何処でも演奏できる…。
「そうです。それがストリートでの#stdrumsのテーマなんで。何処でもダンスフロアになる」
―実際にスーツケースをドラムに仕立てるっていうのは、自分で作った?
「自分で作りました」
―器用だねえ。
「そういうの好きで(笑)。試行錯誤の繰り返しですね」

―何か国ぐらいやりました?
「基本的に僕が行くのって、イギリスなんで。でも、おととしの夏に、ヨーロッパをぐるっと、バスキングで仲間と廻ろうってイヴェントがあったから。その時に、スペインから始まって、スイス…モントリオール・ジャズ・フェスティヴァル、の入り口で」
―入り口で(笑)。
「(笑)…で、チェコ行って、プラハで。そのプラハの時、ちょうどOBSCENE EXTREMEだったんですよ」
―?
「チェコのグラインドコアの祭典。で、ちょうどDEATH SIDE出てて。僕DEATH SIDEのTシャツ着てたから」
―(笑)
「(客に)話しかけられて。「お前行ったのか!」「何の話だ!」(笑)…あ、昨日(DEATH SIDEが)来てたんだ…わかってれば行きましたね(笑)。で、チェコ行って、ドイツ行って。ミュンヘンとベルリン行きました。で、イタリア行って。ミラノ。で、パリに行く途中に、シャモニーで車がトラブって。動けなくなって、シャモニーでそのまま演奏して。車の修理代を稼いで、イギリスでゴールする。だから、6~7か国ぐらいはやってますね」
―YouTubeで、ロンドンの地下鉄でやったライヴが観られるけど。アレなんかも、ただ地下鉄の中にガーッと入って?
「その通りです(笑)。やっぱ、ギャグが効くからいいッスね(笑)、向こうの国は。面白いじゃんガハハって」
―それで済んじゃう?
「アレも数年前で、路上ライヴ凄いやりやすかった時代だったから、今はわかんないけど。当時は済みましたね。片付けてたらアンコールッスから(笑)。もう映像撮ったから片付けようと思ってたら、もっとやれみたいな(笑)」
―日本では却って難しいです?
「日本は難しいでしょうねえ。ギャグ通じないから(苦笑)」
―日本はあんまりやってないの?
「いや、やってますけど、最近回数はどんどん減ってます。当時は、凄いやりやすかったから。他にやる奴らがいなかったんですね。渋谷のTSUTAYAの前とか行っても大体僕だけだったし。新宿も同じく。ホントこの数年で、路上ライヴ流行りましたよね。弾き語りだけじゃなくて、凄いジャンルも増えたし。ただおかげで、モラルの低下も凄い見えますね。ちょっと疲れちゃったかなっていう(苦笑)」
―日本国内だと完奏出来ないことも多そうな気が。
「そうですね。一瞬で止められる時もあるし。日本の場合は凄いグレーゾーンのままなんで。海外だと、即罰金になったりするから。「ハイハイ、ハイお金」って感じのところもあるんで。そういう意味では、もしかしたら日本の方が結果的にはやりやすいのかも?…まあどっこいどっこいですね。僕は、海外の方が好きですけど」


以下、後編に続く。


(2025.5.5.改訂)

山下ユタカ・インタヴュー(その3)

DISTORTIONZ 扉.jpg 山下ユタカへのインタヴュー、第3回、最終回です。
 2010年夏に『ガガガガ』が完結してから、12年9月に「ヤングキング」掲載作「DISTORTIONZ」で再びファンの前に作品を届けるまでの七転八倒(本人曰く“六十八転六十九倒”)。ここでも一部伏せ字が意味を成してない部分があるが…。









―…雑誌に載ってない間も、“漫画の先生”みたいなのやってたんでしょ?
「アレも、ひっでえハナシだったんだよ(苦笑)。“○○○○○スクールズ”な。でももう、インタビューの内容が、恨みつらみで終始しちゃうからさ(笑)。その件はいつか完全復活したら、漫画のネタに使うよ。…チキショウ、忘れてねーからな! ○○○○○スクールズ!!…って云うコトで(笑)」
―…その辺で、俺とか高畠さん(註:高畠正人氏。フリーライター/フォトグラファー。このブログでよく取り上げているバンド・HEREとの仕事などで知られる)とかが動き出して、そこからC誌の編集さんとかに顔がつながって行って。
「そう、C誌とYC誌な。…バタケさん(=高畠氏のこと)に紹介してもらって。それで…なんとかB誌に行ったワケよ」

―『R』(註:B誌で掲載予定とされる作品。現時点で版元から公表されていないため、作品タイトルは仮の表記としています)のネームを切り始めたのって、2010年の後半だよね?
「そんぐらいだよ。それで、やっぱりC誌ぢゃ無理だ、と。コレは青年誌向けだな、って言われて。じゃあ…って、B誌に」
―2011年夏くらいに、B誌で採用ということに?
「違うよ、震災前だよ。2011年の、2月ぐらいから描き始めてる。ネームが通ったから、原稿料が発生するよ、ってハナシになったのが、震災前。で、それから152ページ描いて」
―5話まで描いたって聞いたのが、11月だったな。
「で、その頃に、いきなり言われたんだけど。5話目の頃に…B誌の編集長氏曰く、「ウチの作家は、みんな他でも描いてるから、ウチのだけで食うのは難しいぞ」と。「いやいや、待って下さい、僕は、月に1本、24ページ描いてれば全然食えるから、コレでやりたいんですけど」「そんなコト言われてもな、いつ始まるかわかんねえからよ」…だから、「じゃあ僕、どうすればいいんですか」「バイトでもすれば?」って(苦笑)。で、「わかりました、6話目描いたらバイトします」つって。…そんで、そっから600ページのネーム描いて。拾われたのはヤンキンの36ページだけだけど(苦笑)。でも…(B誌で)原稿料貰ってるからな。額面上190万近く貰って、152ページ描いて、それ載せなかったら…経理が、黙ってないと思うんだけどなあ。…誰か、悪い魔法使いが半蔵門のビルに閉じ込めたオイラのお姫様(=原稿の意)、救い出してくれねーかな…絶対面白い自信あるんだけど」

―『R』の執筆中に、例の逮捕事件があったよね。
「ああ!…JR事件な」
―JRじゃなくて、コンビニ。
「ああ!…もう忘れてたわ(笑)」
―それが…。
「この間だよね…。ああ…」
(以下、ヤバ過ぎるのでこの件は割愛させていただきます。ちなみに、コンビニ強盗とかそういう話では一切ありません)
―…そんなこんなで、6話分入稿しても、本に載らないまま2012年になっちゃって。で、2月に、「サイゾー」にインタヴューが掲載されて。
「アレは、バタケさんがね(手配してくれて)」
(註:サイゾー2012年3・4月合併号にて鈴木長月氏による山下ユタカへのインタヴューが掲載されている)
―この頃、「DISTORTIONZ」とかのネームを、ガンガン切ってた頃だよね。
「そう、バリバリ描いてた。同時に3~4本のハナシを、都合600ページぐらい描いてた」
―ところが、それもなかなか通らず。
「通らねかったなあ…」

―結局…「DISTORTIONZ」は7回ネーム直したっていうのは、俺も知ってるけど。
「言っときたいのは…まず、雑誌によってまったく言うコトが変わるっていうコト」
―どういう?
「例えば…S誌では「こうやってくれ」って言ったコトが、別の某誌ではまずダメだった。イチバン俺が、ホント参っちゃったのは…編集と散々話して、「こうして下さい、こうして下さい」「わかりました、わかりました」で、直して…編集長に見せたら「こうした方がいい」って云うのが…俺が最初に言ってたコトで(苦笑)。「最初に編集長に会わせろよ!」って云う(笑)。「いや、無駄にはならないッス!」って云うけど…いやいやいや、無駄だよ!(苦笑)…無駄だよ今までの2ヵ月が(笑)。俺の最初のアイディアで良かったんじゃん、って云う(苦笑)。…ネームって、俺、切り貼りするから。みんなそうだと思うんだけんど。もう、最初の状態がわかんないのよ(苦笑)。いちいちコピーとるほどマメじゃねえから。最初どうだったっけ?…って云う(笑)。今更わからんよ、って(苦笑)。それはホントに…いろんな漫画家が思ってんぢゃねえかな。あと、S誌に言われたのは…コレはサイゾーでも言ったけどさ、「そのリアリティは要らない」って。…俺が、イチバン言いたいコトはね、描きたい漫画が…小説でもイイと思うけど、ホントに書きたいコトがある人が、書けない時代になってる。つまり、(伝えたい中身云々以前に)“漫画家になりたい”人が、漫画家になるし、“小説家って云う肩書が欲しい”人が、小説家になってく…書きたいモノがあるんだ、って云う人が…まあ俺の力不足なのかも知んないけど、俺の描きたいモノが…ああ云うモノが受け入れられなくなってきてる」
―出版不況って言われてからもう長いんで、昔とはっきり違うのは、そこらへんで、余裕が凄く…。
「ないし…」
―そこらへん、育てていくとか、実験するとかいう余地が、今の出版業界全体に、なくなってる感じ。
「うん。おっちゃん、俺のネーム、ちょこちょこ見てるけど…面白いだろ?」
―面白いねえ。
「なあ?…でも、ダメらしい」

―…業界全体、厳しくなってるよね。萌え萌えの漫画があって、それを置いて山下ユタカの漫画を載せるとして、果たして自分とこの雑誌が売れるのかどうか。そこの判断が、保守化してるというか。
「売れるか売れねえのかって云うのは…」
―そこはまあ、誰にもわかんないよね(苦笑)。
「載っけてみないとわかんないよね。載せてすら貰えないって云うコトは、俺に、作家としての力量が全然足らんのか、或いは人間的に問題があるのか?(苦笑)」
―人間的に問題あるのは、承知の上だけどね(笑)。
「でも、大体漫画家ってこんなモンだろ?」
―いや、ここまで無頼な感じの人は…。
「おかし過ぎるか(苦笑)」
―今の漫画家にはそんなにいないんじゃないかな。
「小説家とか、いっぱいいるじゃん、元ヤクザとか…」

―まあ、そんなこんながいろいろありまして(笑)、5月にヤングキング通ったって連絡があって。そこから怒涛の執筆に入ったワケだよね。その間に、JRの駅でどうたらこうたら、ってのがあったワケだけど。
「前科が増えるトコだった(苦笑)。…コレも長くなるし、いつかネタにするよ。ひとつだけこの事件に関して言えるコトは、JRの駅員に対する暴力が社会問題化してるっつーNHKの特集番組観たんだけど、イヤイヤイヤ、駅員にもとんっっでもねえヤツ結構いるぞ!!…それと検察!…ヤツらの狼藉もいつか必ず描いてやるー!!…とまあ、そんなトコですな。作品になったトキは請う御期待(笑)」

―で、「DISTORTIONZ」が本に載る前に、大工仕事に入ったんだっけ?
「8月1日から。原稿上げたのが7月29日ぐらい」
―で、9月に、ヤングキングに載ったワケですけど。
「で、そのあとに、A誌で…」
―あ、その話。
「うん、そのハナシ。なるべく簡潔にね(笑)。…要約するとね、さっきの500~600ページのネームにも含まれているんだけど、極力編集さんの指摘を受け入れ…半ば言う通りに描いて、何度も手直ししたモノを、A誌の編集長曰く「絵がダメ」…だって。もう手直しの余地ナシ。こんなにボツになると、もうストーリー出てこないよ(苦笑)。多分、“心が折れる”とか、“心が折れそう”とかで辞書ひいたら、俺が載ってるよ(笑)。…っつうぐらい、今、心が折れかかってる。…絵がダメって言われたのは、初めてだからな」

―そこで…今後の話なんだけど。今後、ハッチが漫画家として活動していく上でさ。ハッチが大事にしている“作家性”ってのが、あるワケだよね。
「作家性って言っちゃうと、ちょっと恥ずかしいけど…。描きたいモノがあるってコトだよ、それは、つまり」
―夏から現場に戻って…改めて、自分の天職は型枠大工じゃなくて漫画家だ、みたいな意識が、明らかになったのは…こっちからも見てとれて。
「だなー」
―この先…“作家性”をとるのか、それとも“漫画家として食べていくこと”をまず優先するのか、という。
「…わかんねえけど、俺は多分、絵が描きたいんだろうな。…漫画じゃねえ方法も、探すかも知れないな」
―みんなそうなっちゃうんだよな…ななし乃与太郎も、今じゃイラストレーターだし。
「漫画で、食いてえけどさ。載っけてくんねえんだからしょうがねえじゃん(苦笑)。俺が萌え萌え描けるワケねえじゃん(笑)」
―それなんだよ。何処まで譲歩出来るのかっていう。極端な話、山下ユタカのラブコメとかは、アリなのかという。…俺はアリだと思ってるんだけど。
「「DISTORTIONZ」、アレが続けば、ラブコメになるよ!(笑)」
―動物モノの漫画とか、コンビニに売ってるような実録系の漫画とか。
「N誌(実話系雑誌)の話が、一時期あったんだけど…今ならやるよ、うん。…すげえ怖い絵描いてやる(笑)」

―…ファンとしては、山下ユタカが考えた話を山下ユタカが描いた絵で読みたい、っていうのはやまやまなんだけど、最悪、山下ユタカの絵が見られるんなら、“請け負い漫画”とか、ああいうのもアリだと。
「このまま型枠大工になるぐらいだったら?(笑)」
―うん。少なくとも、そう思ってるファンもたくさんいると思うんだ。
「う~ん…現場には帰りたくねえなあ。たまに行く分にはEんだけどな、すっきりして(笑)。アレを毎日は…俺はホント絵が描きてえ」
―ただ…切羽詰ってるよな、正直言って。
「うん…勝負に出たけど、負けたってコトだよな」
―それはまだわかんないだろ。…とりあえず、少なからぬファンが次の展開を期待しているし。コレで終わってもらうワケには。…このインタヴューはブログに載せるんで、ブログを読んでる皆様に、一言あれば、何か。
「世が世ならもうすぐ寿命な俺だけど(笑)、“同調圧力”や“感謝暴力”に抗い続ける漫画がもっと増えたってEぢゃないか~!…なんちて(笑)。ああ…オンナ抱きたい…」
―今のがシメの一言かよ(苦笑)。
「冗談(笑)。仕事選ばないので、どなたか僕に絵を描かせて下さ~い!」


 …御覧の通り、今回のインタヴューでは山下ユタカの歩みと暮らしを追い、作品解題や“作家性”の中身には踏み込んでいません。そこらへんを訊きたい、という人は、是非御自身で訊いてみてください。ライヴ観に行って打ち上げで一緒に飲んで仲良くすれば、多分何でも話してくれると思います。意外なほどに人当たりよく、フランクな男ですよ。
 さて…山下ユタカの明日はどっちだ。


追記:
600ページのネームを切って、採用されたのがそのうちの36ページ。
正直「そりゃつまり才能ないんだよ、諦めれば?」という声があっても不思議ではない。
それが、山下ユタカでなければ、の話だが。
『ノイローゼ・ダンシング』や『ガガガガ』にシビレた人間であれば、そんなことは思いもしないだろう。
一方で、久々に発表された「DISTORTIONZ」が、かつての名作に迫る出来でなかったことも、多くの人が認めると思う。
俺を含め、「こんなもんじゃない」という声の多さがそれを物語っている。
600ページのネームを切った事実で、山下ユタカが今も真摯に漫画に向かい続けていることは理解していただけると思う。
しかし担当編集者を飛び越えて編集長(最終的に掲載の権限を持っている人間)を唸らせるモノを描き、作品を世に出さなければ…はっきり言って意味がない。
これまで「ヤンキンにアンケートを送って山下ユタカをプッシュしよう!」と言ってきた。
もっとも、一番重要なのは山下ユタカ本人のアクションだ。
ネーム通らないからといって心が折れてる場合じゃない、のは確かだ。
彼自身にまだ甘さがあるのは否定出来ないと思う。
漫画家でやって行こうと本気で思うなら、まだまだあの手この手で粘ってもらわないと。
その上でなお、俺はファンの皆様の応援を願っています。
批判のブログも、三行半の形をとったラヴレターだったと俺は思う。
アンケート、手紙、ブログ、ツイッター…俺はここで書くという形でやってるけど、誰もが自分の形でやっていただければと。

(2012.11.5.)


追記2:
このインタヴューから11年。
「コミックビーム」での『ラチェット・シティ』の連載と単行本発売があり、パチスロ誌での読み切りやクラウドファンディング、ネットでの連載と打ち切りがあり。
そして2023年、「スペリオール」で久々の紙媒体復活。
山下ユタカの物語は、いまだ終わってはいない。

(2023.10.12.)

山下ユタカ・インタヴュー(その2)

ガガガガ 4巻.jpg 山下ユタカへのインタヴュー、第2回です。いよいよ、『ガガガガ』執筆開始から終了までの、10年以上に及ぶ日々についてぶっちゃける。
 …以下の話をどのように捉えるかは、ココを御覧の皆様にお任せします。個人的には、K談社(ってか、伏せ字意味ねー!)サイドに取材して、関係者(つまり編集部)側からの視点も明らかにして検証したいところなんだが…それは不可能だろうな。
 ちなみに、以下のインタヴューでは話の内容上、激する部分が非常に多いものの、(ライヴハウスとかで本人に会った人はわかると思うけど)山下ユタカというのは、抱きがちなイメージに反して普段は非常に紳士的で、愛らしい男である、というコトをお断りしておきましょう。


―話を続けると、『ノイローゼ・ダンシング』で初めてまとまった連載をやって、次の「南進するレクイエム」(1999年)から『ガガガガ』までに約2年あいてるけど、その間は?
「描き貯めてたんだよ」
―『ガガガガ』を。
「1999年から俺、描いてたから」
―「南進するレクイエム」のあとはずっと『ガガガガ』を描いてたワケだ?
「ヤンマガの誌面が空かなかったんだよ」
―B誌と同じような事情だ。
「そうそう。でも、原稿料はくれっから、描いて…」
―結婚したのは、『ガガガガ』連載開始前後?
「もっと後。(結婚前に)1年半くらいは付き合ってたから。その前にも彼女いたから。その彼女と別れて、よし、もっとイイ女捕まえよう、って言ってたら、ホントにもっとイイ女捕まえちゃって(笑)。すげえかわいかったよ…(溜息)」

―…で、2001年にヤングマガジンで『ガガガガ』連載開始…。
「描き始めたのは、ホント20世紀だよ。だから、ガガガSPとか出てきたトキ、すげえムカついたもん(笑)。あと、園子温の『東京ガガガ』ってのが先にあったけど、それはまあそれとして(笑)。…(『ガガガガ』のタイトルは)RCから取ってるじゃん、ガッガッガッガッ、って。俺が(ガガガSPとかの)真似したと思われてんじゃねえかなって。そう云うファンレターもあったからな(苦笑)。「ガガガSPと付き合いのある方ですか?」みたいのがさ…つっても俺も、タイトルは(自身のオリジナルなアイディアではなく、他から)頂いてるんだけども(苦笑)」
―それで連載始まったんだけど、2002年の年明け早々に連載が中断したよね。
「編集の都合。描き貯め分にページが追い付いたってのもあったんだけど。そんトキに、編集が…俺はこのままヤンマガでやりたかったんだけど、アフタヌーンに移るって云うから。異動があったって云うから。「俺と一緒に行きませんか」って言うから。嫌だったけど(苦笑)…まあ、イイよ、何処でも、って」

―でも、アフタヌーンで連載再開するまでに、それから3年空いてるよね?
「そのハナシをすると長くなるよ。いい?…そこんトコに、俺の“バッドラック・スパイラル”の根幹があるんだよ。最初の1年は、とにかく「単行本1冊分描いてくれ」…でないと始めらんねえからっつって。1年間、俺は描きました。1年間描いて、その間に結婚したんだ、俺」
―連載が中断になってる間に結婚したんだ?
「そう。で、アフタヌーンでやるって決まってっから…「とにかく単行本1冊分描いて下さい」と。単行本1冊分描いて…「じゃあお願いします」と。そしたら今度…2年目ね、「年間に、月20ページ以上、上げるようになって下さい」…「わかりました」と。結婚したし、カミさんも妊娠したんで。「やりましょう!」…って、実際クリアした。1年目は描き終わって、2年目も出した条件はクリアした。3年目…もうホントに、「もうすぐ生まれちゃうから、何とかお願いします、何とかお願いします!」…「いや、ページがないんですよ」って言ってて、その編集が担当の、他の新連載が始まったんだよ!…しかも他に前後編の読み切りも!!…3年目はもう、俺も子供が生まれちゃって。俺たちの商売って、印税がないと食えないじゃん。だから、「とにかく始めてくれ」って」
―じゃあその間は、基本的に原稿料…。
「だけ、で食ってた。もうカッツカツやん。カミさんにも、「ちょっと難しい、結婚生活が」って言われて。「お願いします、始めて下さい!」…って。「全部言ったコト、クリアしてるでしょ?」…って言って。で、「今ちょっと、ページがないんですよ」…って言ってたくせに、他の作家の作品2本も始めたんだよ!?…俺を3年ほったらかしといて!(苦笑)…で、3年目の中頃に、「この野郎!!」って、編集を家に呼び出して。「なんでオマエ、新連載始めて…ページあるんじぇねえかっ!」「すいませんでした。半年後に始めます」…その半年後に、カミさん出てったよ!(半泣き&半笑い)…始まったのは、(ヤングマガジンでの連載終了から)3年半後だぜ?…3年半、小学6年生が、高1になってるよ。誰も覚えてねえや、ンなモン!」

―2002年1月にヤングマガジンで連載が中断して、連載再開がアフタヌーンの2005年8月号だから、発売は7月だよね。
「ああ。3年半ね(苦笑)」
―その時はもう奥さん、出て行っちゃってた。
「出て行っちゃった。いねえよ!…カミさんも子供もいねえ。お金が…カネがねえからだよ!」
―はあぁ…(長い溜息)。
「そして!!(手に持っていた缶をテーブルに叩きつけ、中身がそこらじゅうに飛散する)あ、ゴメン(苦笑)。編集が…そのあとに、「やっと始まりました」…でも、今イチ人気がどうこう、「上手くないッス」…上手く行くワケねえだろ! 3年半も置いといて!…「オメエのせいだろ!」っつったら、あの…『ガガガガ』の、オデン屋のシーン(註:『ガガガガ』単行本3巻収録。アフタヌーン本誌では2006年前半に掲載された部分)あるじゃん、あそこで、「いきなり人気上がりました!」って。…その前の月に、俺は、「もう連載やめましょう」って、アイツから言われてんだ(苦笑)」
―あ、そうなの?
「(苦笑)言われてんだ。そのトキ、吉祥寺から西荻まで、「車で送って行きます」って云うのを、「要らねえ、オマエの車は!」って、歩いて帰って来た。俺はそっから、アイツには敬語使ってないんだ。「オマエ、イロイロ、酷いな!…“潰し屋”だな!」って。…それからもうグダグダやん。初版8000部だぜ?…1万部刷るっつって。そのトキ、カミさんに「1万部刷るから帰ってきてくれ」って言ったんだけど…フタ開けたら8000部で…」
―『ガガガガ』の2巻の話だよね?
「2巻が、8000部。1万部って聞いてたんだよ。単純計算で(印税が)80万近く入ってくるから…そしたら、70万も入って来ねえ。「なんで8000部なんだよ!」って言ったら、「いや、あんまり人気なくて…」って…「人気ねえのはテメエのせいだろう!!」って(興奮してテーブルや床を叩き始める)。「3年間俺はずっとオマエの言ってるコトをやって来たんだよ!!」…もうこんな感じッスよホント(苦笑)。…だから俺は、アイツを許せねえ」

―…(努めて冷静に)ともあれ、2006年春に『ガガガガ』2巻が発売されて。2007年春に、3巻が出たワケだよね。
「4000部だよ、ハハハハ(自嘲的な笑い)、4000部。…(印税が)50万も行かなかったね。どっかの同人誌の方がもっと部数あるよな(苦笑)」
―3巻が4000部。
「4000部って…「出す意味あんのかよ!」つったら、「いや、人気ないから…」って…そんで4巻に至っては3000部。で、なんやかんやオイシーコト、イロイロ言ってたけど、5巻は結局発刊すらしねえ。根性で全て伏線回収して、バタバタだったが終わらせたのにな…。まあ“了”を迎えられただけでもヨシとする?…俺はずっとやってたんだよ、アイツらの言うコトを。ドコのページがないんだ?! あん?!…ってハナシだよな。で、歯が3本潰れて、毛がゴッソリ抜けて、腸がひでえ悪化したよ。…今じゃ、ステロイド無しじゃ生きて行けねえからな(苦笑)。こっの…!」

―2007年夏に俺と知り合った時は、アフタヌーンで連載が続いてた時だったんだけど、それから半年も経たないうちだよね?…アフタヌーンでの連載が終了して。
「2回止まってるからね…2回殺されてるみてえなモンだよ(苦笑)」
―アフタヌーンで連載終了、ネット配信のアナウンスがあって、4巻が発売、っていうのが2007年の秋、ほぼ同時に。…で、実際にネット配信されたのが2年近く後。
「おっちゃんが、DOLLに載っけてくれて(註:DOLL2008年8月号にて、山下ユタカを紹介する記事を掲載)…同時期に載ったじゃん」
―「映画秘宝」に。
「映画秘宝で、インタビューがあったじゃんか(註:映画秘宝2008年8月号にて、大西祥平氏による山下ユタカへのインタヴュー掲載)。あんトキに、(ネット配信に)載せりゃイイのに、編集の判断で…あそこでやらねえから、結局また1年半だよ。携帯(配信が)始まるまで。あそこでやらなきゃいつやるんだ?…俺、バリバリ描いてたんだよ?…あ・り・と・あ・ら・ゆ・る・判断を、全部ミスってんだよ。イロイロ同情の余地があるイイワケも聞いたけど、俺は実際、潰されたからなあ…。1年半だ…「今やってくれ、今やってくれ!…ナンボでも描けるし、ナンボでも(ページ)あるだろ今」って…「いや、ちょっとタイミングが…」(苦笑)。…俺、ヤンマガから移って、1年に240ページ、ちゃんと描いてるからね?…すぐやりゃイイじゃねえかよ!…3年半置いといて、人気出るワケねえじゃん!…「売れれば作家の手柄、売れなかったら編集の責任です!」って“名言”吐いてましたよ…でも結局、責任とって奈落の底に落ちたのは、俺だけみたいだけどね。俺の一番の失敗は、編集の言うコトを馬鹿正直に信じちまったコトだな…あそこは“保身の城”だよホントに」

―結局、配信開始になったのは、2009年だよね。…その間、2008年に、初期3作のネット配信ってのもあったけど。
「それは、贖罪じゃねえの?…編集の。知らねえけど」
―あと、2009年には、「愛秘肉☆人形(アイニクドール)」っていう読み切りもあったワケだけど。
「アレは結構、カネにはなったから…」
―『ガガガガ』のスピンオフっていうのも、なかなか興味深い機会ではあったと思うんだよね。
「面白かった?」
―面白かったよ。…なんでいきなりアレを描く話になったの?
「…編集が、そうしろと。「それでちょっとお金を儲けましょう」って」
―思いっきりエロいの描いてやろうぜ、みたいな。
「全然エロくなかったけど(笑)。結局暴力的なハナシになっちゃったけど」

―あと、その前後に、『ドメスティック・バイオレンス』っていう本が出ていて(註:2009年3月)。まあ、山下ユタカがその中に描いてる、ってことを公表するのは1年以上経ってからだったんだけど。…アレはどういうきっかけで?
「アレは、元々、俺ちょっと、「週刊女性」で…イラスト描く仕事があった」
―それ、見てないなあ。
「ちょこちょこ載ってるよ、何本か。そんで、そんトキに…お化けモノとか、DVモノとかやってて。「実は俺も、ひどいDVの家庭だったんですよ…」って、ちょっと話したら、それを編集者が覚えてて。「今度DVの本を作るんですけど、山下さん、経験を描いてもらえないですか?」つって。初め断ったんだよ。…何故なら、辛いから(苦笑)。思い出すのがさ。だけど、まあイイ機会かな、と思って。すげえ簡単な絵でイイって云うから。ドキュメントものね。エッセイ漫画的な…エッセイじゃねえけど」
―でもアレはアレで、ちゃんとひとつの作品として出来上がってたよね。読んで泣いたっていう人もいるからね。
「俺は、一番苦しかったのは…編集のカミさんを筆頭に、「…で、何処まで(話を)作ったの?」って言われて(苦笑)。(事実のうち)10分の1も描いてねえっつうの…あんなモンぢゃねえよ(苦笑)。みんな結構幸せに暮らしてんだなあ、って思ったよ(笑)。…あんな簡単なモンぢゃなかったからな。もっと酷かった…。(子供時代に)1日たりとも、熟睡したコトねえからな。俺の頭がおかしくなるのも当然だろ(笑)。妹もおかしいよ、いまだに(苦笑)。…でも、まあ、イイ機会だったって云うか。…そんなトキ、同時期に親父が死んで。…なんか因縁めいたモノ感じたな、あんトキは。で、向こうの血縁から散々誹謗を受けて…人生でイチバンっつーくらいのイヤな思いをしましたよ、ハァ。ホント、体裁しか考えてないから、アイツら」

―…とりあえず、その頃に配信が再開されて、そのあとは『ガガガガ』の“最終章”をひたすら描き続けて。2010年の4月に最終話を脱稿して。それが配信されたのが6月から。夏には最終話までネット配信されて。その頃にK談社の「ネメシス」で小さいカットを描いて。…それがK談社での最後の仕事?
「最後の仕事になったね」
―アレから、K談社とは、接触がない?
「うん…向こうも来ねえし、俺も(話が)来たとこでやる気ねえし。…許さねえ、人の人生、滅茶苦茶にしやがって。漫画家にしたのも担当編集だけど、離婚の原因作ったのもアイツだからな。本人は、のほほ~んと…かっわいい子供連れて…(苦笑)」
―最大の問題だったのは、2回にわたる連載中断。
「そうだな。俺はそう思うよ。やってたんだから、こっちは(苦笑)。編集の都合だろ?…3年半も置いといたら、絶対売れねえよ!…『ワンピース』だって、3年半置いといたら、売り上げガタッと落ちるよ」
―(笑)確かに。…『ガガガガ』の場合は、1日の話を10年描いた、っていうのも、ひとつの話題性でもあるんだけど、途中に休載期間が2回挟まってるし。
「3年で終わるはずだったんだよ。もう一度言うけど、あの3年半で全部狂ったからね。あの3年半がなければ、こんなコトには多分なってねえよ。そう云うコトで言ったら、ヤングマガジンで人気が出なかった…俺のせいかも知れねえけど。でも、移すんだったらもっと責任持ってほしかったよな。3年半も置くなよ(苦笑)」

―ヤンマガで1巻分描いて、連載が終わった時点で、ぶっちゃけ人気がなかった?
「あんまりなかったらしい(苦笑)。…キワモンではあったから、受け取る(ヤンマガで担当を引き継ぐ)編集者もいなかったんだよ。それから…どっかで聞いたけど、他の編集部からのオファーとかも全部つっぱねてたらしいね、詳しくは知らんけど。それで、俺のコト“天才”とか言うんだったら…俺を潰したのはテメエだろう、って云う(苦笑)。なんで天才とか言えるの? どの口で言ってんの?…と思うよ。そう思わねえ?…おかしいか、俺の言ってるコトは?」
―いや…おかしくはないが。俺は編集さんの話も常々聞いてるから、複雑だな、っていう。
「向こうの言い分って、どんなんよ?」
―山下ユタカは天才、ってやっぱり今も言い続けてるし、出来ることならもう一度自分が担当して、もう一度上を目指したい、と。
「だから…アイツ、いまだに俺のコト潰してるじゃん、ってハナシだよ、俺から言わせれば。…仕事の1個も振らねえで、何言ってんだ、って云う。描かせろよ、じゃあ!…(2010年夏以降に)1回でもイイから、俺に仕事持ってきたか、ってハナシだよ」
―…じゃあ、連絡来たら話聞く?
「(即座に)聞かねえよ」
―ダメじゃん(苦笑)。
「(大声で)ダメじゃねえ!!…何度も言うけど、こんなにこじれる前に、なんでしねえんだよ?」
―…やり直す余地はないの?
「無いね。なんで、こんなにほっといて…そんなの、恋愛と一緒じゃんか? 別れて2年経って、「なあ、また俺とやり直さない?」って…知るかオマエなんか!(笑)こっちはこっちで頑張ってんだこの野郎、ってハナシじゃんか(苦笑)」


 …個人的には、連載中断(ぶっちゃけ打ち切り)を繰り返しながらも、その度に別の雑誌や別の媒体に舞台を用意して、どうにかこうにか『ガガガガ』最終話を世に出すところまで持って行った、そこに(このインタヴューではボロクソに言われているものの)担当編集氏の執念のようなモノを見るのだが。俺自身は、山下ユタカと当時の担当編集者は、もう一度話し合うべきだと、今でも思っている(まあ話し合ったからどうなるってもんでもないかもだけど)。
 今回の内容を、売れない漫画家の逆恨み、と感じる人も、多分いるのだろう(それはそれで仕方ないのかもしれない)。…一方で現実として、『ガガガガ』を描き続けた10年余りの間に、山下ユタカは貧窮し、妻子を失った。
 その後については、明日の晩にまた。


(2023.10.12.改訂)

山下ユタカ・インタヴュー(その1)

ノイローゼダンシング.jpg 昨日の今日でアレなんだが…山下ユタカへのインタヴュー。
 “ゲルチュチュのヴォーカリスト、ハッチ”としては以前にインタヴューを掲載したことがあった。
 今回は“漫画家・山下ユタカ”としてのインタヴューです(音楽活動に関しては以前のインタヴューを参照してください)。…伏せざるを得ない部分も多々あったけど、漫画家デビューから現在に至る悶絶(…)の日々を、存分に語ってもらいました。
 2012年10月9日に阿佐ヶ谷で行われたインタヴュー、3回にわたってお届けします。まずは第1回。ちばてつや賞でのデビューから、名作『ノイローゼ・ダンシング』までのお話。




―まずは、紙媒体復活おめでとうございます。
「ありがとうございます」
―今日は、山下ユタカさんの漫画家デビューからを時系列に従って伺いたいと思いますので(←無駄に慇懃な口調で)。
「ほーう」
―最初の話からすると…。
「はいはい」
―1996年。第35回ちばてつや賞・ヤング部門準大賞。…漫画って、それまで本当に、全然描いてなかった?
「うん…実は、小学館に(応募するために)高1~2ぐらいのトキに描いたコトあるけど。一応、(応募のあとに)編集から電話貰って、「ちゃんと描いてみないか?」みたいなハナシされたけど、全然そんな気なかったんで、そんトキはお断りした」
―それまでただの、漫画やアニメが好きな人?
「うん、そう。アニメは…萌え萌えぢゃないヤツね(笑)」
―チンピラバンドマンで、漫画が好きな人、っていうだけの。
「そうそう。誰もハナシが合う人がいない(笑)。「アルバトロス」とか、「さらば愛しきルパンよ」とか、「荒野に散ったコンバットマグナム」とかを…まあ、ルパンが好きだったんだけど。あと『未来少年コナン』とか」

―なんで漫画を描こうと思ったの?
「頭がおかしくなっちゃって(苦笑)…精神病院に放り込まれて。ホント頭がおかしくなって。で、結局それが、家の…DVが原因だってコトがはっきりして。それで、ホントに憑きモノが落ちて。じゃあもう俺、なんかしなくちゃいけねえなって…エネルギーを持て余してたワケ。エネルギーをどうしてイイかわかんねえから…(それまでは)アホみてえに喧嘩ばっかりしてて、アホみてえに捕まってたんだけんど。でも…そのトキにやっと憑きモノが落ちて。でも、(精神科の治療中で)酒も飲めねえし、スリ(ドラッグ)も出来ねえから(笑)。どうすっかな、って考えたら…俺、絵が得意だったから。中学とか高校ぐらいの頃、いっぱい描いてたコトあるし。漫画ならイケるかなっつって。見様見真似で…スクリーントーンって多分こうやるんだべな、っつって(笑)。そしたらそれが賞とっちゃって(笑)」
(註:山下ユタカの少年期における父親のDVについては、このインタヴューの“その2”で話題の出る実業之日本社刊・道あゆみ監修『ドメスティック・バイオレンス』に詳しい。併せて、https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_355.htmlも御参照ください)

―「スクリーントーンってこうやんだべ」で貼っちゃってたワケ?
「そうそう。だから、一コマ間違えたら1ページ描き直してた(苦笑)。最初の頃。「メリーゴーラウンド」、アレなんか、3ページくらい…一コマ間違えたからって1ページずつ描き直してた(笑)。コマを差し替えるって云うコトを知らなかった」
―気が遠くなるね…(苦笑)。
「やってましたよ、最初の頃は(笑)」
―完全に…独学っていうか、“学”ですらないっていう。
「感覚だけで」
―感覚だけで、最初からあの構図とかだったワケ?
「そうそう。だから、当時の担当編集者が、凄いぞこの人、って…」
―おかしいね…。
「(笑)ホントに、ああ云う絵しか。人間の眼って、パース利いてるべ?…だから、見たモノをなんとか忠実に描こうと思うと、あんな絵になっちゃう。…大友(克洋)の洗礼も受けてっからさ。こう云うトコで見て、ココが見えるんだけど、後ろも描きたい、って云う(笑)。だからもう、徹底的に絵が描きてえってコトなんだよね、多分」
―こっちから見てるけど後ろからも描きたい、っていうのは…ピカソが「泣く女」とかをああいう風に描いたのも、こっちからの視点とこっちからの視点が両方欲しいからそうなった、みたいな。
「同じベクトルだと思うよ、多分。俺が見えてるモノを、一コマに押し込めたいって云うか。…最初の頃は、一コマ一コマを全部、絵画として成立させたいって云う風に考えてた。ンなコトやってたら生活出来ねえけどな(笑)。仕事として成立しない」

―作画の面で影響があったとしたら、初期は大友克洋っていうのがあったと思うんだけど…今その話を聞いて思ったのは、一コマを1枚の絵に、っていう点では、上條淳士に共通するモノが。
「上條淳士は好きだったよ。ただ、すげえカッコE絵だなあとは思ってたけど…パンクとしてはひでえじゃん(苦笑)。パンクの…バンドマンの美意識と、漫画の美意識って云うのは、ホント真っ向からぶつかるんだよね。だから、そう云う意味では『TO-Y』なんかもう…。俺、(上條淳士の)初期の短編、全部切り抜いて持ってたもん。「モッブ★ハンター」とか「探偵部物語」とか、こないだ単行本になったヤツ全部(笑)。好きだったんだけど、でも…じゃあパンクか、って云うと、アレ(『TO-Y』)はどうなんだ、って云う…。でも、あの切り口は…ああ、こうやらざるを得なかったのかな、と…今ならわかる。だから、俺はいまだに…その挟間(パンクの美意識と漫画の美意識の間)でまだ苦しんでる。どっちかにしたいな、とは思ってるけど。ただ、絵も描きてえし歌も歌いてえんだな、コレが(笑)」
―デビュー当時の絵柄は、コレもよく指摘されるけど、土田世紀の影響って、やっぱりあるよね。
「あるある!…大好きだよ。『未成年』は、俺、死ぬトキに、棺桶に入れてくれって…『未成年』は絶対入れて欲しいもん(笑)。『未成年』と『童夢』(大友克洋)と、『少女椿』(丸尾末広)…違うな(苦笑)、『クシー君』(鴨沢祐仁『クシー君の発明』)かな。…それから高野文子の『絶対安全剃刀』ね」

―その後どんどん絵柄は変わっていくワケだけど…『ノイローゼ・ダンシング』の前に「メリーゴーラウンド」があって。
「うん、そう、だね」
―「LOOSE」でデビューした後に、「メリーゴーラウンド」…97年。
「そのトキ俺は、漫画家やる気なかったから。デビュー、って云うか…受賞して、70万円貰って、「ありがとうございます、じゃあバンドに戻ります」って感じで(笑)。「やー、良かった、70万貰っちゃったぁ」って(笑)」
―そんなもんだったんだ?
「そんなモンだったんだよ。それを当時の担当編集が、1年半かけて俺を口説き落としたんだよ。全然漫画家なんかやる気なかった。辛そうじゃん、あんなの(笑)」
―辛そうですね…っていうか辛いじゃん(苦笑)。
「辛いし。実際になったら、ホントもう後悔してんだけど(笑)。…まあ、今となっちゃあコレしかねえけど。…俺はあんトキ、年収結構あったからね。月30万以上は稼いでたから。漫画家やるなんて考えられなくて。バンドマンだったから…完全に、パンクで俺はやるんだ、って思ってたから。漫画家なんかやってられるか、あんなかったりぃコト、って思ってたんだけど(笑)。…1年半かけて、担当編集に口説かれて。「1本短編描いて下さい!」って云うから…」
―それで出来たのが「メリーゴーラウンド」。
「そうそう、「メリーゴーラウンド」。…今思うと、なんて恵まれてたんだろう、って思うけど(笑)。今、載っけて欲しいのに載っけてくんねえけどな(苦笑)。…描いたら絶対載っけてくれたからな。俺、ボツになった“作品”(=ペン入れまで済ませた完成原稿、の意)ねえんだよ、今に至るまで。ネームでは、ボツになりまくってるけどね。ホント、恵まれてた…ココまで底辺彷徨うとは思わんかったわ(苦笑)」

―「LOOSE」の時点では、“漫画で賞を取っただけの人”で、「メリーゴーラウンド」から漫画家に?
「「メリーゴーラウンド」の時点ではまだ漫画家じゃない。『ノイローゼ』で。アレで、色付く漫画を始めて描いた。色なんか塗ったコトなかった(笑)」
―色塗ったことなかった、それまで。
「ないない。絵は得意だったけど…友達の背中にババッと描いたりとか、自分のバンドで、高校でなんかやるトキに、フライヤー描くとか、そのレベルだからさ。絵で食ってこうとかは、全然思ってなかった。でも、得意だなって云うのは、思ってたから。プロの作品見て、ヘッタクソだなあ、俺の方がうめえなあ、って思ってたから(笑)。今考えたら…やっぱみんなすげえな、と思うけど(笑)。…まあ、いまだに下手なヤツはいるけどよ(笑)」
―で、1998年『ノイローゼ・ダンシング』、短期集中連載。
「そこで、仕事辞めたんだよ俺」
―それで漫画家になったワケだ。
「うん。で、やりながらさ、コレ面白いかもな、って、思い出しちゃって。その前に俺、肉体労働やっててさ…そのトキに、俺、肉体労働よりもこっちの方が向いてんのかな、って、少し思ったんだろうな。結果的には酷いメに遭ったけど、まあ当時の編集にはちょーっとだけ、この仕事に引き込んでくれてありがとう、ってのはある。ホントちょ~っとだけね(笑)。…って云うのは、型枠大工なり設備屋なり続けてたら、多分親父と同じように…カミさんを、殴るとか、云うコトになる可能性が、高かった。俺の人生のイチバンの目的のひとつは、親父みたいにならねえ、ってコトがあるからさ(苦笑)。だから、そう云う意味では…陳腐な言葉だけど、創造的な仕事、に携われたコトは…金銭面ではもう、最悪だけど(苦笑)、でもまあ、ちょっと良かったのかなあと思う。…でも漫画って、ホント特殊な職業だから」
―特殊過ぎるよね。
「ねー。まあ、消えた漫画家みたいに言われてっかも知れねえけど…今ぢゃ15年ぶりに大工に戻っちまったけど、(漫画家で)やってけるんだったら…今はもう、コレやるしかねえな、って思ってる」


 …とりあえず、↑の発言からも、今も山下ユタカが漫画家稼業への想いを保ち続けていることは、わかると思うのだけど。
 ともあれ、この続きは明日の晩。どうぞお楽しみに。


(2023.10.12.改訂)