映画『えんとこの歌 寝たきり歌人・遠藤滋』

えんとこの歌.jpg世田谷区梅ヶ丘で周囲に支えられながら“一人暮らし”を続ける脳性麻痺の“寝たきり歌人”遠藤滋の暮らしを捉えたドキュメンタリー映画。
1999年に同じ監督(伊勢真一)が制作した映画『えんとこ』の、20年ぶりの続編にあたる。

遠藤滋は1947年生まれ、今年で72歳。
(イギー・ポップと同い年)
1歳の時に脳性麻痺と診断され、症状の悪化に伴って寝たきりとなってから既に30年以上。
現在は24時間体制の“全介助”が必要な体。
しかし介助者たちの助けを借りながら、今も“自立”した生活を続けている。
“えんとこ”とは“遠藤滋のいるところ”であり、“縁のあるところ”でもある。

監督の伊勢真一は1949年生まれ。
遠藤滋の大学時代の後輩にあたる。
90年代に遠藤と再会し、3年に渡って遠藤を追ったドキュメンタリー『えんとこ』を制作したのが99年。
2016年に神奈川県相模原市で起きた障害者大量殺傷事件を機に、再び“えんとこ”を訪れ、再びカメラを回し始める。
遠藤の障害は悪化し、話すことも食べることも困難になっていた。
一方で遠藤は50代後半から短歌を詠み始め、日々言葉を紡ぎ続けていたのだった。

時系列は敢えてバラされている。
撮影当時70歳だった遠藤滋の毎日と、50歳前後だった『えんとこ』当時の映像、そして少年時代や青年時代の写真が交互に登場する。
長く寝たきりの生活を送っている遠藤だが、元々寝たきりだったワケではない。
20代の頃は自分の足で歩き、伊勢真一と共に学生運動にも参加し、養護学校で教壇に立ってもいた。
しかし障害の程度は次第に悪化し、やがて歩いたり教壇に立ったりすることは不可能となる。

遠藤滋は特別な存在ではない。
彼もかつては不自由ながら動き回ることが出来た。
そして今現在五体満足と思っている人でも、病気や事故でいつ身動きが取れなくなるとも限らない。
しかし相模原の事件の犯人は障害者を“不幸しか生まない存在”と断じ、一部与党議員は人間を“生産性”で切り分けようとする。
この映画はそのような分断の思想に対する強烈なアンチテーゼとなっている。

ただしこの映画は、いわゆるプロテストの映画ではない。
(少なくとも俺はそう思う)
この映画では遠藤滋と、彼を24時間介助し続ける人たちの営みが描かれているのだが、それはもちろん大変でありつつも、楽しい日々でもあり。
主として胃ろうから栄養を得ているものの、遠藤は寿司も食うし、コーヒーも酒も飲む。
24時間誰かの助けを借りながら生きていく日々が、ごく当たり前のモノとして捉えられている。
改めて言う、コレは特別な誰かの日々ではない。
俺にもあなたにも、明日訪れるかも知れない日々なのだ。

そして映画の中にフィーチュアされる、遠藤滋の短歌の数々。
思うに任せない体と向かい合いつつ、中には恋の歌も。
遠藤が日々関わる誰に恋したのか知らないが、体が不自由で全介助だろうが70代だろうが、恋は出来る。
生きてさえいれば、なんとかなる。
(多分…)
年齢に関わらず「人生とは…」と悩み続けている人には、是非観てほしい1本だ。


俺がこの映画を観たのは、遠藤滋の地元である梅ヶ丘パークホールでの上映会だった。
伊勢真一や遠藤自身が登壇し、介助者の一人である“FUCKER”こと谷ぐち順(Less Than TV)他のライヴもあって、大いに盛り上がった。
今後も各地で上映予定。
是非ともチェックしてみてほしい。
もう一度言う、遠藤は特別な存在ではない、明日の俺やあなたかも知れないのだ。


(C)いせフィルム


追記:
遠藤滋はこの3年後、2022年5月20日に拘束性換気障害で亡くなっている。
74歳。
介助者の一人だった谷ぐち順は遠藤が亡くなった22年5月に障害者の自立生活支援を目的とする事業所「谷ぐち介助クラブ」を立ち上げている。

(2025.9.8.)

映画『グッド・ヴァイブレーションズ』

画像THE UNDERTONESを輩出したことで、70年代のUKパンクをある程度掘り下げた人なら御存知であろうレーベル、グッド・ヴァイブレーションズ。
本作はそのオーナーであるテリー・フーリーの、70年代半ば~80年代初頭の数年間を切り取った、伝記的な映画。
(“伝記映画”と言うよりは“伝記的な映画”と言うべきだろう)

映画の制作は2012年で、英国で公開されたのは13年という。
けっこう前の作品だが、昨年日本国内での自主上映企画“アイルランド映画が描く「真摯な痛み」”で上映されたのをきっかけに、日本での劇場公開が実現することになったのだそうで。
…ちょっと前に紹介した映画『ノーザン・ソウル』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201901article_10.html)と同じような経緯だ。

THE ROLLING STONESやTHE KINKSといった英国のロック・バンドや、THE SHANGRI-LASなどの60年代ポップスを愛する青年、テリー・フーリー(リチャード・ドーマー)。
60年代からDJをやっていて、最近になってルース(ジョディ・ウィッテカー)という素敵な彼女も出来た。
ほどなくルースと結婚したテリーは、生計を立てるためにレコード店を開こうと考える。

それだけなら何処の国の音楽好きにも共通な話だが、ただひとつ違っていたのは、テリー・フーリーが住んでいたのが北アイルランドのベルファストだったということ。
当時の北アイルランドはカソリックとプロテスタントの宗教対立による紛争の真っただ中。
テリーがレコード店グッド・ヴァイブレーションズを開店した1977年は、北アイルランドにツアーにやって来たアイルランドのTHE MIAMI SHOWBANDのメンバーたちがプロテスタント系の右派武装勢力・アルスター義勇軍に殺害されてから2年後だった。
事件の後、北アイルランドを訪れるツアー・バンドは激減、おまけに街の中は紛争のためあちこちが廃墟のような状態。
60年代は宗派の隔てなく付き合っていた友人たちも敵味方に分かれ、テリーがDJを務めるバーを訪れる者もほとんどなく。
テリーはそんな中でレコード店を開いたのだった。

一方テリー・フーリーが店を開いた1977年は、英国をパンク・ロックが席巻した年でもあり。
ライヴハウスに出かけたテリーは、そのパンクの波がベルファストにも押し寄せていることを知る。
そしてハコに出入りする未成年者を摘発しようとやって来た警官たちに、ステージ上のパンク・バンド(RUDI)とフロアを埋め尽くした若者たちが決然とノーを突きつける様に、かつてない感動を覚えることに。

レコード契約などあるはずもなかったRUDIのため、テリー・フーリーは自分の手で彼らのレコードを作ることを決意し、自身の店の名を冠したレーベル、グッド・ヴァイブレーションズを立ち上げる。
RUDIやTHE OUTCASTSのレコードをリリースした後、大して期待もせずに付き合ったTHE UNDERTONESが演奏した「Teenage Kicks」は、テリーとレコーディング・エンジニアのデイヴィー(リーアム・カニンガム)の心を激しく揺さぶり。

THE UNDERTONESのレコードを世に広めるためロンドンに渡ったテリー・フーリーだったが、大手レコード会社は何処も相手にしてくれず。
最後に訪れたBBCで、UNDERTONESのレコードはほとんど偶然のような成り行きでトップDJ、ジョン・ピールの手に渡り、そして…。
…というのが前半のあらすじ。

それにしてもこのテリー・フーリーという人…理想主義者の純粋さで一点突破し続ける熱血漢だが、逆に言えば現実が全然見えていない大馬鹿野郎でもあり。
理想主義者ゆえに大儲けなどはまったく考えず、メジャー進出することになったTHE UNDERTONESの版権も破格の安値で売り渡してしまう。
そんな具合だから店やレーベルの経営は立ち行かなくなるし、猪突猛進が過ぎて妻ルースや親友デイヴ(マイケル・コーガン)、そしてバンドたちとの関係も壊れて行き。

しかしテリー・フーリー、本当にピュアな人だ。
どうにも憎めない、愛すべき大馬鹿野郎。
店の経営を立て直すために企画した大きなギグでは、会場前に集まった金のないファンたちをあらかた無料で入場させてしまって大赤字とか(苦笑)。
万事がそんな調子なので、映画を観ている間、こっちはテリーの成功物語に涙して喜び、運命の暗転にはらはらし、事態が何とか収まるとほっと安堵し…というのを繰り返すことになる。
しかもこれが実話に基づくというのだから。
エンドロールのクレジットでは、この映画はテリーの物語に“インスパイアされた”云々…とあったので、全部が全部実話そのままではないと思うが、山あり谷ありの物語に仕立てた脚本(コリン・カーベリー&グレン・パターソン)の良さもあるのだろう。
(実際俺も途中でかなり涙を流した)

笑えて泣けて、そしてちょっと苦い後味も残る映画。
キリスト教とイスラム教どころか、カソリックとプロテスタントというキリスト教徒同士、そして元々は隣人や友人だったはずの人たちが血で血を洗う紛争を繰り返した北アイルランドの現実の重みには思わずぞっとするし。
(多くのニュース映像が用いられている)
しかも諸々がテリー・フーリーの楽天性とか楽観主義とかキャラクターで何とかなってる気がするだけで、実際には何も解決してないケースが多過ぎ(苦笑)。
それでも楽しく観られてしまう。
本物のテリーは70歳の今も元気に暮らしているそうなので、どなたも安心して観てください(笑)。

映画を彩るTHE UNDERTONESやRUDIやTHE OUTCASTS(近々来日だったよな)の楽曲も改めて素晴らしいし、それ以外の楽曲の使い方も実にナイス。
特にSUICIDEの「Dream Baby Dream」をここで使うか…というのにはちょっと笑ってしまった。
あと、元々パンク以前の音楽が好きだったテリー・フーリーの前に突然現れるハンク・ウィリアムズ、の図もユニーク。
(『アイデン&ティティ』に出てくるボブ・ディランみたいな)

それと、実在の人物たちがモデルになっている映画なんで、テリー・フーリー&ルースをはじめとして、フィアガル・シャーキー(THE UNDERTONES)やスージー・スーやジョン・ピールなんかも各々俳優が演じているワケだけど。
みんな微妙に似てたり似てなかったり、が微笑ましかったりも。

70年代UKパンクが好きならもちろん必見の映画。
いや、パンクが、というよりもロックが好きな多くの人に観てほしい1本。
8月3日(土)より新宿シネマカリテを皮切りに全国順次公開。


(C)Canderblinks (Vibes) Limited / Treasure Entertainment Limited 2012


(2025.8.29.改訂)

映画『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』

画像ここのところドキュメンタリー以外の音楽絡みの映画にも良作が続いている気がするが。
コレもとても良い。

ブルックリン郊外、鉄道も通っていない海辺の小さな街、レッドフック。
元ミュージシャンだったフランク・フィッシャー(ニック・オファーマン)は、シンガーだった妻に先立たれたことで音楽の道を諦め、レッドフックの街で17年間レコード店を営んできた。
一人娘であるサム(カーシー・クレモンズ)は秋からUCLAで医師を目指すことが決定していたが、彼女の学費を工面しようにもフランクのレコード店は赤字続き。
フランクは遂に店を閉めて他の仕事を探そうと決意する。

サムはUCLA入学前から医学の勉強に余念がなく、フランクの楽しみだった親子でのたまのジャム・セッションも御無沙汰だったが。
ある晩、半ば無理矢理サムを誘って久しぶりに行なわれたセッションで、イイ感じの曲が出来上がる。
フランクがサムに黙ってその曲をSpotifyにアップしたところ、人気を博してしまうのだった。
舞い上がるフランク。

しかしサムには医師になる夢があり。
一方で西海岸に移り住めば、恋仲になったばかりのローズ(サッシャ・レイン)とも離れ離れになってしまう。
夢見がちな父親に育てられたせいか、クールで現実的なサムだが、もちろんフランクのことを愛しているし、認知症が進む祖母マリアンヌ(ブライス・ダナー)のことも心配。

そうこうするうち夏も終わりに近づき、サムのUCLA入学も間近となる。
(アメリカの入学・進学は秋)
仕事に恋に勉強に…フランクにもサムにも、決断の時が訪れる。
二人は、そして周りの人たちは何を選び、どう生きて行くのか…。

…というのがこの映画のあらすじ。
甘みも酸味も苦みも辛みも、すべてがある映画だと思う。
フランクはシングルファーザーとして一生懸命サムを育ててきた人だが、経営の才覚はあまりなさそうで、それ以外の面でもけっこうなダメ男。
(冒頭から自分のレコード店内でスパスパ煙草を吸い、客に嫌がられる。この映画を観る喫煙者は苦笑いだろう)
一方でそれゆえにともいうべきかわいげのある、憎めない男。
トンビが鷹を生んだ(?)感のあるデキる子のサムも、やっぱりこのフランクの娘、と思わされる。
その二人が笑ったり怒ったり、悩んだり悩んだり悩んだり。
観ているこちらも笑わされたり、ほろりとさせられたり。
様々な形の喜怒哀楽が、丁寧に品よく盛り込まれている。

サムの恋人ローズは、サムと同じ女性。
二人はレズビアンということになるが、フランクは二人の関係を極めてフラットに受け入れる。
アメリカの話とはいえ、現実はそこまで簡単ではないのではと思われつつ、今という時代が反映された筋立てになっている。
その点、性的マイノリティがそれだけで話題やネタになる日本とは随分違うと思ったり。
そして50代半ばと思われるフランクにも恋バナがあり。
(そうですよ、人間は何歳になっても恋をするんですよ)

フランクの旧友であるマリワナ大好きなバー経営者デイヴ(テッド・ダンソン)や、レコード店が入る建物の大家であるレスリー(トニ・コレット)など、脇役陣も強力、かつ好演。
(テッドはむしろ怪演)
フランクの母、サムの祖母であるマリアンヌ役のブライス・ダナーも、“まだらボケ”の美人なおばあちゃん(元は歌手だったという設定)を魅力的に演じている。

で、音楽。
フランクとサムの楽曲がSpotifyで人気となるからには、その楽曲が本当に魅力的でなくては説得力がない。
その点、音楽を担当したキーガン・デウィットが作曲した劇中歌の数々が実に素晴らしい。
そしてミュージシャンでもあるカーシー・クレモンズが、キーガンの楽曲を説得力ある歌唱で歌い上げている。
(フランクとサムの演奏シーンでは、ニック・オファーマンとカーシーが実際に演奏して歌う)

フランクやデイヴやレスリーの年代(50代)の人にもサムやローズの年代(20歳前後)の人にも、その中間(30~40代)の人にも響く映画だと思う。
世代に限らず、ロックの好きな人には絶対お勧め。
(フランクのレコード店、壁面に飾られた名盤の数々に目が行くはず)

宣材を見ても、配給サイドのこの映画に対する愛情と熱意が伝わってきてイイ感じ。
6月7日(金)より、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテ他で公開。


(C)2018 Hearts Beat Loud LLC


追記:
レッドフックってアレだ、H.P.ラヴクラフトの「レッド・フックの恐怖」の舞台になった街だ!
今頃気付いた。

(2025.8.22.)

映画『Tribe Called Discord~Documentary of GEZAN~』

画像日本のアンダーグラウンド・シーンを賑わせるバンド・GEZANのドキュメンタリー映画…の体のようでいて、結果的に一バンドのドキュメンタリーにとどまらない、世界に横たわる大きくて重苦しい現実を“捉えてしまった”1本。
そして、それらに対しどう対峙していくのかというバンドの生き様も描かれる。

俺はGEZANをちゃんと聴いたことがなかったのだが、ヴォーカリスト、マヒトゥ・ザ・ピーポーがFOLLOW-UP(もうない)で連載していたコラムは興味深く読んでいた。
そのGEZAN、昨年春にクラウドファンディングで300万円を調達し、アメリカ・ツアーとスティーヴ・アルビニによるアルバムのレコーディングを実現する。
バンドの盟友である映像作家“パンチでるお”こと神谷亮佑はカメラ1台を手にして彼らのツアーに同行することになる。

このアメリカ・ツアーというのがなかなかとんでもない。
EL ZINEなんかで読める日本のインディ・バンドの海外ツアー・レポートを読むと、移動に際して現地の誰かが車を出してくれたりすることが多いようだが、GEZANは自分たちでレンタカーを借りて自分たちの運転でアメリカ国内を移動したらしく。
しかも泊まる場所はライヴ会場で知り合った誰かに頼み込んでその日に決定するという。
どんだけDIYなんだよ。
(英語もそんなに出来ないのに…)

これまたEL ZINE読者の人なんかはわかると思うが、アメリカでのライヴ会場はいきなり誰かの家だったり、なんてことがGEZANのツアーでも実際にあり。
映画の中では、明らかにライヴハウスではない場所での演奏シーンが何度も挿まれる。
文章や写真で見ることがほとんどだったアメリカでのDIYなツアーの様子が映像で知れるのは実に興味深い。

そんなツアーの日々、GEZANは何処でも歓迎される。
一方で彼らは、アメリカに根深い人種差別と人種間の憎悪がいまだにわだかまっている、その事実を随所で目撃することになる。
白人もネイティヴ・アメリカンもGEZANに温かく接する…しかし何世代にもわたって簒奪と虐待を受けてきたネイティヴ・アメリカンの多くにとって、白人は今も敵でしかない。
覆しようのない、あまりにも大きく重いアメリカの歴史と現実。
(そしてそれはアメリカに限った話ではない)
“正義の反対はもう1個の正義”と考えていたマヒトゥ・ザ・ピーポーも、重過ぎる現実を目の当たりにしてただそれまでと同じ考えのままでいることは出来ず。
メンバー各々が葛藤を背負って帰国することになる。

それは“でるお”にとっても同じだった。
帰国後、アメリカでの映像を作品化すべく編集に取り掛かったでるおだったが、出会ってしまった現実を作品にどのように落とし込むのか、そもそもそんなモノが面白い作品になるのか…何もかもがわからなくなってしまったでるおは、遂に何もかもを放り出して音信が途絶、ドキュメンタリーの制作は暗礁に乗り上げる。

ここからはネタバレを避けるべく、その後のお話については触れないが、実際のところ映画はこうして完成しているのだから、ひどい結末になっていないことは誰でもわかるだろう。
個人的にはでるおが音信不通となって以後のマヒトゥ・ザ・ピーポーの行動に驚かされた。
正直、ちょっとした違和感のようなモノもあった。
コレについては「出来過ぎ」とか、ある意味「あざとい」と感じる人もいるかも知れない。
そこは実際にこの映画を観て、考えてほしいと思う。
ともあれそのマヒトゥの動きがなければ、映画の出来上がりはまったく違ったモノになっていたはずだし、ひょっとしたら完成すらしていなかったかも知れない。
つまりマヒトゥのその行動が結局はこの映画を救うことになったのかと。

ともあれどうしてもわかり合えない人々、赦し合えない人々が存在する地球の現実に対して、音楽をやっている自分たちに出来ることは何か、音楽の力とは何なのか…そんな、答えの出るはずもない問題に向かって、正解を出せないまま真摯に対峙し続けようとするマヒトゥ・ザ・ピーポーの、GEZANのアティテュード。
そんな彼らのアティテュードは、映画の終盤に捉えられたGEZAN主催のDIY野外フェスティヴァル「全感覚祭」の模様…ごちゃ混ぜでポジティヴでハッピーな祝祭、その中に垣間見えるような気がする。
(ステージのシーン及びインタヴューにはTHE NOVEMBERS、踊ってばかりの国、呂布カルマなど多数登場)
重いテーマを扱っている作品だが、かと言って重苦しい作品ではない、という点は強調しておこう。

プロデューサーとしてクレジットされているのは、マヒトゥ・ザ・ピーポーの文章に注目していたというカンパニー松尾。
(AVの監督で有名なあの人)
彼の後押しがあって、この作品は劇場公開の運びとなったのだそうで。

GEZANのファンや「全感覚祭」に登場するバンドのファンだけが観ればいい作品にはなっていない。
アメリカのアンダーグラウンド/インディペンデントな現場を映像で観たい人にももってこいだし、例えば最近問題になっている、ジョン・レノン「Imagine」をけなすことで世の中をわかっているような面をする馬鹿どもに嫌悪感しか抱かないような人、何よりロックや音楽に自覚的に向かい合おうとしているすべての人たちにお勧めしたい、ある意味問題作。

『Tribe Called Discord~Documentary of GEZAN~』、6月21日(金)よりシネマート新宿を皮切りに全国順次公開。


(C)2019 十三月/SPACE SHOWER FILMS


(2025.8.16.改訂)

映画『ジ・アリンズ/愛すべき最高の家族』

画像シド・ヴィシャスやダービー・クラッシュあたりをも軽く凌駕する(?)稀代の破滅型パンク・ロッカー、GGアリン。
1993年に36歳で死亡。
この映画はGGの生涯と共に、残された兄マール・アリン、母アリータ・ベアードのその後を切り取ったドキュメンタリー。

キャッチコピーは“母と兄に、心から拍手を! 静かにあふれる感動がここに。”というモノ。
正直「え~? ホントに?」と思いながら観始めた。

結果。
ボロ泣きしました(苦笑)。

もちろん、女性客に襲いかかり、ウンコまみれで転げまわるGGアリンの映像は山ほど出てくる。
(GGというと最晩年の坊主頭で小太りでウンコまみれなイメージが強いかも知れないが、かつてデイヴィッド・ピールが「ピンナップにしたいほどのハンサムだった」と言った通り、80年代のGGはスリムでえらくカッコいい)
一方で、狂乱のパンク・ロッカー“GGアリン”ではない愛すべき息子“ケヴィン・マイケル・アリン”を日々思い出しながら静かに過ぎて行くアリータ・ベアードの生活。
THE MURDER JUNKIESでの活動を続けながらGGアリンのグッズを販売して生活し、GGを今も無二の相棒として暮らすマール・アリン。
残された二人の暮らしが、淡々と、時ににぎやかに映し出される。

GGアリン亡きあとのマール・アリン及びTHE MURDER JUNKIESに興味を持つ人はそれほど多くないのではと思うが。
この映画では、マールの今の暮らしを垣間見ることが出来、それはなかなかに興味深い。
郊外のこぎれいな住宅(中はきちんと整理されてこそいるものの“GG博物館”の様相)に住み、隣人と仲良く付き合う(!)マール。
MURDER JUNKIESの活動で十分稼げているとは到底思えないながら、ネットを駆使してGGのグッズを販売することで、(多分)望み通りの生活を送れている。
マール曰く、GGのグッズを出し続けることで、GGの名を世に残し続けることが出来るのだと。
GGが亡くなった直後に制作されたドキュメンタリー映画『全身ハードコア』ではハンサムでセックス・シンボル的だった全裸のドラマー、ディーノ・セックスの老け込み具合はけっこうショック。
それでもMURDER JUNKIESはヴォーカリストとギタリストを入れ替えながら活動を続けている。

何より強くたくましく信心深くキュートでチャーミングな母、アリータ・ベアード。
子供たちを連れてイカレた夫から逃げ出し、ところが二人の息子はイカレポンチのパンク・ロッカーになってしまい、次男はウンコまみれで夭逝。
それでも息子たちを愛し、亡き“ケヴィン・マイケル・アリン”との絆を今も感じながら、死後の再会を信じる。
重松清が現在朝日新聞で連載中の小説『ひこばえ』に「どんな親でも…親は親だ」という台詞が出てくるが、アリータに言わせれば「どんな息子でも…息子は息子よ」といったところか。
ネタバレを避けるため詳細は伏せるが、GG=ケヴィンの終生変わらなかったアリータへの愛情を感じさせるエピソードに、本当にボロボロ泣いた。

アリン兄弟の生い立ちと活動についてもかなりきちんと説明されていて、GGアリンのファン以外にも入り込みやすい作品。
(GGの凄まじいパフォーマンスをどう思うかは別として)
キャッチコピー通り、正直びっくりするほどの感動作(!)なので、多くの人に観てほしいと願ってやまない。

23日より、シアター・イメージフォーラムにて公開。


(C)Toolbox Film 2017


追記:
アリータ・マリー・ガンサー・ベアードはこの映画が日本公開された後、2019年8月7日に82歳で亡くなっている。

(2025.7.28.)

映画『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』

画像タイトル通り、ミック・ロンソンの生涯をデイヴィッド・ボウイとの活動をメインに振り返るドキュメンタリー映画。
2017年の制作で、輸入盤DVDとして流通していたので、家で観たというファンの人も多いかも知れない。
日本での公開に先立ち、昨年にはサントラ盤も国内発売されている。

序盤からフレディ・マーキュリー追悼コンサートの映像で、なんかいきなり泣きそうになる。
(なのでこの映画、QUEENのファンも観た方がイイと思う)
その後時系列を巻き戻して、イングランド北部の街・ハルでTHE RATSを解散して庭師をやっていたミック・ロンソンがデイヴィッド・ボウイに拾われてその片腕となって行く過程が、ボウイ自身のナレーションも交えて語られる。

昨年公開された音楽ドキュメンタリー映画には、イギー・ポップを追った『アメリカン・ヴァルハラ』をはじめとして限られた当事者しか出て来ないモノがけっこうあったが、この『ビサイド・ボウイ ミック・ロンソンの軌跡』は王道ともいうべき(?)オーソドックスな作りで、いろんな関係者が出てきてミック・ロンソンとデイヴィッド・ボウイを語る。
(もちろんミック本人のインタヴュー映像もふんだんに)
ルー・リード、イアン・ハンター、トニー・ヴィスコンティ(若々しい!)、グレン・マトロック、ロジャー・テイラー、ジョー・エリオット(ブックブクだな…)、マイク・ガースンあたりは納得として。
YESのリック・ウェイクマンが意外とフィーチュアされているのに驚いたけど、コレがピアノの実演を交えてミックの作曲/編曲の巧みさを解説してくれたりしてなかなか良い。
更にびっくりしたのはアンジー・ボウイ(テンションたけえ…)、チェリー・ヴァニラ(!)、ダナ・ギレスピー(!!)がそれぞれすっかりおばあちゃんになって登場するところ。
ミックの妻であるスージー・ロンソンは今でも美人。
SLAUGHTER & THE DOGSが出て来ないのは、まあしょうがない。
あとモリッシーも。

デイヴィッド・ボウイの歩みについてもかなりの割合を占める作りになっている。
THE SPIDERS FROM MARSがボウイと活動したのがたった18ヵ月の間だけだったことを考えると、もっとボウイと別のところでのミック・ロンソン本人の活動や生活について語られてもイイ気がしたが、やはりというかミックが最も輝いたのがボウイとの活動であり、一方で当時のボウイの音楽が、ミックにいかに多くを負っていたかということも、この映画を観ると改めてよくわかる。
T.REXに続いてグラム・ロックの寵児として大成功…というイメージを持ちがちだけど、最初はけっこう貧乏してたのね。

それにしても。
ギタリストとしての非凡な腕前を持つだけでなく、譜面の読み書きも身に着け、デイヴィッド・ボウイやルー・リードのアルバムではストリングスのアレンジまでこなし。
マルチな才覚に加えて抜群のルックス。
そんなミック・ロンソンも、ソロ活動は成功せず。
フロントマン向きではなかった…というのは、この映画に登場する多くの人が指摘している。
実際、本人のインタヴュー映像を観ていると、ステージのキラキラぶりとは違って、ハンサムなのになんかフツーというか、オーラがないというか。
しかしボウイとのライヴ映像では別人のようなカッコよさ。
病を得ての晩年に出演したフレディ・マーキュリー追悼コンサートでも、ステージ上のミックは鳥肌モノ。

そんなあれこれ…を、スージー・ロンソンの手元にあった貴重な映像の数々と共に堪能出来る1本。
DVD持ってる人も、改めて劇場の大画面で観直す価値はある。
あと、もう1回言うけどQUEENのファンも。

3月8日(金)より、渋谷シネクイント他で公開。


(C)2017 BESIDE BOWIE LTD. ALL RIGHTS RESERVED.


(2025.7.28.改訂)

映画『ノーザン・ソウル』

画像『さらば青春の光』『トレイン・スポッティング』『24アワー・パーティー・ピープル』といった、英国のユース・カルチャーを描いた映画の系譜に、またひとつ傑作登場。
それがこの『ノーザン・ソウル』だ。

制作年度を見たら2014年と、ちょっと前。
テーマになっている“ノーザン・ソウル”があんまりメジャーでないせいか、日本では公開が見送られたままになりそうだったのを、“After School Cinema Club”という人たちが自主上映イヴェントを行なうことで注目され、晴れて劇場公開となったんだそうで。

で、ここで言う“ノーザン・ソウル”というのは、いわゆる“サザン・ソウル”と対比するアメリカの北部系ソウル・ミュージックのことではなく。
モッズたちに愛された、黒人音楽のレコードを聴いてクラブで踊る…というスタイルが、モッズ・ムーヴメント以降にイングランド北部で受け継がれて独自に発展したクラブ・カルチャーのことだという。
なので音楽自体はアメリカのノーザン・ソウルとは関係なく、レアで踊れるソウルなら何でもよかったらしい。
DJが自分の秘蔵レコードのレーベル面を隠して曲名などがわからないようにしていたというのは、アメリカのDJ文化でも見られたやつだ。


…というワケで、時代はパンク前夜の1974年。
グラム・ロックやプログレッシヴ・ロックが終わりに向かっていた頃だ。
舞台はイングランド北部の田舎町バーンズワース。
冴えない高校生のジョン(エリオット・ジェイムズ・ラングリッジ)は今でいうスクールカーストの、明らかに下の方。
カタブツの両親とも上手く行かず、八方ふさがりの青春。
高齢の祖父とはウマが合い、毎朝バスで見かけるかわいい黒人の看護師に心をときめかせるぐらいが数少ない楽しみ。

そんなジョンの生活は、両親に勧められてイヤイヤ出かけたユースクラブで一変する。
ユースクラブでは中年のDJが退屈なポップスを回し、それに合わせて学生たちがユルく踊ったりしていたのだが。
そこに、マット(ジョシュ・ホワイトハウス)という少年がDJに無理矢理頼み込んで回してもらったソウルのレコード。
そして、レコードに合わせて誰もが見たこともないような激しいダンスをするマット。
たちまちマットと意気投合したジョンは、マットの導きで“ノーザン・ソウル”の世界にのめり込んで行く。

髪型もファッションも洗練されたジョンだったが、やはり家庭にも学校にも居場所はなく。
愛する祖父の死をきっかけに家からも学校からも飛び出したジョンは、働いて金を稼いではレコードを掘りまくるという生活に突入。
ジョンとマットは、金を貯めてアメリカに渡り、デトロイトやシカゴでイギリスの誰もが知らないソウルのレコードを発掘してノーザン・ソウル界でトップDJコンビになる、という夢を描く…。


…以上が前半のおおまかなあらすじ。
もちろん夢はすんなりかなうはずもなく、ジョンとマットのレコード・コレクター&DJライフはドラッグや暴力や恋愛が絡みつつ七転び八起きあるいは七転八倒な展開で突き進む。
熱くて痛い、実に熱くて痛い青春。
その七転八倒ぶり、ハラハラしながらも実に面白い。

監督はコレがデビューとなるエレイン・コンスタンティン。
1965年生まれということなので、この映画の舞台として設定されている74年にはまだ9歳。
当然“ノーザン・ソウル”をリアルタイムで経験しているワケではないはずだが、映画には彼女の青春時代の実体験が織り込まれているという。

制作はかなりの低予算だったのではと思われるが、ファッションや車なども含めて、1974年をよく再現しているのには驚かされる。
今ではパブも全面禁煙となったイギリス…しかし映画の中では、登場人物たちは何処でもやたらと煙草を吸いまくっている。
(なんとレコード屋でシングルを掘りながらも吸っている)
それにしても当時のノーザン・ソウルって、ホントにあんなヒップホップみたいな踊りしてたのかしら…。

エリオット・ジェイムズ・ラングリッジとジョシュ・ホワイトハウスの二人も好演。
制作時点で既に二人とも20代半ば~後半だったはずだが、特にエリオットはダサダサな高校生ジョンが徐々に洗練されたノーザン・ソウル野郎になって行く過程を納得の演技で見せてくれる。
ジョシュ演じるマットの不遜な狂犬野郎ぶりも見モノだ。
あと、写真だとあんまりかわいく見えないヒロイン・アンジェラ役のアントニア・トーマスが、動いているととてもキュート。

上に挙げたようなイギリス映画が好きな人は必見の1本。
あと、モッズが好きな人とか、ガレージ寄りのいわゆるRAWソウルなんかが好きな人にもお勧め。
もちろんDJやってる人も。
2月9日(土)より、新宿シネマカリテ、神戸・元町映画館他にて劇場公開。


(C)2014 Stubborn Heart Films(Heart Of Soul Productions)Limited All Rights Reserved.


追記:
この映画の出演者の中で一番ビッグになったのは多分アントニア・トーマスで、彼女は日本でも放映されたアメリカの人気ドラマ・シリーズ『グッド・ドクター 名医の条件』でメイン・キャストの一人を務めている。

(2025.7.21.)

映画『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』

画像このブログでHi-STANDARDの名前を出したことは、確か一度しかなかったと記憶する。
でもまあ、このブログを読んでいるような人(ほぼ100%が音楽好きだと思う)で、Hi-STANDARDの楽曲を一度も聴いたことがないという人は、ほとんどいないのでは。
俺自身Hi-STANDARDの音楽に関しては、ここでは書けない(苦笑)個人的な思い出がある。
しかしその程度。
熱心に聴いたことは、正直一度もない。

そんなHi-STANDARDのドキュメンタリー映画…に、激しく心を動かされてしまった。

Hi-STANDARD、1991年結成。
メンバーは言わずと知れた難波・横山・恒岡の3人。
(結成当初はヴォーカリスト含む4人編成だったそうだが)
高円寺20000Vや下北沢屋根裏(どっちも既にない)あたりで10人くらいの客を相手に演奏を始めたのが、その速くてメロディアスなパンク・ロックは、大した宣伝もなしにほとんど口コミでどんどんオーディエンスを増やし。
…とかいうのは今や説明不要だろう。

一方、人気が拡大すると共に、かなり早い段階から始まっていた各メンバーの気持ちのズレ。
パンクを標榜しながらメジャーに所属することの葛藤。
(彼らがパンク本来のDIYにこだわり、メジャーであることにそんなにも悩み続けていた…というのを、今回初めて知った)

それらの葛藤が、彼らをあくまでもインディペンデントであるPIZZA OF DEATHとして、独立へと駆り立てる。
しかし、便宜上“代表取締役社長”となった横山にのしかかる重圧。
3人の気持ちは、更にずれて行く。

そして活動休止。
ここからはネタバレを避けるためにさらっと書かざるを得ないが、活動休止の間に更に距離が離れるどころか、決定的な断絶に陥る3人(特に難波と横山)。
この間の裏話は、本当に重苦しく、観ていてつらくなる。

それが東日本大震災をきっかけに、奇跡の復活。
昔の曲をただ再演するだけの活動は横山にとってカラオケと同義だったというが、紆余曲折を経て再びパーマネントな、現在進行形のバンドとして動き出す。

…といったあれこれが、ほとんど初公開となる映像の数々によって描かれる。
楽しかった日々も断絶の日々も、3人の肉声で嘘偽りなく語られる。
(この映画、昨今の音楽ドキュメンタリーの多くよりも格段に絞り込まれていて、語り手はメンバー3人しか出て来ない)

この作品が映画監督としてのデビューとなる梅田航は、厳選の末にどうしても使いたいと思った映像約60時間(!)の中から、更に濃縮・凝縮・圧縮を重ね、2時間の映画にまとめたという。
なので、中身は超濃厚。
横山のエピソードに較べて、活動休止後の難波の生活や活動についてのエピソードが少ない…と感じるファンも少なくないのではと思うが、そのへん追求して行ったら3時間でも収まらなかったことだろう。

何しろ全然ファンでもなんでもない俺がそれはそれは激しく心を動かされたのだから(もっとも、それにはネタバレを避けるため現時点でここには書けないある理由が存在するのだけど)、大ファンの人が観たら泣くでしょコレ。
あと、90年代を知らない若い人たちにもお勧め出来る。
多分誰もが「とにかく生きねば、やらねば」と思わされるであろう1本。


『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』、11月10日(土)より全国ロードショー。


(C)2018 SOUNDS LIKE SHIT PROJECT


(2025.7.2.改訂)

映画『アメリカン・ミュージック・ジャーニー』

画像アメリカのポピュラー・ミュージックの伝統と今を総まくりするドキュメンタリー40分。
40分!
そう、この映画、40分しかないのだ。
TV番組サイズ。
そして、何故か日本語吹き替え版での公開。
しかし、実によく出来ている。
原題は“AMERICAN MUSIC JOURNEY”ではなく“AMERICA'S MUSICAL JOURNEY”。
なるほどという感じ。

“主役”に当たるのは2013年に故アヴィーチーとのコラボレーションによる「Wake Me Up」をヒットさせたアロー・ブラック。
(若い人かと思ったら、もう40歳近いのか)
彼が地元LAを離れ、新曲「My Story」にアメリカの多様な音楽スタイルのエッセンスを持ち込もうと旅をする、その間に触れる様々な音楽とミュージシャン…みたいなお話。
アメリカ音楽の多様性、そしてそれらがかつて奴隷だったアフリカ系アメリカ人や、アイルランドやキューバからの移民といった実に多様な民族の文化から織りなされてきたことに主眼が置かれているので、パナマからの移民2世であるアローの起用は実に納得。

ニューヨークでルイ・アームストロングの偉大さを偲び。
黒人やフランス系移民やネイティヴ・アメリカンが混じり合うニューオーリンズで結婚パレードに加わり。
ブルーズの街シカゴでラムゼイ・ルイスと語り合い。
カントリーの都ナッシュヴィルで18歳の天才的バンジョー奏者ウィロー・オズボーンと演奏し。
エルヴィス・プレスリーを輩出したメンフィスでケヴ・モとR&Rを楽しみ。
デトロイトでゴスペルに触れ。
マイアミでグロリア・エステファンに出会い。
そしてアロー・ブラックはワシントンDCに辿り着き、国会議事堂をバックに「What A Wonderful World」を歌い上げる。
さて彼の新曲の出来や如何に…。

何しろ40分しかないので、深みの様なモノはあまり期待出来ない。
それにしても、40分という短い尺でよくもまあこれだけいろいろ詰め込んだモノだ。
グロリア・エステファンを別とすれば、基本的に50年代までのいわゆるルーツ・ミュージックに焦点を当てた作品と言えるが、それだけではなくヒップホップのダンスやEDMのフェスティヴァルの模様なども映し出される。
昔の写真と動画を時にCGと不可分にミックスしたダイナミックな映像も見応えアリ。
一方ダンスその他のパフォーマンスを見ると、その身体能力の高さに驚かされてしまったり。

本当に短い映画なんで、内容的には公式サイト(http://americanmusicjourney.jp/)に説明されていることでほぼすべてと言っていい。
しかし実際の音と映像は、多くの音楽好きの心に響くことだろう。


『アメリカン・ミュージック・ジャーニー』、11月16日(金)よりイオンシネマ、新宿武蔵野館他で2週間限定公開。


(C)VisitTheUSA.com


(2025.6.30.改訂)

映画『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』

画像昨年末、37年の歴史に幕を下ろした新宿JAM。
俺は結局、閉店が決まってから一度も顔を出せずに終わってしまったが。
閉店直前の2017年12月24日に、THE COLLECTORSがライヴをやっていた。
その模様を中心に、COLLECTORSとJAMにまつわるあれやこれやを切り取った映画。
監督はこのブログでも紹介した『オールディックフォギー/歯車にまどわされて』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_2221.html)他で有名な川口潤。

もう少し新宿JAMそのもののあれこれに光を当てた映画になるのか、と思ったが、結果的にはタイトル通り、THE COLLECTORSのドキュメンタリーと言うべき。
まあそれでイイと思う。
COLLECTORSと関係ないJAMのいろいろな面をも掬い上げようとしたら、105分なんて到底収まらないだろうし、焦点のぼやけた映画になってしまっただろう。
それでも、店内に貼られた様々なバンドのステッカーの中に、今はまったく消息を聞かない桜の花満開の下のモノがあったりして、なんだかしみじみしてしまった。

1986年に結成されたTHE COLLECTORS。
87年にメジャーデビュー。
当時の宝島なんかではいわゆるネオGSのひとつとして紹介されていたが、そのへんがある程度戦略的だったことも、映画の中では明かされている。
そのへんの戦略はどうあれ、本人たちは一貫してモッズだった。
しかし独特の日本語詞をフィーチュアしてメジャーで勝負出来るバンドとして存続し続け、昨年は30周年記念ライヴを日本武道館で開催している。
そんなバンドの魅力を、初期を知る人々(黒田マナブ、片寄明人、真城めぐみ、リリー・フランキー他)や、メンバーの息子でもおかしくない(?)年齢のTHE BAWDIESなどが語って行く。
もちろんメンバー自身も思い出を語る。
当時ほとんど情報のなかったモッズなるモノを東京の若い野郎どもがどのように掘り下げて行ったかは、非常に興味深い。

初めてのワンマン・ライヴが新宿JAMだったというTHE COLLECTORSだが、その後ずっとメジャーなシーンで活躍を続けてきたワケで、JAMに出演していたのは初期の数年に過ぎない。
モッズにこだわりながらも、一方それでミュージシャンとして飯を食うという難度の高いミッションを続けてきたバンド。
それだけに、通過点としてのJAMに対する視点に感傷はない。
(ネタバレになるので具体的な発言については触れない)
しかし、JAMの閉店直前にいきなり実現したライヴ(武道館で演るクラスのバンドが、あんなちっちゃいハコで!)は、古巣に対する大きな捧げ物となった。
こだわりの衣装選びには、加藤ひさし(ヴォーカル)と古市コータロー(ギター)の静かな、力まぬ気合が窺われる。

そして実際のライヴと、現存していた30年前の希少なライヴ映像が交互に映し出される。
かつての演奏がやはりというかややパンクっぽくもある一方で、楽曲自体は今聴いてもまったく違和感のないポップさ。
あと、お客の気合入ったモッズ・ファッションやスクーターの数々も当然見モノだ。
そのへんは是非実際に観て確認していただきたい。


『THE COLLECTORS~さらば青春の新宿JAM~』、11月23日(金・祝)より、新宿ピカデリー他にて公開。


(C)2018 The Collectors Film Partners


(2025.6.25.改訂)