映画『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』

画像1974年の『JANIS』(日本での公開は90年だった)から実に41年ぶり(本作の製作は2015年)、ジャニス・ジョプリンの死からは45年を経ての新作ドキュメンタリー。

ライヴ映像や本人へのインタヴューに加えて、いろいろなミュージシャンが満艦飾状態で登場してはドキュメンタリーの主人公についてコメントする…というのが常道になっている(?)昨今。
本作は、敢えてゲスト的な出演者を最小限に抑え、当時を知るバンド・メンバーたちを中心に、何よりも“ジャニス・ジョプリン自身によって”その生涯を語らせるような…オーソドックスにきっちり作られながら、ある意味で試みに満ちているとも言える作風。
ジャニスの遺族(妹ローラと弟マイケル)の協力を得て、幼少時のジャニスの写真などもふんだんに映し出し。
BIG BROTHER AND THE HOLDING Co.のメンバーたちを中心とする関係者の証言と、ジャニスが家族や友人に宛てた手紙の内容(キャット・パワーことショーン・マーシャルが朗読している)が、当時のライヴの模様やインタヴュー映像などと交互に現れる。

何よりもインパクトが強いのは、やはり何度観ても強烈過ぎるパフォーマンス映像。
髪をふり乱し、足を踏み鳴らし、歌詞やメロディが乗らないところはすべてシャウトとスクリーム。
周りと人間関係を築けず、容姿を嗤われた少女時代から引きずり続けたトラウマとコンプレックスに起因したのだろう昏いブルーズ衝動…をプリミティヴに爆発させながらギリギリのところでコントロールする。
衝動に発するノイズを垂れ流しのままにせず、コントロールしてラウドなロックに昇華して見せる…というのはSONIC YOUTHあたりがやっていたことだが、結局のところジャニスがステージでやっていたことはそれと同じじゃないか、と思う。
しかしその過程でジャニスが依存して行ったアルコールとドラッグが、彼女の寿命を縮めることになるのだった。

もっとも、ライヴ映像の類はこの映画でなくても観ることは出来る。
注目すべきは、作中で朗読されるジャニス・ジョプリンの手紙だろう。
そこには、アーティスト/シンガーではなく人間ジャニスの真情が生々しく表出している。
両親の望むような“良い子”になれない自分に負い目を感じつつ、それでも一途に夢に向かって駆けて行くジャニスの希望と不安、そして家族への複雑な愛情。

そして、そんなジャニス・ジョプリンの手紙やインタヴュー映像から窺われる彼女の認識と、関係者の証言から明らかになる周囲の認識が必ずしも一致していなかったことも、映画は描き出す。
ジャニスは両親への手紙で、当時の恋人(だったはずの)カントリー・ジョー・マクドナルドと自分を“お似合いのカップル”と言っているのに対し、当のカントリー・ジョーは「ただの友達だった」みたいな発言。
他方、BIG BROTHER AND THE HOLDING Co.のメンバーたちがジャニスに声をかけて来た名プロデューサー、ポール・ロスチャイルドに対して“手駒として操られるのでは?”といった警戒心を抱いていたらしいのに対し、ジャニス自身はヴォーカルのコントロールをはじめとしてポールから得たモノがいかに大きかったかを強調していたり。
(実のところ、BIG BROTHER AND THE HOLDING Co.のメンバーたちは、求められているのが自分たちではなくジャニス一人であることに対する嫉妬や焦りもあったと思われ)

あまりにもポンコツなBIG BROTHER AND THE HOLDING Co.を脱退し。
寄せ集めのKOZMIC BLUES BANDは空中分解し。
遂に真の意味でプロフェッショナルなFULL TILT BOOGIE BANDを得て、これからという矢先。
断っていたはずのヘロインがジャニス・ジョプリンをこの世から連れ去る。
スターとして数千・数万の観客を集めながら、人間として何処までも孤独だったジャニスの姿を、この映画は容赦なくあぶり出す。
ヒッピーの共同幻想はジャニスをスターにしたが(もちろんそれだけじゃないけど)、個人としてのジャニスの孤独をすくい取れる存在は、遂に現れなかったということか。
映画本編中、ジャニスと恋仲だった(あるいは、かも知れなかった)という人物は男女問わず(!)複数登場するのに。
当のジャニスはもういない。

ちなみに、ジャニス・ジョプリンが歌ったバンドの内で、俺が個人的に一番好きなのは、ポンコツ極まりない(?)BIG BROTHER AND THE HOLDING Co.なのだった(笑)。
「Summertime」の演奏とか、正直かなりひどいと思うんだけど、あのガレージ感みたいなのがたまらんのよね。


『ジャニス:リトル・ガール・ブルー』、9月10日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開。


(C)2015 by JANIS PRODUCTIONS LLC & THIRTEEN PRODUCTIONS LLC.


(2024.11.30.改訂)

映画『地獄に堕ちた野郎ども』

画像THE DAMNEDのドキュメンタリー映画。
SEX PISTOLSでもシド&ナンシーでもTHE CLASHでもなく、DAMNED。
こう来ましたか、と。
監督は『極悪レミー』のウェス・オーショスキー。
なるほどね。

THE DAMNED。
THE STRANGLERSやTHE JAM同様(?)、あるいはそれ以上に(?)伝説になり損ねたパンク・バンド。
アルバム1枚で解散したワケでもなく、メンバーが若くして死んだワケでもなく。
暴力的なエピソードも、世相や社会に突き刺さるようなメッセージ性もなく。
解散と再結成を繰り返し、現在に至るまでダラダラと(?)現役を続行。
観れば、そんなバンドへの愛おしさが募るような、そんな映画です。

撮影と編集は、さぞ大変だったろうと思う。
40年の歴史があるだけならいざ知らず。
メンバー交代を繰り返し。
音楽性は変化し続け。
それをとりあえず時系列に語りながら、脱退したかつてのメンバーにもスポットを当て…もっとざっくり言えば、デイヴ・ヴァニアン(ヴォーカル)+キャプテン・センシブル(ギター:初期はベース)の現行THE DAMNED組とブライアン・ジェイムズ(ギター)+ラット・スキャビーズ(ドラム:本編中での発音は“スケイビーズ”または“スカイビーズ”に聞こえたが)の脱退組のどちらにも寄らないような絶妙のバランスでドキュメンタリーに仕立てていくという…。
ウェス・オーショスキー監督は、完成までに疲れ果ててしまったそうで(笑)。

話はLONDON SSまで遡るので、もちろんミック・ジョーンズとかも登場。
というか、ポール・グレイやローマン・ジャグやブライン・メリック(故人)ら元メンバーたちまで総動員。
ジョン・モス(ドラム:後にCULTURE CLUB)やルー・エドマンズ(ギター:後にPUBLIC IMAGE LIMITED)どころか、2ndアルバムをプロデュースしたニック・メイソン(元PINK FLOYD)まで出て来たのには驚いた。
関係者のうち、出演しなかったのはトニー・ジェイムズ(元LONDON SS~GENERATION X)とニック・ロウ(1stアルバムのプロデューサー)とアルジー・ワード(2代目ベーシスト)ぐらいじゃないか、という。
それにしてもみんなおじいちゃんに…。
ミック・ジョーンズは『極悪レミー』にも出てたけど、ビリー・アイドルの老け込み具合には言葉を失ったぜ…。

さて、伝説にはなり損ねたTHE DAMNEDだが、伝説のネタになるような過激なメッセージ性や、飛び抜けたヴァイオレントさ…それらを持ち得なかったからこそ、このバンドは今に至るまで生きながらえて来たのだ。
かつてDAMNEDのことを“パンクの申し子ではなく、R&Rの申し子”と評した栄森陽一氏(snuffy smile)は、本当に正しかったと思う。
パンクのオリジネイターのひとつでありパイオニアのひとつでありつつ、パンクが持っていた音楽以外の諸々(それこそが伝説を形作る)に振り回されたりすることなく、基本的に“音楽的”であり続けたバンド。
初期の音楽的支柱だったブライアン・ジェイムズを失っても活動を続けることが出来たのは、もちろんギターにコンバートしたキャプテン・センシブルの才能あってのこと。
そのキャプテンを失ってからも、メンバーを補充してゴシック路線で成功を収め。
それはもちろんデイヴ・ヴァニアンのルックスとカリスマ性あってのことだったが、何より音楽が大事だった。

もちろんデイヴ・ヴァニアンを忘れてはいけない。
傑物。
メンバーがどう替わろうが、音楽性がどう変わろうが、この人がフロントで歌っている限り、THE DAMNEDなのだ。
初期の音楽性の中核を成していたブライアン・ジェイムズとラット・スキャビーズが束になっても、デイヴがいない限りはDAMNEDではなく“RAT & BRIAN”とかなのだ。
2時間近い映画を観ても、このデイヴという人の謎めいたパーソナリティは解明されない。
とりあえずどの時期もすっげえカッコいいシンガー。
MCA時代の美形ぶりはもう、たまらんですね。
ちなみに俺がリアルタイムでDAMNEDを知ったのが、MCA時代だった…。
(近年のライヴでは、「New Rose」とかの初期ナンバーでもMCA時代以降のかっこつけ唱法で歌い上げる!)

基本的に時系列で話が進むので、前半は初期のライヴ映像とかに首を振りつつ観ているのだが。
むしろ後半が曲者だ。
俺を含む多くの中年~初老リスナーは、THE DAMNEDを90年代初頭に終わったバンド、それ以後は再結成して別モノ、みたいに解釈している人が多いんじゃないかと思うんだけど。
後半どんどん顕著になる、現在のDAMNEDの現役ぶり。
それはデイヴ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルの頑張りもさることながら、初期のファンの多くが「あんた誰?」と思うに違いない(?)現在のバック陣による。
ピンチ(現ドラマー)なんて、ラット・スキャビーズより長く在籍してるんだぜ。

THE DAMNEDが好きなら、この映画は当然観るべきだ。
少なくともパンクが好きなら、この映画は観るべきだ。
80年代にネオ・サイケとか聴いてたような人も。
もちろんRANCIDとかOFFSPRINGとか好きな人も。
MOTORHEAD含め、英国のR&Rが好きな人も、絶対観るべきだ。

ウェス・オーショスキーの努力には最大限のリスペクトを表明するぜ。
とりあえず今夜はずっと、THE DAMNEDのアルバムを順番に聴いている。
今『BLACK ALBUM』。


『地獄に堕ちた野郎ども』、9月17日(土)より、渋谷HUMAXシネマにてレイトショー公開。


(c)2015 Damned Documentary LLC.


(2024.11.29.改訂)

映画『オールディックフォギー 歯車にまどわされて』

OLEDICKFOGGY 歯車にまどわされて.jpgラスティック・ストンプを超越した凶悪バンドOLEDICKFOGGYの、まったく何の節目でもないタイミングで製作されたドキュメンタリー映画。
そして、純然たるドキュメンタリー…ではない。
何とも不思議な映画に仕上がった。

『kocorono』などで知られる川口潤監督は、この映画のオファーを受け、まったくノープランでバンドのツアーに帯同することから始め、映像素材を録り貯めて行ったという。
それら(ライヴ、打ち上げ、スタジオ風景その他)に加え、アルバム『グッド・バイ』からのMV「シラフのうちに」用に撮影された映像を適宜交えて、映画は構成されている。
ツアーやレコーディングや打ち上げは(多分)ほぼ時系列に並べられているモノと思うが、随所に伊藤雄和がタクシー運転手役を演じる「シラフのうちに」の映像が挿入され。
そこでは伊藤をはじめとするメンバーやゲストは演技をしていて。
純然たるドキュメンタリーではない、というのはそこで。
イイ意味で、とりとめのない編集になっていると思う。

ロック・バンドのドキュメンタリーによくある、挫折を含めた紆余曲折が克明に描き出されるでもなく。
狂熱のライヴもあればハズしてしまうライヴもあるけれど。
メンバー間の葛藤や衝突も特になく。
(とはいえ、バンド自体はここまでに相当なメンバー交代を経てはいる)
年間3ケタのライヴをこなしながら、バイトとかで食いつなぐメンバーの表情が、基本淡々と映し出される。
(伊藤雄和の仕事場面はちょっと背筋が寒くなること請け合い)
ロックな生きざまとか何とかじゃなくて、当然の如くこのような生き方にならざるを得なかった…川口潤監督によれば“「規格外」のボンクラの集まり”、メンバーの言を借りれば“夏休みの宿題をやらなかったようなタイプ”の当然の帰結としてのバンド活動…を、カメラは捉えていく。

「シラフのうちに」MVのために集まったゲストは豪華。
中でも仲野茂(アナーキー)と中尊寺まい(ベッド・イン)の怪演は存在感デカい。
プロの俳優としては渋川清彦が出演しているが、これまた流石にイイ味を出している。

起きぬけの息が思いっ切り酒臭そうな伊藤雄和。
ヒゲのない顔も出てくるけど、往年の団次郎(帰ってきたウルトラマン)あたりを思わせるバタ臭いハンサム。
カラオケで歌うのは尾崎紀世彦…!

…で、言ってしまえば、ドラマティックな何かは起こらない映画。
しかし、川口潤監督が言うように、中毒してしまいそうな魅力が、このバンドにはある。
ファンはもちろん必見だし、このブログでOLEDICKFOGGYの記事を読んでちょっと気になってるような人にもお勧めの1本。

『オールディックフォギー 歯車にまどわされて』、8月11日(木)シネマート新宿にて公開。


(C)2016 OLEDICKFOGGY Film Partners


(2024.11.27.改訂)

映画『バッド・ブレインズ/バンド・イン・DC』

BAD BRAINS.jpg2日続けて映画を紹介。

超高速ハードコアとレゲエを交互に繰り出す、その特異過ぎる音楽性でアメリカン・ハードコア史上に残るバンドとなったBAD BRAINS…のドキュメンタリー映画。
原題は“BAD BRAINS/A BAND IN DC”で、コレはもちろんBAD BRAINSの名曲「Banned In DC」にひっかけている。
監督はジョニー・ラモーンのドキュメンタリー映画『TOO TOUGH TO DIE』で知られるマンディ・スタイン。
(サイアー・レコーズのシーモア・スタインの娘なのか!)
2007年に制作が開始されてから完成までに5年かかり、日本公開は更に4年遅れだが、まずは日本でBAD BRAINSの映画が観られることを喜ぼう。

しかし、不安もあった。
90年代以降のBAD BRAINSといえばH.R.(ヴォーカル)の奇行と離脱が問題となり。
来日時にDOLLに載ってたインタヴューでも、完全に頭おかしい人という感じだったし。
どんな映画になっているんだろうか。
H.R.、大丈夫かなあと。

映画は、BAD BRAINSの2007年のツアーの模様と、昔の貴重な映像、そして様々なエピソードを描いた再現フィルム的な漫画を交互に映し出す。
結論から言うと…H.R.、全然大丈夫じゃなかった(苦笑)。
ステージでまともに歌わず、観客を見下すようなMCを繰り返したH.R.に対してダリル・ジェニファー(ベース)がブチ切れる場面から始まるくらいだから、コレはもう…。
防弾チョッキ(…)を着込んでパンパンに膨らんだ服装で、かつ終始笑顔のまま、カメラに向かって半ば意味不明な発言を繰り返すH.R.…映画の中でも言及されていたが、多分統合失調症ではないかと。
しかし、カメラは2007年のBAD BRAINSの良い場面もダメな場面も、フラットに切り取って行く。

それにしても、映画『AMERICAN HARDCORE』のポール・ラックマン他(PLASMATICSの仕掛け人ロッド・スウェンソンのクレジットもあった)から提供されたという、昔のライヴ映像は見モノだ。
「コレ早送りじゃね?」というスピードで猛烈に動きまくるH.R.。
ピシッとした白いシャツでキメた黒人の4人組が猛スピードのハードコアを演奏していた…初期のBAD BRAINSを語る記事で目にした記述がその通りであったことを、映像で確認することが出来る。
元々ジャズ/フュージョンを演っていたメンバーによる、超高速にして一糸乱れぬアンサンブル。
H.R.が連発するバク転。
そして大暴れの観客。

インタヴューなどで登場するゲストも豪華。
この手のドキュメンタリーでは見飽きた(笑)ヘンリー・ロリンズとデイヴ・グロールはともかく。
BEASTIE BOYSの3人とか、MINOR THREATのイアン・マッケイ&ライル・プレスラーとか、CRO-MAGSのハーレー・フラナガン&ジョン・ジョセフとか、MURPHY'S LAWのジミー・ゲシュタポとか、THE CARSのリック・オケイセクとか。
意外や意外、ドン・レッツまで登場。
うわあ、なんか、みんなおじいちゃんになっている…。
(そりゃまあそうだよな)

本業(自然食品のお店)に勤しむドクター・ノウ(ギター)とか、ゴルフに興じるダリル・ジェニファーとか、音源とステージ以外でのメンバーの素顔も興味深い。
デイヴ・グロールがアール・ハドソンのドラミングから影響を受けていた、なんて話も。

それにしても。
「H.R.、大丈夫かなあ…」と思いながら観始めて、結局「H.R.、大丈夫かなあ…」と思いながら観終わってしまう映画(笑)。
7月16日(土)から、渋谷HUMAXシネマにてレイトショウ。


(C)2012 PLAIN JANE PRODUCTIONS


(2024.11.20.改訂)

映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』(デジタル・リマスター版)

不思議惑星キンザザ.jpg旧ソヴィエト連邦のカルトなSFコメディが、デジタル・リマスターされて復活。
1986年、あのチェルノブイリ原発事故の年に制作された映画。
それから30年。
俺は今まで観たことなくて、初めて観ることが出来た。

タイトル通り、本当に不思議な映画。
上映が終わり、客電がついて立ち上がる時、最初に口をついて出た一言が「わかんねえ~…」だった(笑)。
しかし、帰路頭の中で反芻するうち、じわじわ沁みてくる何かがある。

冬のモスクワ。
建築技師・マシコフ(スタニスラフ・リュブシン)は、仕事から帰るなり妻からパンとマカロニを買ってくるよう頼まれる。
街に出たマシコフは、ジョージア(グルジア)から出て来た音楽大生・ゲデバン(レヴァン・ガブリアゼ)に声をかけられる。
聞けば「あっちに、自分のことを異星人だと言っている男がいる」と。
通報しろ、と即答したマシコフだったが、男が裸足で寒そうにしているからと言われて、男に話しかける。
男は、この星の座標がわかれば“空間移動装置”ですぐに自分の星に帰れる、と意味不明のことを話す。
男の言うことをまったく信じないマシコフは、その空間移動装置とやらのボタンを押してしまい。
マシコフとゲデバンは、一瞬にしてキン・ザ・ザ星雲の砂の惑星・プリュクに移動してしまったのだった…。
(なのでタイトルは『不思議惑星キン・ザ・ザ』よりも、本来なら『不思議星雲キン・ザ・ザ』か)

砂漠で途方にくれる二人の前に、釣鐘のような形をした謎の飛行物体が現れる。
その飛行物体から降りてきた男二人は、何を話しかけても「クー」としか言わない。
結局マシコフとゲデバンを置き去りにして飛び去った飛行物体だったが、マシコフが気を取り直そうと煙草に火をつけた瞬間、いきなりUターンして戻って来たのだった。
プリュクではマッチ(“カツェ”)がとんでもない貴重品として珍重されていて。
かくてマシコフとゲデバンは釣鐘型の宇宙船=ペペラッツに乗せてもらい、謎の文明と風習を持つプリュク星人たちに翻弄されながら、地球に帰る方法を模索するのだった…。

ざっくりこんな話。
以後、物語は目まぐるしく展開するワケでもないのに、一方でまったく先が読めないというのが最後まで続く。
監督(ソ連では大家として知られたゲオルギー・ダネリヤ)が何を言わんとしているのか、今ふたつか三つぐらいわかりづらい。
朴訥な青年・ゲデバン(レヴァン・ガブリアゼは当時17歳だったという)が時々激怒する、その怒りのポイントも何だかわかりづらい。
必要なモノを手に入れるために単にカネが要るだけではなくあれこれ苦労させられるあたりや、権力者“エツィロップ”の横暴がまかり通っているあたりや…といったディストピア描写は、当時のソ連社会を暗喩的に皮肉っているのではと思われる。
(だとしたらこの映画、よく検閲にひっかからずに公開されたもんだ)
支配層であるチャトル人が被支配層であるパッツ人を差別しているのも、当時のソヴィエト連邦内の格差を反映しているのかも知れない。
(ダネリヤ監督はジョージア共和国出身)
最高権力者“PJ様”が浴槽で下僕と戯れる様には何処かホモセクシュアルな匂いを感じずにはいられないし…この映画、巷間よく言われるような“脱力系”に留まらない、危険な匂いがあちこちに感じられる。
(オフビートな笑いのセンスには、フィンランドのカウリスマキ兄弟に通じる部分もあると思う)

一方で注目すべきは、その特異な映像美。
ほぼ全編が砂の惑星プリュクで展開…その荒涼たる光景のほこりっぽさは、『スター・ウォーズ』のタトゥイーン星もかくや。
宇宙船ペペラッツをはじめとするメカ類の錆びつき感やアナログ感は、後のスチーム・パンクに先駆けていると思う。
そして衣装がアヴァンギャルド。
20世紀前半のドイツ表現主義やロシア構成主義とも趣を異にするそのセンスは、ほとんどパンク。

何より印象的なのは…当然のことではあるんだけど、当時の共産圏にも、普遍的な人間の営みがあった、というのを改めて認識させられること。
プリュクから地球に電話がつながり(!)…マシコフは現状を伝えるよりも、妻への愛を口走る。
異星の文物を地球に持ち帰らなければという意識があるとしても、ゲデバンの“手癖の悪さ”には苦笑。
旧共産圏にはサービス業の概念がなかったとか言われるが、マシコフは帰宅後にも同僚に業務の連絡を取ろうとし。
マシコフの妻は黒パンとボルシチではなく、マカロニを茹でようとしている。
TVでは“流行歌”が流れ。
(その流行歌は、偶然にもプリュクでマシコフの身を助けることになる)

コメディでありながら爆笑は起こらず、ちょっとしたクスクス笑いに終始するのは、やはりカウリスマキ兄弟の映画にも似て。
コレといった盛り上がりもないまま、135分(!)にも渡って物語は続くのだが。
不思議と、長い気はしない。
本当に、不思議な映画だ。


『不思議惑星キン・ザ・ザ』、8月20日より新宿シネマカリテにてレイトショウ。


(C)Mosfilm Cinema Concern, 1986


追記:
2008年8月にゲオルギー・ダネリヤ監督の母国ジョージアに侵攻したロシアは、14年にはクリミアを占拠。
そして22年、ロシアは再度ウクライナに侵攻。
戦争は終わっていない。
しかし今もロシアには、戦争など望まぬ民衆の営みがあるはずなのだが。
かつてスティングは”ロシア人も子どもを愛しているのなら”と歌った。

(2022.6.20.)


(2024.11.20.改訂)

映画『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』

スティーヴマックィーン.jpgスティーヴ・マックィーンといえば、個人的には何と言っても『大脱走』(1963年)だ。
その『大脱走』でカッコよくバイクを乗り回していたマックィーンだけど、実人生でもスピード狂だった。
そんなマックィーンが、モータースポーツ愛全開で取り組んだのが『栄光のル・マン』(71年)。
『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』は、その『栄光のル・マン』製作秘話にまつわるドキュメンタリー。

『栄光のル・マン』が、日本だけで大ヒットしていた…というのを、今回初めて知った。
欧米では惨敗だったそうで。
そんな映画を、45年も経った今になってどうして改めてドキュメンタリーに?
…と、不思議な気分だったんだけど。
どうも近年は、欧米でもモータースポーツのファンを中心に再評価されているようで。
更に、本編のフィルム以外は残っていないと思われていたのが、最近になってメイキング映像その他が新たに発見されたというのもあったらしい。

『荒野の七人』(1960年)、『大脱走』、『ブリット』(68年)…とヒット作が続き、自身のソーラー・プロダクションを設立したスティーヴ・マックィーン。
大スターとして出演作を自由に選べる立場となったばかりか、製作も自分で出来るようになっていた時期。
そこでモータースポーツをテーマにした映画に着手する。
F1を題材にした『グラン・プリ』(66年)が先にあったため、マックィーンは“ル・マン24時間耐久レース”を題材とし、レースが添えモノでメロドラマが主だった(?)『グラン・プリ』とは全く違う、硬派なリアリズムを追及する。
本物のレーサーをそろえ、実際のレースと同じスピードで走行しながらの撮影。
脚本も用意せず、ドキュメンタリー・タッチでレースのリアルだけを追い求め。
リアリズムに立脚したヒット作が出来るはずだった。

しかし。
ヒットのためにはドラマ的な要素が不可欠と考えていたジョン・スタージェス監督とは対立し。
脚本がないままの撮影は製作期間と予算を大幅にオーバー。
遂にスタージェス監督は降板し、スティーヴ・マックィーンは製作元のシネマ・センター・フィルムズ社からプロデュース権を剥奪され、単なる主演へと。
更に、マックィーンの女癖の悪さを悲観した妻ニール・アダムスが自身も不倫に走ったことで結婚生活は破綻。
無名だったリー・H・カッツィンが監督を引き継ぎ、どうにか映画は完成したものの、ソーラー・プロダクションは倒産に追い込まれ、映画は(日本以外では)興行的に惨敗。

この映画は、そんな事態へと至ったスティーヴ・マックィーンの、『栄光のル・マン』製作に賭けた妄執に近い思い入れと、出演者やスタッフをはじめとする関係者の記憶をたどる。
ある意味悲劇的とも言える作り。
しかし、救いも用意されている。
ニール・アダムスやデイヴィッド・パイパー(映画に出演して重傷を負ったレーサー)らが映画の後半に発するコメントを見れば、気難しい男と言われたマックィーンが半面愛すべき男でもあったことがわかるだろう。

昔のレーシングカーのフォルムの美しさにも、改めてほれぼれする。
今になって何故このような映画を作ったのか、そして製作者たちは何を言わんとしているのか…ちょっと不思議な感じのする映画でもあるのだけど、そこは是非実際に観て確かめてもらいたいと思うのだ。

あと、スティーヴ・マックィーン、かのマンソン・ファミリーに狙われていたということで、映画にはファミリーもちらっと登場するんだけど、ステージ衣装みたいなキンキラキンのいでたちでニタニタ笑うファミリーが実に禍々しいです…。


『スティーヴ・マックィーン その男とル・マン』、5月より新宿シネマカリテにてモーニング&レイト・ショウ。


(C)THE MAN & LE MANS LIMITED, 2015


(2024.10.16.改訂)

映画『RADWIMPSのHE・SO・NO・O Documentary Film』

RADWIMPS.jpg昨年メジャー・デビュー10周年を迎えたRADWIMPSのドキュメンタリー映画。

RADWIMPS。
個人的には、そういう人気バンドがいることは知ってる、ぐらいの認識だった。
一方で、個人的には、売れるモノにはそれなりの理由があるし、メジャーなモノには大抵何かしら見るべきモノがある、と思っている。
この映画も、結果的にとても面白かった。

メジャー・デビュー10周年を迎え、韓国、フランス、ドイツ、イギリス、台湾と回る初めての本格的な海外ツアーも決まったRADWIMPS。
(アジアは2014年にツアーしているが)
ところが山口智史(ドラム)が神経疾患のため離脱。
冒頭から大変なことになっている。
しかしバンドは、スタジオでアルバイトをしていた23歳の森瑞希をサポート・ドラマーに起用して海外ツアーを成功させ、更に刃田綴色(元・東京事変)を加えたツイン・ドラム編成で国内ツアーへと。
SpitzやMr.Childrenといった豪華なゲストを迎えた“胎盤”(対バン)ツアーを経て、バンドは超満員の幕張メッセでのワンマン・ライヴへと歩みを進める。

そういったあれこれが、かなり淡々と映し出される。
森瑞希もすぐにバンドに馴染んで、ちょっとしたトラブルはあってもツアーは各国で成功裏に終わり。
ツイン・ドラム化でグルーヴは強化され、豪華な対バン(最近話題のあのバンドも登場)とも楽しくコラボレーションし。
適宜挿入されるナレーションもあって、物語はわかりやすくスムーズに進んでいく。
それだけに、途中まではあまりにスムーズというか、食い足りない作品として観終えてしまうのではと思いながら観ていた。
監督自身が「この映画でRADWIMPSの何かを明かしたとか、何かを暴いたということは、ひとつもないんです」と語っている通り、この映画はRADWIMPSの創作の秘密や知られざるバンド内部に迫るようなことは、何ひとつしていない。

しかし。
バンドとフラットな距離感を保ったまま淡々と活動の日々を映し出して行くカメラによって、徐々に炙り出されていくモノがある。
それは主に、山口智史を失ったことによって生じた、巨大な欠落。
そもそもリズムの要であるドラマーがいなくなったのだから、当然とんでもない事態のはずなのだが、この映画はそれをセンセーショナルに取り上げない。
だが100分に及ぶ作品中で、山口の不在という決定的なダメージは、じわじわと明らかにされていく。
そして、バンドがそれを乗り越えてワンマン・ライヴの成功へと歩んでいく姿をとにかく淡々と映し出すことで、まったく大上段でないままに、喪失と再生の物語を見事に描いている。
この作品をオファーされるまでRADWIMPSをそれほど知らなかったという朝倉加葉子監督のセンスが光る。

草食系という言葉が似合いそうな、各メンバーのキャラクターも良い。
バンドに心底惚れ込んでいることが窺われるスタッフたちの表情もイイ。
正直言って俺がRADWIMPSのCDを買うことは今後もないと思うが、とても楽しめた映画だった。


『RADWIMPSのHESONOO Documentary Film』
3月11日(金)~24日(木)、全国でロードショー。
監督:朝倉加葉子
配給:東宝映像事業部
Copyright ©2016“HESONOO”FILM PARTNERS
公式サイト:RADWIMPSNOHESONOO.jp


追記:
その後えらく雑な歌詞の曲が出て、このバンドをすっかり嫌いになってしまった。
残念だが仕方ない。

(2022.4.25.)


追記2:
その後長年不倫していたというギタリストが脱退。
やれやれ、だなあ。
一方、山口智史は自身のミュージシャン生命を奪ったジストニアについて研究を続けているという。

(2024.10.25.)

映画『ザ・デクラインⅢ』

DECLINE3.jpgブログ再開宣言も虚しく、サクッと体調悪化、2日休んでまた再開。


『ウェインズ・ワールド』(1992年)のヒットでも知られる映画監督、ペネロープ・スフィーリスによる音楽ドキュメンタリー“The Decline Of Western Civilization”(西洋文明の衰退)三部作。
その第2作である『ザ・メタルイヤーズ』(88年)は89年に日本でもかなり話題になったが、それとてもう27年も前のこと。
3月から4月にかけて、その3部作が改めて日本で公開される。
今回は三部作のうち、第3作である『ザ・デクラインⅢ』(98年:原題『THE DECLINE OF WESTERN CIVILIZATION:PART Ⅲ』)を紹介。
前2作と違って日本で公開されなかった…どころか、世界的にもほとんど上映されたことがなかったという、いわば幻の1作。

1980年前後のLAパンク・シーンを題材とした『ザ・デクライン』(1981年:GERMS、X他出演)、80年代後半のLAメタル・シーンを取り上げた『ザ・メタルイヤーズ』(FASTER PUSSYCAT、POISON他出演)。
そして『ザ・メタルイヤーズ』から10年近く経過した頃に、ペネロープ・スフィーリスは再びLAのパンク・シーンを取材した。
しかしLAといっても広く、『ザ・デクライン』の頃とはシーンも一変している。
GREEN DAYやRANCIDといったバンドのブレイクで、パンクがアメリカのロック・シーンを塗り替えている一方、シーンの多様化は進み、アンダーグラウンドな世界ではメディアに取り上げられるようなこともあまりないハードコア勢が跳梁跋扈し。

この映画に登場するのは、そういった比較的有名でないハードコア・パンク・バンド群。
(FINAL CONFLICT、NAKED AGGRESSION他)
そして、シーンどころか社会の最底辺に位置するような、“ガター・パンクス”と呼ばれる若者たち。

世界の各地に、廃墟を不法占拠して生活する、スクウォッターと呼ばれるパンクスが存在することは、今ではかなりよく知られるところだが。
ガター・パンクスは、明らかにそれ以下だ。
大半が住み家を持たずに野宿同然の暮らしをし、もちろん仕事もなく(そして仕事をする気もなく)。
通りに出ては通行人に小銭をせびり、あるいは観光客相手に写真を撮らせてわずかな金を得て。
さもなければ盗みを働き。
そうして手にしたちょっとの金でビールかドラッグを買う。
ほとんどが劣悪な家庭環境に育ち、親に殴られたりする家よりもましな環境として路上生活を選んだような連中。

…というと、まったく救いのない陰鬱な状況と感じるが。
しかしガター・パンクスたちは、集まってはビールを飲んでハイになり。
日々生きていくのに最低限の金すらないのにモヒカンの脇はきちんと剃り上げ、髪を染めて立てている。
確かに試写会場では「重い…」という声が聞かれた。
「しかし、なんだか妙に楽しそう」と思ってしまったのは、俺だけだろうか。

もちろん、明日をも知れぬ日々。
楽しくないことの方が圧倒的に多いに決まっている。
しかし、ガター・パンクスは、圧倒的に自由だ。
その自由の代償がいかに大きなモノであったとしても。
随所で語られる悲劇は、彼らの日々がどれほど困難に満ちているかを示唆する。
しかしこの映画は、ガター・パンクスが“西洋文明の衰退”の一例なり象徴なりであるとしているのではない。
“西洋文明の衰退”はとっくに進行していて、最底辺まで弾き飛ばされたのがガター・パンクス…カメラはそれを淡々と映し出す。

演奏シーンとかは、それほど多いワケではない。
音楽それ自体に関する話はあんまり出てこないので、パンクに詳しい人しか楽しめないということはない。
というかむしろ、パンクにもロックにもあまり詳しくないような人でも楽しめる内容になっていると思う。
昨今流行りの音楽ドキュメンタリー映画とは、実は全然違った種類の映画だ。
音楽よりも、社会の縮図、そして人間の愚かしさと愛おしさを表現した映画だと思う。
誰が観に行っても、その日暮らしのガター・パンクスの中にお気に入りの若者を一人は見つけられるのでは。


『ザ・デクライン』は、3月19日(土)~25日(金)まで。
『ザ・メタルイヤーズ』は、3月26日(土)~4月1日(金)まで。
『ザ・デクラインⅢ』は、4月2日(土)~8日(金)まで。
それぞれ新宿シネマカリテでレイトショー。
『ザ・デクライン』と『ザ・メタルイヤーズ』も必見。


(C) 1998 Spheeris Film Inc. All Rights Reserved.


追記:
ペネロープ・スフィーリス監督は、この映画の撮影を機に、ガター・パンクスの一人と付き合うようになったとか…。

(2024.9.25.改訂)

映画『山口小夜子 氷の花火』

山口小夜子.jpgこのブログでは、ドキュメンタリー映画も幾つか紹介してきたが。
その大半はミュージシャンを題材としたモノ。
(レミーとかオジー・オズボーンとかMOTT THE HOOPLEとかTEENGENERATEとか)
あとは映画監督。
(ジョージ・ルーカスとかロジャー・コーマンとか)
今回のお題は、日本人として初めていわゆるスーパーモデルとなった山口小夜子。
生前の彼女と交流のあった松本貴子監督による一作。

珍しく、試写会に先立って監督の挨拶があり。
始まってみると、ナレーションの代わりに監督の独白風の字幕がフィーチュアされていて。
“ワタシ”という一人称が多く出てくるその字幕を見るに、コレは山口小夜子というよりも松本貴子監督本人の思い入れのようなモノに引きずられた映画になっているのでは…とか思ったのだが。
しかし話が進むにつれ、山口小夜子の圧倒的な魅力と謎めいた多面性にどんどん引き込まれていったのだった。

山口小夜子といえば、切れ長の目に前髪スパーンの真っ黒なおかっぱ頭、そしてSTEELY DANのアルバム・ジャケット。
俺を含め、ロック・ファンの認識する山口小夜子って、こんなもんじゃないかね。
正直言って80年代以降の活動についてはほとんど知らなかったんだけど、この映画を観て興味深かったのは、むしろ資生堂との専属契約が切れた1986年以降の活動ぶりだった。
山海塾とコラボレーションしてみたり、50歳でDJデビューしてみたり(!)。
40代以降のランウェイでの動きは、明らかに30代半ばまでとは違う、舞踏の影響を取り入れたと思われるユニークなモノになっていて。
しかも何歳の映像見ても全部きれいなんだぜ。
時にぞっとするほど美しい。

あの特徴的な切れ長の目も、素では大きくて丸かったというのを知って驚愕。
(メイクって凄いね)
生まれついてきれいだっただけじゃなくて、徹底した自己プロデュースと努力の賜物が世界的な成功だったのだ、と知れる。

もちろん本人は既にこの世の人ではないので、山口小夜子を知る多くの人のインタヴューが挿入される。
それも天児牛大、ジャン・ポール・ゴルティエ、立花ハジメ、高田賢三、山本寛斎etc…と実に豪華。
そして、松本貴子監督や丸山敬太(デザイナー)ら、山口小夜子を信奉する人々が彼女を永遠のモノとすべく立ち上げたプロジェクトの成り行きが、ユニーク過ぎる。
(コレは実際に映画観てください)
丸山敬太の涙に、思わずもらい泣きしそうになった。

徹底した自己プロデュースで、苦痛を厭わず美を追求した山口小夜子。
ところが、体調不良に「寝れば治る」と言って一人帰宅し、急性肺炎で突然亡くなってしまう。
ここにも人生の無常を感じずにいられない。
しかし、山口小夜子を単なる過去の人にしない…という周囲の情熱が、死後8年目にしてこの映画を生んだ。
実に美しいドキュメンタリーだ。


『山口小夜子 氷の花火』、10月31日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開。


(C)KAZOU OHISHI
(C)2015「氷の花火 山口小夜子」製作委員会


(2024.8.27.改訂)

映画『7s/セブンス』

7s.jpg昨年、伊坂幸太郎の小説を原作とした『オー! ファーザー』で商業映画監督としてデビューした藤井道人監督による新作映画。
未完成のままお蔵入りしていた映画『7s』に関わった人たちのあれこれを描いた群像劇。

自主映画を撮っていたサワダ(アベラヒデノブ)が大学の同級生だったサナガワ(淵上泰史)と一緒に作った映画が、インディーズ映画祭“東京映画祭”でグランプリを獲得。
賞金100万円を元手に新作を撮ろうと構想していたサワダだったが、普段は居酒屋のバイトに明け暮れていた。

しかし、その居酒屋にやって来た小劇団のメンバーの一人が、サワダの受賞の模様を見ていた。
そこから一気にサワダの、そして周辺の若者たちの運命が動き出す。
飲み会に居合わせた売れないモデルのカブラギ(深水元基)たちは、同じく飲み会に参加していた人気お笑い芸人・ゴギョウ(サンガ)や劇団の看板女優・ナズナ(小林夏子)と共に、サワダの新作映画『7s』に出演することに。

なんとなくモデルを続けていたものの、ブレイクするでもなかったカブラギ。
小劇団の看板女優ではあったが、若い後輩がステップアップしてくるのを感じ取っていたナズナ。
そして、アクション俳優への夢を持ちながらも裏方に甘んじていたセリ(網川凛)。
『7s』出演を決めた面々は、それぞれがこの映画の成功によって自分が“何者か”になれることを夢見ていた。
もちろんサワダも。

そして『7s』の撮影開始。
キャストもスタッフも一丸となって、大盛り上がりで撮影は進行する。
しかし、それも長くは続かなかった。
先輩のカブラギにくっついて、モデルからなんとなく演技の道に入ったイムラ(須賀貴匡)が、大手の事務所に拾われたのを機にブレイクし、あっさりと『7s』を降板。
撮影スケジュールはたちまち崩壊し、スタッフ間の不和は修正し難いモノとなり。
そして、なんと撮影データが消失。
(デジタルって怖いね)
資金も使い果たし、『7s』は完成することなく、制作中断となってしまう。

スタッフもキャストもばらばらになり。
イムラは俳優として、サナガワは映画監督として成功するが、サワダはただの居酒屋バイトに戻り、ゴギョウの人気は凋落して“あの人は今”的な番組で醜態をさらす。
上では敢えてあっさり書いているけど、物語の中で成功から見放されたスタッフとキャストにふりかかる負のスパイラルは、観ていて本当に気が滅入るほどのモノだ。
凄く陰鬱な気分になる。
(それがどんなモノかは、是非実際観て下さい)

しかし、それがポイントなのだった。
挫折があまりにも大きく、失ったモノがあまりにも大きかったが故に、終盤改めて前を向くサワダの表情は、逆に見モノだ。
こっちまで救われたような気分になる。
コレ以上はネタバレになりそうなので、終盤以降のストーリーについては触れないが、葛藤や対立や裏切りや挫折がそれぞれ深い故に、ラストのカタルシスのようなモノがその分だけ大きくなる。
万事が無事に解決するワケじゃなくても、ほろ苦い余韻がまたリアルな味わいになるというもんだ。

『7s』に直接関わってない人たちも含めて、登場人物それぞれの状況が次々と錯綜気味に描かれるので、最初のうちはちょっととっつきづらい。
誰が何の人だかよくわからなかったりして。
それにしてもコレはお勧めの拾い物。
今年は昨年に較べても映画を観てないんだけど、ともあれ現時点では個人的暫定1位。


『7s/セブンス』、11月7日(土)より新宿武蔵野館にてレイトショウ公開。


(C)7s/セブンス製作委員会


追記:
藤井道人監督は、その後『新聞記者』や『ヤクザと家族 The Family』などで名声を確立している、というのは多くの人が知るところだろう。
『7s』で印象的な演技を見せたアベラヒデノブも、多くの主演作があり。
ゴギョウを演じたサンガ(三箇一稔)は、富山県で農業をやりながら芸能活動を続けているという。

(2022.2.2.)


追記2:
藤井道人監督はその後も活躍を続けている。
小林夏子は永(はる)夏子と改名し、カウンセラーとしても活躍。

(2024.8.26.)