1980年初頭、ボド・シュタイガー(ヴォーカル、ギター他)とローター・マントイフェル(作詞他)によって、デュッセルドルフで結成。
しかしボドにはそれ以前にも長いキャリアがあった。
1949年10月27日生まれのボド・シュタイガーは、67年に18歳でHARAKIRI WHOOMというバンドを結成している。
いわゆる”ザワークラウト・ロック”と呼ばれたガレージ/ビート・バンドだったらしい。
その後ジャズ・ロック・バンドSINUSで活動。
(KRAFTWERKに参加するカール・バルトスがドラマーだったという)
続いてBLUES SOCIETYに参加。
(バンド名通りブルーズ・ロック・バンドだったらしい)
その後ボド・シュタイガーはクラウス・ディンガーの旧友ジョー・スティックのバンド・LILAC ENGELSに加入し、2ndアルバム『HARD TO BE FREE』(1978年)でギターを弾いている。
しかし78年と言えばクラウスがLA DUSSELDORFで、そしてカール・バルトスはKRAFTWERKで大成功していた頃。
LILAC ENGELSのシンプルなR&R(しかも売れてもいなかった)に飽き足らなかったボドはバンドを脱退する。
そうしてボドがエレクトリック・ミュージックを見据えて新たに結成したのがRHEINGOLDだった。
バンド名はワーグナーのオペラに由来する。
ヴェルト/エレクトローラと契約を得たRHEINGOLDは1980年5月にシングル「Dreiklangsdimensionen」でデビューし、同年1stアルバム『RHEINGOLD』をリリース。
その後ブリギッテ・クンツ(ヴォーカル、キーボード)を迎えたRHEINGOLDは82年に『R.』、84年に『DISTANZ』と、LILAC ENGELSも手掛けていたコニー・プランクのプロデュースで計3枚のアルバムを出す。
しかし、シングルの英語ヴァージョンが英語圏で売れなかったりで、結局84年に解散となる。
(ライヴはやらない、スタジオ・プロジェクトだったという)
ボドはクラウス・ディンガーのアルバム『NEONDIAN』(85年)に参加した後、元KRAFTWERKのヴォルフガング・フリューアとの活動や、クラブ・ミュージックのプロデューサーの仕事をしていたという。
ローター・マントイフェルは92年にカール・バルトスとELEKTRIC MUSICを結成。
そんなRHEINGOLDがいきなり2007年に復活してリリースしたのが『ELECTRIC CITY - DUSSELDORFER SCHULE』だった。
70~00年代までの”Dusseldorfer Schule”(デュッセルドルフ・スクール)勢のカヴァー、RHEINGOLDの再録と新曲によるトリビュート・アルバム的な(一部セルフ・トリビュート的な)1枚。
ボド・シュタイガー、ローター・マントイフェル、ブリギッテ・クンツの他に、ニナ(ヴォーカル)が参加している。
LA DUSSELDORF「Geld Regiert Die Welt」、ELEKTRIC MUSIC「Crosstalk」、カール・バルトス「Life」、RHEINGOLD「Dreiklangsdimensionen」、ミヒャエル・ローター「Karussell」、KRAFTWERK「Autobahn」、PROPAGANDA「Dr.Mabuse」といったナンバーを、オリジナルよりアッパーでダンサブルなドンツク・ビートで料理。
オプティミスティックで開放的なのはやはりというかクラウス・ディンガーに通じる。
「Dr.Mabuse」とか、オリジナルの重厚感がほとんどないね…。
(一方「Autobahn」は30年以上前のオリジナルに較べてかなり音が厚い)
楽しく聴ける&踊れる1枚です。
RHEINGOLD再編はこの1枚きりで終わり。
ボド・シュタイガーは2019年12月4日に70歳で亡くなっている。