FRUMPY/ALL WILL BE CHANGED(1970)

FRUMPY.jpg女性ヴォーカルをフィーチュアしてギターレス、という特異な編成で独特なハード・ロックを聴かせたFRUMPYの1stアルバム。
2009年に国内配給された時は俺がライナーノーツを書いていたのだが、半分忘れてた(苦笑)。
(そして今読み返すとあちこち間違いがある…)

一応の母体となったのは、1965年にハンブルクで結成されたフォーク/フォーク・ロック・バンドCITY PREACHERS。
バンドは3枚のアルバムをリリースして68年に解散していたが、インガ・ランフ(ヴォーカル)はダグマー・クラウゼ(ヴォーカル)、フランス人のジャン=ジャック・クラヴェッツ(キーボード、サックス)、カール=ハインツ・シュロット(ベース)らとCITY PREACHERS名義で活動していたという。
ってかインガとダグマーって同じバンドにいたんですか…。

1969年春、CITY PREACHERSにカーステン・ボーン(ドラム)が加入する。
しかしダグマー・クラウゼはカーステンと上手く行かず、結局ダグマーが脱退。
その後バンドは70年1月(3月とも)にFRUMPYとして再スタートする。
”Frumpy”というのは”薄汚い”とかそういう意味だが、実は”Rumpf”にひっかけているのだという。

で、1970年にリリースされたのが『ALL WILL BE CHANGED』。
ジャケットにカメレオンが描かれているのは、アルバムのタイトルに込められたメッセージを、体色を変えるカメレオンに託したのかも知れない。
メンバーはインガ・ランフ(ヴォーカル、パーカッション)、ジャン=ジャック・クラヴェッツ(オルガン、ピアノ、メロトロン、パーカッション、サックス、スピネット)、カール=ハインツ・シュロット(ベース、パーカッション)、カーステン・ボーン(ドラム)の4人。

インガ・ランフのソウルフルでゴスペル・フィーリングまで漂わせるヴォーカルが看板。
マヘリア・ジャクソンやニーナ・シモンあたりに影響を受けたというインガ、声質自体は時々カルメン・マキとかを思い出したり。
そしてインガの歌唱を自在に盛り立てるジャン=ジャック・クラヴェッツの鍵盤類とサックス。
ブンブン突っ走るカール=ハインツ・シュロットのベース。
ドタバタ(?)叩きまくるカーステン・ボーンのドラム。
(「Floating Part Ⅰ」ではドラム・ソロを聴かせる)
そしてA面にもB面にも組曲形式の連作。

それにしても、1970年のドイツでコレですか。
ギターレスのオルガン・ハードというと、ATOMIC ROOSTERとQUATERMASSの1stアルバムが同じ70年。
(オルガン・ハードではないが、EMERSON, LAKE & PALMERも70年デビューだ)
同時期に英国ロックとはまったくテイストの違う、いわゆるクラウト・ロック勢が出てきていたとはいえ。
この手のストレートなブルーズ・ベースのハード・ロックというと、ドイツのバンドは英国勢の後塵を拝し続け、大半がまだ後追いや物真似だった頃だ。
(もちろん同じ70年デビューのLUCIFER'S FRIENDSをはじめ、例外は幾つもあるものの)
そんな時期にこんなオリジナリティのある、エネルギッシュでカッコいいバンドがいたというんだから。
もちろんFRUMPYは歌をより前面に出したバンドだし、ジャン=ジャック・クラヴェッツの鍵盤もオルガン・ハードというとちょっと違うんだけど。

このアルバムにはリッチー・ヘヴンスのカヴァー「Indian Rope Man」が収録されている。
「Indian Rope Man」というと、60年代にBRIAN AUGER & THE TRINITYもカヴァーしていた。
女性ヴォーカルとキーボードを前面に出した編成…なるほど、FRUMPYのロックはただATOMIC ROOSTERやQUATERMASSなんかと同時多発的に出てきたのではなく、THE TRINITYあたりの影響をドイツで独自に醸していたのかも知れない。
ブライアン・オーガーの影響があったとすれば、一部に聴かれるジャジーなテイストも納得。

ともあれFRUMPYはこのアルバムのリリース後、SPOOKY TOOTHとドイツ国内をツアーして好評を博す。
しかしFRUMPYがギターレスだった時期は短く。
(このへんもATOMIC ROOSTERあたりに共通するか)
1971年にはライナー・バウマン(ギター)を迎えて5人編成となり、『FRUMPY 2』をリリースする。

1972年初頭にはジャン=ジャック・クラヴェッツが脱退するも、72年3月には復帰し、同年『BY THE WAY』をリリース。
しかしバンドは7月に解散してしまう。
ギターレスだった時期が短い…というか、バンド自体約2年半という短命だった。
解散翌年の73年には『LIVE』がリリースされている。

インガ・ランフとジャン=ジャック・クラヴェッツとカール=ハインツ・シュロットはATLANTISを結成し、1976年1月まで活動。
(結局この3人はCITY PREACHERSからここまでほぼずっと一緒)
ソロに転じたインガは80年代にはブルーズ/ソウルを歌っていたという。
(納得)
カーステン・ボーンはウリ・トレプテ(元GURU GURU)とのKICKBIT INFORMATION(https://lsdblog.seesaa.net/article/505612571.html)をはじめ、その剛腕であちこちで大活躍。

ところが1989年、インガ・ランフ、ジャン=ジャック・クラヴェッツ、カーステン・ボーンによってFRUMPY再結成。
90年に『NOW』、91年に『NEWS』をリリースする。
ただ、92年頃には再度解散状態だったようで、95年のライヴ盤『LIVE NINETYFIVE』が最後の作品となった。
『LIVE NINETYFIVE』には、83年のATLANTIS再結成ライヴ以降は音楽活動から離れていたカール=ハインツ・シュロットも参加している。

FRUMPYが再度解散して以降、インガ・ランフはゴスペルを歌っているという。
(納得)
そしてジャン=ジャック・クラヴェッツとカーステン・ボーンも現役で活動しているはず。

血糖値は体のためのみならず

TOMMY BOLIN.jpg以前、血糖値がいきなり上がらないようにするには、炭水化物をはじめとして食うもんはよく選んだ方がイイみたい、という趣旨の話をした。
https://lsdblog.seesaa.net/article/505612571.html
で、血糖値の乱高下は(当然だけど)体の健康だけじゃなくってメンタルにも影響するんですってよ。

食べた後に血糖値が急上昇しやすい食品かそうでないかというのは、「GI値」(グリセミック・インデックス値)で表されるという。
GI値が高い食品を食うと血糖値爆上がり、低い食品だとゆるやかに、と。

血糖値が爆上がりすると、膵臓からインスリンが分布されて血糖値を下げようとする。
しかし大抵は適切な値にならずに下がり過ぎ、体は下がり過ぎた血糖値を上げようとする。
そこで分泌されるのがコルチゾールやアドレナリンなど。
いわゆるストレスホルモン。
つまり下がり過ぎた血糖値を上げるために、体は交感神経が緊張したストレス状態に持っていかれる。
うん、こんな調子だとイライラするでしょうね…。

なのでメンタルを安定させてイライラしないようにするには、GI値の低い食材を選べ、ということになる。
玄米だとかライ麦パンだとか全粒粉パンだとかオートミールだとか麦飯だとか
以前、血糖値を急上昇させないためには出来るだけ精製されていないモノがイイ、と書いたが。
そういうのはGI値低いんですね。
逆にGI値が高いのは白米とか食パンとかうどんとかインスタントラーメンとか。
ああ、食パンも白米もインスタントラーメンも今日食ったよ…。

あと、血糖値を急激に上げないためには、しっかり咀嚼してゆっくり食べろってよ。
俺早食いなんだよな…。

とにかく体のためにも心のためにも、血糖値スパイクには気を付けなきゃイカンらしいです。
健康は大事。

…とか言って、今はドラッグで早死にしたトミー・ボーリンを聴いてるんだけどね。

大昔のラジオ・テレビ欄(その6)

BEATLES RUBBER SOUL.jpg年をまたいでも相変わらず仕事の合間に「朝日新聞写真館since 1904」(のラジオ・テレビ欄)をガサガサやっている。

1965年6月1日(火)。
NHKテレビでは21時40分から『事件記者』。
日本テレビでは18時から『ウッドペッカー』。
TBSテレビでは17時10分から『スーパーマン』、19時から『宇宙少年ソラン』。
フジテレビでは19時から『ザ・ヒットパレード』。
出演は倍賞千恵子、ザ・ピーナッツ、スリーファンキーズ、中尾ミエ他。
NETテレビでは21時から『ペイトン・プレース物語』。
おお、コレ俺が子供の頃に再放送してたよなあ。
東京12チャンネルでは19時半から『腕白デニス』。

TBSラジオでは21時から「ザ・ピーナッツ対こまどり姉妹」。
”対”って言われてもな…。
そして21時半から「ビートルズとプレスリー・ショー」!
おお、遂にTHE BEATLESの名前が出てきましたよ。
1965年か…。
『RUBBER SOUL』(画像:https://lsdblog.seesaa.net/article/201910article_1.html)が出た年である。
深夜12時10分からは「コニー・フランシス特集」。

文化放送では22時15分から『全米ヒットパレード』。
しかし15分番組なので、何曲もかからなかったはず。

FM東京では23時20分から「デル・シャノン特集」。
人気あったのねえ。


1965年=昭和40年。
THE BEATLESが来日するのは翌年のことである。

EMTIDI/SAAT(1972)

EMTIDI.jpg先日(ってかもう昨年な)紹介したBLACKWATER PARKやCLUSTER同様、1972年リリースのドイツのバンドなのだが、コレはまたえらく違う。

バヴァリア地方でホテルを経営する両親の元で育ったマイク・ハーシュフェルト(紙媒体でもネットでも何故か”イギリス出身のマイク・ハッシュフィールド”とされているのが散見される…)はいわゆるヒッピーとなり、ロンドンに渡ってヴァンクーヴァー出身のカナダ人、ドリー・ホルムズに出会う。
二人が1970年にロンドンで結成したのがEMTIDIだった。

EMTIDIはロンドンの路上やバーやクラブなどで演奏していたというが、時代は既に1970年。
同時期にロンドンで活動していたAMBER(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1455.html)あたりと同様に、サイケデリックを引きずったフォークという方向性では、70年にかの地で成功するのは難しかったのでは、と思う。

EMTIDIはベルリンに拠点を移す。
当時の西ドイツはサイケデリックな有象無象がうごめいていた頃…ベルリンに移ったのは正解だっただろう。
EMTIDIはソロフォンというレーベルと契約を取り付けて、1970年に1stアルバム『EMTIDI』をリリース。
この時点では、フツーにフォークと呼べる方向性だった。
当時の写真を見ると、二人ともいかにもフラワー・チルドレンという感じ。
(ドリー・ホルムズの服装からは、彼女がノーブラだったことがわかる)

そんなEMTIDIにジャーマン・サイケデリック界の仕掛人ロルフ=ウルリッヒ・カイザーが目を付ける。
オール他のレーベルを主宰し、短期間のうちにGURU GURUやASH RA TEMPEL、TANGERINE DREAMを世に出した男である。
カイザーはEMTIDIを自身のレーベルのひとつであるピルツに迎え入れ、自らのプロデュースで2ndアルバムを録音させるのだった。

そうしてリリースされたのが『SAAT』だった。
”Saat”というのは英語で”Seed”、つまり種子のこと。
邦題は”芽生えの時”となかなかしゃれている。
マイク・ハーシュフェルト(各種ギター、ベース、シンセサイザー、フルート、シンバル、ヴィブラフォン、ジューズ・ハープ、ヴォーカル)とドリー・ホルムズ(オルガン、ピアノ、スピネット、メロトロン、ヴォーカル)に、ロルフ=ウルリッヒ・カイザーの元でASH RA TEMPEL1973年の『SEVEN UP』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202109article_20.html)にも参加していたディーター・ディエルクス(ダークス)がベースとパーカッションとメロトロンで参加し、ミックスも手掛けている。

…で、ドリー・ホルムズのリリカルで透明感あふれる声をフィーチュアしたアシッド・フォーク的な基本線に、シンセサイザーやメロトロンなどがミックスされた、この時代のドイツでなければ生まれないような、幻想的なプログレッシヴ・フォークになっている。
(全曲ドラムレス)
部分的にはスペース・ロックと言っても差し支えなさそう。
「Touch The Sun」とマイク・ハーシュフェルトがドイツ語で歌う「Die Reise」の2曲は10分以上あり、どちらもシンセやメロトロンがうなりを上げる。
(オルガンやフルートも)
プログレ・ファンにもそれなりにアピールする1枚だろう。
一方で、中ジャケットのケシ畑と思われるイラストからしても、サイケデリック・ドラッグの影響も相当大きかったのでは。

印象的なシンセやメロトロンがEMTIDIの二人のプレイであることからしても(メロトロンはディーター・ディエルクスも弾いているが)、単にロルフ=ウルリッヒ・カイザーの言いなりに作らされたような作品ではなかったはず。
特にマイク・ハーシュフェルトはアコースティックなフォークの人だったとは思えないようなエレキ・ギターによるリードも聴かせ、ドリー・ホルムズ共々ミュージシャンとしてかなりのスキルがあったのではと思わされる。
教会風のオルガンから始まる1曲目「Walkin' In The Park」、哀感に満ちたフォーク…と思わせておいて、後半いきなり疾走し、マイクがハードなソロを取る。
(マイクは幽玄なアコースティック・ギターも素晴らしい)
カイザーがEMTIDIに目を付けたのも、二人の才能あってのことだろう。
(アメリカのカウンター・カルチャーに憧れていたカイザーにとって、北米大陸出身のメンバーを含み英語で歌うEMTIDIはもってこいだったはず)

しかし、『SAAT』のリリース後にドリー・ホルムズはマイク・ハーシュフェルトとのコンビを解消し、カナダに帰ってしまう。
マイクはメンバーを補充してEMTIDIをバンド形態とし、3rdアルバムを制作しようとしたものの、ドリーの後任としてふさわしいヴォーカリストは見つからず。
結局EMTIDIは1975年に解散している。
75年と言えば、LSDで精神を病んだと伝えられるロルフ=ウルリッヒ・カイザーがレーベルをたたんで音楽業界を去った時期でもあった。
そしてマイクも音楽活動をやめてしまい。
ドリー脱退後にEMTIDIに参加したメンバーたちはNIAGARAを結成し、その後もドイツのジャズ・シーンで活動を続けたという。

カナダに帰ったドリー・ホルムズが母国で活動したという話は聞かない。
故郷バヴァリアに戻ったマイク・ハーシュフェルトは両親からホテルの経営を引き継ぎ、一方でヴィンテージカーの愛好家として、ドイツ国内では名の知れた存在だったらしい。
(ただのボンボンではなく、経営の才覚があったのかも知れない)
そしてマイクは2014年10月に65歳で亡くなっている。

2025年のベストあれこれ

IGGY POP MONTREUX JAZZ FESTIVAL 2023.jpg皆様、あけましておめでとうございます。
THE DICTATORSを聴きながら年を越しました。
2026年もよろしくお願いします。

2025年は新譜を約60枚、リイシュー/発掘音源を約50枚聴いた。
例年よりちょっと少なめ。
ライヴは20本ぐらい。
そんな中から選んだベストあれこれ。
例によって、アルバムはバンド名アルファベット順、ライヴは観た順です。


新譜5選
IGGY POP/MONTREUX JAZZ FESTIVAL 2023(Blu-ray+2CD:画像)
LOVEBITES/NO MORE TRAGEDY(DVD)
OMNIUM GETHERUM/MAY THE BRIDGES WE BURN LIGHT THE WAY
TARJA/CIRCUS LIFE
流血ブリザード/FUCK OFF, WE MURDER!!!

リイシュー/発掘音源5選
GENESIS/THE LAMB LIES DOWN ON BROADWAY 50th ANNIVERSARY SUPER DELUXE EDITION
HAWKWIND/HALL OF THE MOUNTAIN GRILL 7CD/2Blu-ray EDITION
MOTORHEAD/THE MANTICORE TAPES
PINK FLOYD/PINK FLOYD AT POMPEI(DVD)
TANGERINE DREAM/RUBYCON 50th ANNIVERSARY EDITION

ライヴ3選
IGGY POP@有明GARDEN THEATER(4月2日)
「EXTREME Fes」@川崎CLUB CITTA'(10月4日)
MOON SAFARI@川崎CLUB CITTA'(12月12日)


新譜の次点は陰陽座か中学生棺桶、リイシュー/発掘音源はJOY DIVISIONのライヴかDIE UNBEKANNTENの全曲集かな。
音源にしてもライヴにしても、個人的にはイギー・ポップの年だった。
(イギー楽曲のみのDJを2回もやったし)
もちろんMOTORHEADとBLUE OYSTER CULTも聴きまくり…って何だよいつもと同じじゃねえか。
そして新しいアルバムを例年ほど聴かなかった一方で、とにかく働いた1年だった。
金銭的にも、ここ何年かで一番稼いだと思う。
まだやりたいことや、やらねばならないことがあるのだ、
今年も頑張らなければ。
(まあ仕事もらえればだけどね)
健康に気を付けながら。

12月・レミーを偲ぶ(2巡目・その3)

MOTORHEAD HAMMERED.jpg2001年、MOTORHEADはアルバム『HAMMERED』(画像)の制作に入る。
フィル・キャンベルとミッキー・ディーが飛行機でLAに来たのは、01年9月10日だったという。
そう、あの”9.11”の前日だ。

”9.11”は大きな悲劇だったが、レミー自伝『ホワイト・ライン・フィーヴァー』(https://lsdblog.seesaa.net/article/201607article_1867.html)でレミーは”あんまりパニックにならずにおこうぜ―きっと乗り越えられるからさ。何だって、乗り越えられないことなんかないんだ”と語っている。
アレから24年…世界は当時以上に憎悪と流血と分断にまみれているように見える。
レミーがまだ生きていて、今の世を見たら、何と言っただろうか。

ともあれ2002年にリリースされた『HAMMERED』は、レミー曰く1ヵ月と経たずに『SNAKE BITE LOVE』と『WE ARE MOTORHEAD』を合わせた売上を上回るセールスを記録したとのこと。
しかしレミーには、『ACE OF SPADES』までのアルバムに較べてそれ以降のアルバムが十分に聴かれていないことが”憂鬱の種”だったという。

『ホワイト・ライン・フィーヴァー』の原書『WHITE LINE FEVER』が刊行されたのは、『HAMMERED』リリースと同じ2002年のことだ。
なので、レミーの語りも02年までで終わっている。
(日本語版では、先日『モーターヘッド全曲ガイド』を上梓した長谷川修平が02年以降のレミーについての”補章”を寄稿した)
俺は『HAMMERED』リリースに合わせてDOLLでMOTORHEADの特集記事を執筆し。
12月には「BEAST FEAST」でMOTORHEADのライヴを観た。
(MOTORHEADだけ観て、Tシャツ買ってすぐ帰った)
そして「BEAST FEAST」が、MOTORHEADをナマで観た最後の機会となった。
レミーはもういないが、俺はあちこちでレミー関連のイヴェントが開催されるこの12月以外にも日々レミーを偲びながら、もう少し生きようと思う。


音楽についてのあらゆるあれこれ(くだらない話の方が多い)をただつれづれに書いてきた”音楽夜話”、コレが1000話目になります。
そしてコレが2025年最後のブログ記事です。
毎度このブログを御覧の奇特な皆様、ありがとうございます。
また来年(つまり多分明日)お目にかかりましょう。

DAGMAR KRAUSE/RADIO SESSION(1993)

DAGMAR KLAUSE.jpgドイツが世界に誇る歌姫、ダグマー・クラウゼのBBC音源をまとめたミニアルバムであると同時に、ハンス・アイスラー楽曲集。

ハンブルクに生まれ、14歳から歌い始め、1972年に22歳でSLAPP HAPPYを結成し、74年にHENRY COWに参加、78年にART BEARSに移行し、83年にNEWS FROM BABEL結成、以後ソロをはじめとする様々な形態で活動…というのは今更言うまでもないだろう。
そんな彼女が、1985年3月5日、88年2月3日、そして88年4月に行なったセッションの記録。
12曲収録だが、21分半しかない。
CDのチャプターは10曲分しか表示されず、10~12曲目は1曲扱いのようになっている。
(12曲目「Von Der Freundlichkeit Der Welt(On The World's Kindness)」は10・11曲目とは別の日の録音なのだが)

ハンス・アイスラーはクルト・ヴァイルに較べるとやや知名度が落ちるかも知れないが、ヴァイル同様にベルトルト・ブレヒトとのコラボレーターとして、やはり説明は不要だろう。
ワイマール時代のドイツ文化を愛してやまないダグマー・クラウゼが(ヴァイル及び)アイスラー楽曲に向き合うことになったのは、必然だったと言える。
ダグマーはブレヒト/ヴァイル/アイスラー楽曲を歌ったアルバム『SUPPLY AND DEMAND』(1986年)もリリースしているんだけど、このミニアルバムではヴァイル作詞に限らないアイスラー楽曲を取り上げている。

ハンス・アイスラーが1929~54年にかけて作曲した曲が収められている。
やはりというか、12曲中3分の2の8曲がベルトルト・ブレヒトの作詞によるモノ。
一方でシンガーのミニアルバムでありながら1曲がインストゥルメンタルという点にも、ダグマー・クラウゼのアイスラー愛が透けている気がする。
ブレヒトが作詞した8曲のうち、5曲が第二次世界大戦中に作曲されたモノというのも印象的。
曲により、歌詞は英語だったりドイツ語だったり。

ギターもドラムも用いられず、ピアノやハーモニウムやクラリネットを中心とするアコースティックなアレンジが、戦前・戦中のドイツへといざなう。
(戦後の曲もあるとはいえ)
12曲中10曲が1985年3月5日のライヴ。
88年2月3日に録音された「Zahlen Musst Ihr(You Have To Pay)」でピアノを弾いているジョン・ティルベリーは、ジョン・ケージとの共演もあった現代音楽方面のピアニスト。
88年4月に録音された「Von Der Freundlichkeit Der Welt(On The World's Kindness)」では、バンジョーで元GRYPHONのグレアム・テイラーが参加しているのが目を引く。

そして独特の抑揚を持ったダグマー・クラウゼの歌唱。
ハスキーで何処までも硬質な声。
…と言いつつ、1曲目「Berlin 1919」をはじめとして、HENRY COW~ART BEARS時代に較べるとかなり柔らかな部分もあり。
当時30代半ば~後半だったダグマーの、円熟にさしかかりつつあるヴォーカルを堪能出来る。

とか言ってもやっぱり随分怖い声してるけどねこの人。
コミカルに響くはずの(?)「Supply And Demand」も、ダグマー・クラウゼが歌うとブラックな皮肉の方がより際立つ。

そしてダグマー・クラウゼ、75歳の現在も活動中。

HAWKWINDの本・その6

HAWKWIND THE ILLUSTRATED COLLECTORS GUIDE.jpg『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』に続いては、もう1冊のHAWKWIND本『THE ILLUSTRATED COLLECTOR'S GUIDE TO HAWKWIND』(画像)。
ライヴCDが付属していた『THE NEVER ENDING STORY OF THE PSYCHEDELIC WARLORDS』がレコードやCDのジャケットのような正方形だったのに対して、ライヴ盤『CALIFORNIA BRAINSTORM』(https://lsdblog.seesaa.net/article/202111article_29.html)のロング・ボックス(今の若い衆は知るまい…)に入っていたこちらは、そのロング・ボックスを思わせるような細長い判型。

”ILLUSTRATED COLLECTOR'S GUIDE”と銘打っているだけあって、すべて白黒ではあるものの、アルバム・ジャケットだけでなくCDの盤面、そしてポスターやフライヤーの画像が豊富で、眺めているだけでも楽しい1冊。
扉を開くといきなりポスターの画像。
1970年1月28日、ALL SAINTS HALLでATOMIC ROOSTERをサポートした時のモノ。
ATOMIC ROOSTERがトリでHAWKWINDが前座とは、ちょっと意外に思ったが、いやいや70年1月と言えばHAWKWINDの1stアルバム『HAWKWIND』がリリースされる半年ほども前(それどころかレコーディングもまだ)。
そんな時期なんで、バンド名が”HAWK WIND”と誤記されているのも致し方なしか。

続いて、1972年2月2日にコヴェントリー・ストリートのBUMPERSでコミック誌NASTY TALESのベネフィットとして開催されたオールナイト・パーティー「A NASTY BALL!」のポスター。
HAWKWIND以外のラインナップもかなり興味深く、元THE DEVIANTSのシド・ビショップがやっていたBISHOP'S BIG BOPPERS、BRINSLEY SCHWARTZ、リンダ・ルイス、PINK FAIRIES、SKIN ALLEY、スティーヴ・ペレグリン・トゥック他。

1971年8月21日にコーンウォールのカーノン・ダウンズという村で開催された「TREGYE FESTIVAL OF CONTEMPORARY MUSIC」も豪華な顔ぶれ。
ARTHUR BROWN'S KINGDOM COME、DUSTER BENNETT BAND、TEA & SYMPHONY、INDIAN SUMMER他。
QUEENって、あのQUEEN?
どうやらそうらしい。
QUEENの初ライヴは70年7月だったそうなので。
71年8月というと、その時点ではジョン・ディーコンが参加していてメンバー4人がそろっていたはず。

まだ目次まで行ってないのに、最初の数ページでもう楽しい。

脂質は体のためのみならず

FISHBONE.jpg1年以上前、健康のためには脂質をしっかり摂るのが大事、という話をしたが。
https://lsdblog.seesaa.net/article/505015213.html
脂質って、体の健康だけじゃなく精神の健康にも影響するんですってよ。

サンマやイワシやブリやサバなどの青魚に多く含まれる油脂…EPAとDHAは、海馬の神経新生を促進したり、神経を保護する働きがあるのだという。
そうしてEPAとDHAを多く摂ることは、うつやPTSDを改善する効果があり、イライラを解消するのにも有効なんだそうで。
そうなのか!
俺はイワシの缶詰はけっこう食っているが、もっと食わなければ。
週に3食の魚料理が推奨されるとか。

魚が嫌いな人、魚を食べる機会があまりない人には、えごま油と亜麻仁油が有効だという。
えごま油、亜麻仁油に多く含まれるα-リノレン酸を摂ると、体の中で代謝されてEPA・DHAになるんだそうで。
へー。
えごま油も亜麻仁油も買ったことねえなあ。

ちなみにα-リノレン酸は非常に酸化しやすく、熱にも弱いという。
そのため、えごま油や亜麻仁油はなるべく冷蔵庫で保管し、炒める際に使ったりするのではなくドレッシングの材料にしたりすると良いのだそうで。
このブログ読んでる人でドレッシングを自作する人ってどれぐらいいるかな…。
ちなみに俺はたまにやるけど、先述の通りえごま油も亜麻仁油も使ったことねえよ。
健康大変だわ…。


とりあえず魚と言ったらFISHBONEですね。
(骨じゃねえか!)

CLUSTER/CLUSTER Ⅱ(1972)

CLUSTER.jpg先日紹介したART BOYS COLLECTIONやBLACKWATER PARKと同じ1972年のアルバムだが。
それらとはかなり、いやまるっきり趣の違う1枚。

俺が初めて買ったCLUSTERのアルバムがコレだったはず。
タイトル通り、1969年1月に結成されたKLUSTERからコンラッド・シュニッツラー(元TANGERINE DREAM)が70年末に脱退し、ハンス=ヨアヒム・レデリウスとディーター・メビウスの二人でCLUSTERとなって、2枚目のアルバム。
プロデュースはコニー・プランク。
黄色い星が散らばる青いジャケットに、まるでコカ・コーラみたいなCLUSTERのロゴ。
ポップ・アートよねえ。
(アートワークはメビウスの手になるモノ)

中ジャケットはスタジオの光景。
シンセサイザーやら発振器やらチェロやら、あと何やらよくわからないような機材が並んでいる。
(そして、そんなに多くはない)
ドラムもギターもベースも見当たらず。

で、中身は”びよびよびよびよ”とか”ひゅい~ん”とか”ひゅるるるる”とかいう音の羅列。
フレーズらしきモノはあっても、メロディと呼べそうなモノは皆無。
パーカッシヴなリズムもほぼ皆無。
音楽というより、ただ音響がぶちまけられている。
(「Im Suden」で明らかにギターと思われる音が聴こえるのがむしろ異質に感じられたり)

そんなミニマルで無機質な音の羅列が、まあ気持ちイイこと。
70年代当時の日本ではいわゆるプログレッシヴ・ロックの一種として受容され、そればかりか今でもネット上では”難解”というレヴューを散見するが…いやコレ全然難解じゃないでしょ。
先に”音楽というより”と書いたけど、音を楽しむと書いて音楽と称するなら、コレこそが音楽ではないだろうか。
ジャケットのイメージほどキラキラしてはいないものの、トランシーでもの凄く楽しい。

一方で、同時期のKRAFTWERKよりもNEU!よりも尖っている、と言うことも出来るだろう。
エクスペリメンタルにしてサイケデリック。
ブリープ・ハウスの祖、みたいな。
この音の羅列を単なる電子ノイズの垂れ流しではなく作品としてまとめる上で、コニー・プランクの貢献は大きかったのではと。
そしてこの上もなくアトモスフェリックでアンビエント的なサウンドを作り出したCLUSTERの二人がこの後ブライアン・イーノと組むのは、必然であった。

それにしても、ハンス=ヨアヒム・レデリウス、1934年生まれ。
このアルバムの時点で38歳だったとは…。
(44年生まれのディーター・メビウスも当時28歳)

CLUSTERは次作『ZUCKERZEIT』(1973年)でリズム・ボックスを導入し、ある種のポップさを加味していくことになる。
以降のアルバムも素晴らしい。
俺が一番好きなのはこの2ndアルバム。